理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

「エリートは筋トレと投資をする」と思い込むというライフハック

 エリートビジネスマン。彼らは仕事に全力で打ち込み、トレーニングジムに通って丈夫な体を作り、給料の一部を投資に回すことで手堅く資産を増やしていきます。そういう生き物なのです、あの人たちは。僕はそう思い込むことにしました。

何かを始めるにはエネルギーが必要

 僕はゲーム関連の企業に勤めています。ゲームをすることが趣味であると同時に、仕事にも繋がるという口実があるので、土日はもっぱらゲームをして過ごしています。長々とゲームで遊んでいるときにふと、このままでいいのだろうかという心配性な自分が顔を出すことがあります。

 学生のころは部活やサークル活動で日常的に運動をしていましたが、今はめっきり。また、ゲームというものは生活必需品ではありませんから、業界全体として比較的将来は不安定。こんな状況の中で、ゲームばかりして過ごしていてもいいのでしょうか。ジリジリと焦りが湧くことがあります。

 状況を打破するために、筋トレと投資を始めようと思い立ちました。思い立ったはいいものの、何か新しいことを始めるということにはエネルギーが必要です。「来週からでいいや」とついつい先延ばしにしてしまいます。また、途中でモチベーションが続かずにやめてしまうかもしれません。そう思うとますます始められません。

自己暗示をかける

 今まで二十数年生きてきて、こういうときにどうすればいいのか、大体分かってきました。僕自身のミーハーで見栄っ張りなところを利用して自分を動かせばいいのです。

 筋トレと投資をしていると、なんだかエリートビジネスマンっぽくてカッコいいと思いませんか。少なくとも僕はそう思います。

 僕は何かにつけてコンプレックスを抱えやすく見栄っ張りなので、エリートという存在にあこがれ、その仲間に入りたいと常々思っているタイプの人間です。筋トレと投資をすればエリートになれると思えば、それが不思議とモチベーションになってしまいます。「こういう服装が今風!」というファッション誌のうたい文句に踊らされる感覚に近いのかもしれません。

 全く無根拠にエリートになれると思い込んでやる気を出すのはさすがに難しいですが、今回はTwitterでフォローしているエリートな人たちが筋トレや投資について言及しているのを発見したのでやる気に火がつけやすかったです。

 そのエリートな人たちというのは、僕が勝手にエリートだと認定しているだけです。厳密な定義など必要ありません。この人たちみたいになりたいなと思えればそれでOK。彼らが筋トレと投資をしているのだから、世の中の他のエリートたちも当然実践しているわけであって、自分のその仲間に入りたいなという気分になったのです。こうなればしめたものです。

モチベーションを実利の外に置く

 これをちょっとカッコよく解説すると、モチベーションを実利の外に置いたと言うことができるのではないかと思います。

 通常、筋トレをする目的は、「痩せる」「健康増進」「ボディメイクしてモテたい」みたいなところだと思うのですが、掲げた目標が達成できなかったら辛いですよね。投資も同じで、資産を増やしたいと思っているのに、現実は資産が目減りしてしまうことさえあります。

 実利を目的として行動を起こす場合、それが得られなかったときにモチベーションが低下しがちです。目標が達成されない可能性があるというだけで、一歩踏み出すことにも迷いが生じてしまう。少なくとも僕はそういう経験をしたことがあります。

 一方で、筋トレと投資を(形だけでも)していればエリートの仲間入りができると考えると、始めることに対するハードルが低くなります。家で10回腕立て伏せをするだけでも筋トレですし、ジムに行って腹筋台で腹筋するだけでも筋トレをしていると言えます。

 実利が上がらなくても気にしません。日常的に筋トレをしていればエリートになれるので、体重が減らなくても関係ありません。とにかく筋トレをある程度継続的に行っていさえすればOK。エリートです。続けることに対するハードルも低くなるのです。

始めてみて見えるもの

 実際、僕は近所の市営のスポーツセンターに通うようになりました。結果にコミットする必要はないので月額数千円の会費を払う必要もなければ、専属のトレーナーさんも必要ありません。週に一回、マシンで適当にトレーニングをしています。 自分の中では、これでも立派に筋トレをしている状態なので、エリートになるための条件を満たしているということになります。

 最近では、ムキムキのお兄さんがフリーウエイトでせっせと鍛えているところを見て、僕もやってみたくなってきました。トレーニングの動画を見ながら、手探りで挑戦しているところです。自分で考えながら自分の体を鍛えていくというのは予想外に面白いですね。ちょっとだけ筋肉がついてくるとなお嬉しい。鏡を見るのが楽しくなってしまいます。

 いざ何かをやってみるといろいろ手を出してみたくなるのが僕の性格なので、とりあえず初めてみると良い方向に転がっていくことが多いです。今までも、そういう経験を度々してきました。

 投資についても同様に、まずは積み立て型の投資信託で始めることにしました。毎月毎月機械的に一定額を投資していきますので、申し込みさえクリアすれば勝手に投資が行えます。つまりエリートになれます。買うタイミングが自然と分散されるのでリスクも抑えめです。これを足掛かりに、いろいろと手を広げていきたいなと思っています。

 ただ、実際に調べてみると考えることはたくさんあるので、今はまだ勉強をしている段階です。いざ勉強を始めてみると投資というのはなかなか面白い世界ですね。経済についての知識も増えて嬉しいです。少し興味を持てば割と熱心に勉強できるというのも自分の性格なのです。

おわりに

 というわけで、投資はまだ実現していませんので、半人前のエリートビジネスマンになることはできました。投資もなるべく早く開始したいと思っています。もちろんエリートたるもの、仕事に本気で打ち込むのは大前提ですが。

 自分のミーハーで見栄っ張りな性格を使って、始めるのが億劫なことに挑戦することができましたよ、というお話でした。四半世紀ぐらい自分という人間と付き合ってみて、こういうやり方がいいだろうなというのがなんとなくわかってきたということです。

 じゃあ原点に立ち戻って、運動不足や将来の不安定さに対する回答になっているのか、というところは今後やりながら検証していく必要があります。実際に取り組んでみて初めてわかることは多いはずですので、始めることができてまずはひと段落越えたという段階だと思っています。

 

 

 以前こちらの本を読みました。書店にたくさん並んでいる自己啓発本の域を出ない内容でしたが、「欧米のエリートは筋トレをしているよ」という主張が展開されていました。こういうビジネス書もうまく使いながら自分に暗示をかけていけるといいと思います。

世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか?

世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか?

 

 

 

その他、お仕事について考えたこと

 

 

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北方大水滸伝51冊を読破した感想 - 今わの際に何を想うか

 北方謙三作、岳飛伝17巻を読み終えました。これにて、水滸伝全19巻、楊令伝全15巻、岳飛伝全17巻から成る「北方大水滸伝シリーズ」をすべて読破したことになりました。

 高校1年生のころ、父に「これ面白いから読んでみろ」と勧められて読み始めたこのシリーズ。あれから10年以上の時が流れ、私は大学院を卒業して社会人1年目となりました。物語の中でも途方もない時間が流れ、たくさんの登場人物が現れては消えていきました。

 この作品から「影響を受けたか」と問われたら、流石に「受けた」と答えるしかないでしょう。すべて合わせると50巻以上の超大作をコツコツと読み続けてきたわけですから。ただ、膨大な文章の中でこれぞと思う1節に出会ったとか、何百人もいる登場人物の中でこれぞという1人に出会ったとか、そういう影響の受け方ではありません。この北方水滸伝の世界そのものが、私の価値観に影響を与えたのだと思います。

 108人のヒーロー

 水滸伝は中国を舞台にした小説です。実在の話ではなく、明のころに書かれた伝奇歴史小説で、中国四大奇書の1つです(残りは「『三国志演義』『西遊記』『金瓶梅』)。

 12世紀の初め、北宋が支配する時代。役人の不正がはびこり、民は苦しい生活を余儀なくされていました。この状況を打破すべく、梁山泊という砦に108人の英雄が集い、巨大な国を相手に戦いを繰り広げていく痛快なお話です。

 北方先生は独自の解釈のもと水滸伝を再構成し、オリジナルの水滸伝の後の世界をも巻き込んで北方大水滸伝シリーズを書きあげました。敵味方合わせると何百人と出てくる登場人物の視点を章ごとに切り替えながら、物語が紡がれていきます。

 水滸伝のうたい文句は108人の英雄が革命を起こすということで、108人の中に序列はあるものの、特定の主人公が存在するわけではありません。北方水滸伝でも主人公という役目は存在せず、敵方の登場人物にさえもきちんと見せ場を用意します。

見せ場=死亡フラグ

 ここが肝となる部分なのですが、登場人物の1番の見せ場は、たいていが死に際のシーンです。章が切り替わり、今まであまり光が当たってこなかったキャラクターの視点が始まったら、多くの場合そのキャラクターは命を落としてしまいます。

 読み進めていくと、「その人物の視点になる」=死亡フラグだということに気づいてしまうため、自分の好きなキャラの視点になると嬉しい反面、そのキャラの退場を覚悟せねばなりませんでした。数々の英雄の雄々しい死とともにこの物語は行進を続けていきます。もちろん敵側の人間も味わい深い活躍をして死んでいきますので、一巻を読み切る間に何人も登場人物の死に際に立ち会うことになります。

 何百通りのもの今わの際が描かれるこの作品をずっと読んでいると、人が死に際に何を想うかということを常に考えさせられるのです。北方先生は、それぞれの登場人物の死に真正面から向き合い、ひとり英雄が物語から退場するたびに、弔いの酒を飲んでいたそうです(※)。それぞれのキャラが死に際に何を想うのかということを真摯に突き詰め、彼らが最期まで力強く生き切る様が切々と描かれます。

(※)参考:北方謙三『水滸伝』

死に際に何を想うか 

 登場人物が今わの際に考えることは様々です。家族や愛する人を想う人、戦友や師匠に思いをはせる人、自らの剣が届かなかった敵のことを考える人、全然関係ないことを考えている人などなど、性格や状況によって様々なことを思い浮かべながら息を引き取っていきます。

 翻って、自分が死に際に何を想うのだろうと嫌でも考えさせられるのです。どんなことを考えながら死にたいのかをイメージしてしまうのです。20歳にも満たない若造がそんなことを真剣に考えるわけないだろうと思うかもしれませんが、本当に考えてしまうのです。あまりにも見事な英雄たちの死を、何度も何度も見る羽目になるので。

 今のところ、自分の死に際をイメージしてみたところで確たる像を結ぶことはできないのですが、でも1点だけ、後悔はなるべく残さずに死にたいということは確実に言えます。

英雄たちの最期

 梁山泊の英雄たちは、自らの死に直面したとき、「いやだ」「死にたくない」といったような感想を漏らすことはほとんどないです。「戦わなければよかった」なんていう後ろ向きな考え方を持つ者もいません。彼らは、自身の役目を堂々と果たし、戦うべき相手に全身全霊でぶつかり、たとえ負けたとしてもやりきった満足感の中で死んでいきます。

 戦いの末の死を肯定するつもりはないのですが、避けられない運命としての死が自分に迫ったとき、今までの人生の中で何かをやらずに逃げるということをしなかったからこそ、曇りのないある種晴れやかな気持ちで最期の時を迎えているのでしょう。

 そして雄々しく戦った末の立派な死は、他の仲間によって広められ、子供の代まで連綿と語り継がれていきます。楊令伝や岳飛伝では108人の子供の代が活躍するのですが、彼らの中にも確かに受け継がれ、英雄たちは次の世代の記憶の中で生き続けることになります。

 このシリーズで一番最初に命を落とす「楊志」という武将は、妻と子の3人で団らんしているときに100人以上の敵方の集団に囲まれながらも、2人を守り抜き命を落とします。彼の意志は子の楊令へと受け継がれ、楊令は「楊令伝」における最強の頭領として成長していきます。

 そして、シリーズにおいて最後に命を落とすのが「岳飛」です。「楊令伝」の時代から戦いにまみれた人生を送ってきた彼は、驚くほど安らかに息を引き取ります。最後の最後まで徹底的に戦い抜いた末の彼の死は、北方水滸伝の戦いの歴史を終わらせる終止符となり、読者に物語の終幕を悟らせました。

「あれをやっておけばよかった」なんて

 私も、水滸伝の英雄たちのように、後悔を残さずに死ねるでしょうか。大きな挑戦のチャンスが自分に巡ってきたとき、失敗することを恐れてチャレンジしなかったら、きっと後悔するでしょう。でも、挑戦することはやはり怖いものです。

 しかしちょっとおおげさに考えてみると、挑戦しなかったという後悔は今わの際まで引きずられるものになるのかもしれません。死ぬ瞬間になって、「あれをやっておけばよかった」なんて思いながら逝くのは避けたいものです。

 それを考えれば、ちょっとぐらい失敗することが何だというのでしょうか。その挑戦で大成功を収めることができれば、死後も語り継がれる功績になるかもしれない。梁山泊の英雄たちは、いつも死と隣り合わせの無謀な戦いをしていたというのに、少しばかり恥ずかしい思いをすることさえ、私は耐えられないのでしょうか。そんなわけはないはずです。

 人生の選択肢に迷ったとき、私はなるべく後悔しなさそうな方を選ぶということを続けています。怖いこともありますが、北方水滸伝の何百人もの登場人物が、そっと背中を押してくれていると思って、勇気を振り絞っています。

 51巻からなるこの大水滸伝シリーズを読破することができて本当に良かったと思っています。何かアクシデントがあって途中で連載が止まってしまうことも十分にありうる世の中で、ほぼ一定のペースで刊行を続けてくれたことに感謝します。北方先生、ありがとうございます。

 

 

そのほか、本について書いたこと。

  

水滸伝 1 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44)

水滸伝 1 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44)

 

 

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【クラロワ】無課金Lv.7でアリーナ7到達のジャイネクロデッキ

 スマホアプリ「クラッシュロワイヤル」を無課金でほどほどに楽しくプレイしています。先日、トロフィーが2000を突破しロイヤルアリーナに到達しました。キングレベルが8や9の相手ばかりで、カードのレベルにも差があるなか、キングレベル7でトロフィー2000越えを達成できました。そのときのデッキを紹介します。

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デッキ紹介

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ケルトン Lv. 8

ボンバー LV. 8

ネクロマンサー Lv.4

ジャイアント Lv.6

ザップ Lv.8

ガーゴイルの群れ Lv8

大砲 Lv.8

バルキリー Lv.6

 巷では「ジャイネクロ」と呼ばれる、ジャイアントとネクロマンサーが主軸のデッキです。どちらも訓練キャンプ時代から手に入るカードであり、誰にでも組みやすいお手軽デッキとして紹介されることが多いです。

基本戦術

 ジャイアントを壁にして、ネクロマンサーを進軍させるのが基本戦術です。

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 ①ネクロマンサーを自陣タワーの近くに出し、スケルトンを稼ぎます。②ジャイアントの前にも後ろにもスケルトンが来るようにジャイアントを置きます。ネクロマンサーとの距離は少し開けておきます。 ③相手はプリンスを出して来ましたが、プリンスの攻撃をスケルトンが受けることになるので、ジャイアントのHPが削られにくくなります。ネクロマンサーの攻撃は遠距離攻撃なので、ジャイアントを盾にして攻撃することができます。

 上のケースでは相手がプリンスとネクロマンサーを使ってジャイアントを倒す方針で防衛してきましたが、ジャイネクロに対する守り方にはいくつかのパターンがあります。相手の出方に応じて、次の一手を決めます。

1.ジャイアントをユニットで攻撃してくる場合

相手使用カード:スケルトン、スケルトン軍団、ゴブリン、槍ゴブリン、バーバリアン

 複数ユニットでジャイアントを取り囲んでくる場合です。ネクロマンサーの攻撃は範囲攻撃なので、バーバリアン以外はまとめて倒してくれます。ジャイネクロ側はあまり痛くはありません。追撃をするなら、ジャイアントにまとわりついているユニットと相手のタワーが入るようにザップを撃つか、ボンバーを送り込みます。

相手使用カード:プリンス、ネクロマンサー、ミニP.E.K.K.A、 バルキリーマスケット銃士、ボンバー

 攻撃力の高い単体ユニットで防衛してくる場合です。こちらもザップで少し足止めをしたり、ボンバーを送り込みます。ネクロマンサーが生成したものにプラスしてスケルトンをさらに追加しておくのも効果的です。

相手使用カード:ガーゴイルガーゴイルの群れ、ミニドラゴン

 空中ユニットで防衛してくることもあります。ボンバーの攻撃は届かないので無意味になってしまいます。ネクロマンサーの攻撃は空中にも届くので、ザップで足止めをするのが効果的です。

2.ネクロマンサーをユニットや呪文で攻撃してくる場合

相手使用カード:バーバリアン、バルキリー、ミニP.E.K.K.A、ボンバー

 相手がジャイアントを無視してネクロマンサーの周りにこれらのユニットを出してくることもあります。この場合、ネクロマンサーの後ろにボンバーを置いておくのが有効です。ネクロマンサーは倒されてしまっても、そのあとでジャイアントに向かうのをボンバーが防いでくれます。

相手使用カード:ファイアボール、ロケット

 自陣タワーの後ろからネクロマンサーを出すと、タワーごと呪文で攻撃してくる相手もいます。その場合、自陣タワーの横のあたりからネクロマンサーを歩かせると相手は間に合いません。ですが、ファイアボールではネクロマンサーは倒れませんし、ロケットを使うと相手はエリクサーを損するので、どっちみちジャイネクロ側はあまり痛くありません。

3.建物を使って防衛してくる場合

相手使用カード:大砲、テスラ、ボムタワー、インフェルノタワー

 建物を置いてジャイアントを誘導してくる場合です。大砲はHPが高くなく、ジャイアントの前を進むスケルトンにターゲットが向いていれば最小限のダメージで壊すことができます。しかし他の建物はHPが高く、スケルトンやネクロマンサーもろとも攻撃してくるボムタワーや、ジャイアントを一瞬で焼き切り、高耐久を持つインフェルノタワーは天敵です。ガーゴイル軍団を追加することで建物は壊すことができますが、相手は木の矢やファイアボールを持っていることが多く、ネクロマンサーも巻き込んで呪文で攻撃されるとかなりエリクサーを損してしまいます。

試合運び

 ジャイネクロは強力なコンボですが、エリクサーをかければ十分ノーダメージで守れます。単にジャイネクロを出せば勝てるほど甘くはありません。攻撃と防御のバランスが大事です。

 クラッシュロワイヤルというゲームは、相手の攻撃を省エリクサーで守り、防衛に使ったユニットと追加のユニットで反撃していくのが基本です。ジャイネクロデッキの場合、ネクロマンサーとボンバーを使って攻めてきた相手のユニットを倒し、ジャイアントを壁に置いて反撃するというのが基本の流れだと僕は考えています。忠実に、愚直に、この攻めを繰り返します。

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 ①相手のガーゴイルをネクロマンサーで迎え撃つ②ネクロマンサーの前にジャイアントを出して反撃。

 しかし、相手によってはジャイネクロボンバーの攻撃を完璧に防いできて、埒が明かないこともあります。この場合、僕はガーゴイル軍団でリズムを変えます。ガーゴイル軍団は呪文などで簡単に守れるユニットですが、高い攻撃力を持っているので対応を怠るとタワーを大きく削ることができます。ジャイネクロを投入しているサイドとは逆側にこいつを出したり、ガーゴイルの群れ+ジャイアントという攻め方を試すこともあります。

 相手がボムタワー・インフェルノタワーで守ってくる場合や、巨大スケルトンを使ってこられるとなかなか相手のタワーに攻撃が届きません。その場合は引き分けを狙います。攻める姿勢は見せつつも、エリクサーを多めに確保しながら相手の攻撃をさばくことに集中します。

 相手のレベルが高かったり、苦手なカードを持っていても、諦めて負けてしまうとなかなか上に進めません。なんとか引き分けに持ち込む力というのも非常に重要だと思います。

各カードの役割

ケルト

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 主に防衛に使い、相手の地上単体ユニットを相手にします。エリクサーコスト1ながら、コイツの役割は非常に重要です。特に、P.E.K.K.A、ミニP.E.K.K.A、プリンス、巨大スケルトンなどはスケルトンでいかに引き付けられるかで、タワーに入るダメージに雲泥の差が生まれます。

 お目当てのカードを手札に持ってくるための潤滑油にもなります。例えば、ホグライダーデッキを相手にするときは常に手札に大砲を構えていないと対処できないですよね。早めにスケルトンを切って、大砲が手札に来るようにしておきます。できるだけ使い捨てにならないように、ジャイアントの周りに出したりできるとよいです。

ボンバー

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 そこそこの射程でそこそこの攻撃力の範囲攻撃を繰り出します。ジャイアントにまとわりつく小型ユニットを一掃しつつ、タワーにもダメージを与えられるということでジャイアントの良きパートナーです。

 防衛にも貢献できますが、相手の攻撃を受けるとすぐに倒されてしまうので、僕はタワーの後ろに出すか、バルキリーと合わせて出すことが多いです。

ネクロマンサー

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 攻防のかなめです。スケルトンを生成する能力がとにかく強くて、攻撃に回っても防御に回っても予想以上の粘りを見せてくれます。攻撃頻度も高いためギリギリまで攻撃を続けてくれます。僕の一番好きなカードです。

 HPが削れていてもジャイアントを前に置けばきちんと攻撃に貢献してくれます。ファイアボールを撃たれることが多いですが、個人的にはあまり痛くないのになあと思っています。

ジャイアン

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 わかりやすい強さを持っているカードです。真正面からHPを削るか建物で誘導するしか対策がないのが強いです。しかし訓練キャンプのころから登場しているだけあって、コイツの対処には慣れている相手が多く、単純な攻撃では勝てません。

 このデッキではミニドラゴンやウィザードなどの範囲攻撃を持っている相手が対処しにくいので、自陣タワーの近くに出して壁役になってもらうこともあります。

ザップ

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 ガーゴイルの群れやコブリンバレルを対策するために入れてあります。ジャイアントをスケルトンの群れやゴブリンで削りにくる相手にも有効です。

 ファイアボールを使っていた時期もあったのですが、コストの関係でザップが適当だという結論に至りました。発動が早いのもグッド。

 2016年8月24日のアップデートで、麻痺時間が1秒から0.5秒に縮んでしまい、攻撃を補佐する役目や相手を足止めする役目は弱くなってしまいました。

ガーゴイルの群れ

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 主に防衛を担当させています。エアバルーンやラヴァハウンドに対する生命線です。空中ユニットを攻撃できない地上ユニットをノーダメージで防衛することができるのも強いです。

 5体残っていれば攻撃力は目を見張るものがあります。相手の手札やエリクサーの状況を読み切ってここぞという場面で出せると、一気に相手のタワーを崩せます。

大砲

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 vs. ホグライダーの生命線です。ホグデッキと戦うときはすぐに反応できるように構えておきます。どこに置けばノーダメージでホグライダーを倒せるか、試行錯誤しておきましょう。

 相手のジャイネクロに対しても僕は大砲で守る派です。大砲でジャイアントを引き付けて、ネクロマンサーを出してジャイアントをさらに削ります。エリクサーに余裕があれば相手のネクロマンサーをバルキリーで打ち取ります。

バルキリー

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 主に防衛に使います。ジャイアントの後ろから進軍させても、ジャイアントの前側にいる敵ユニットには攻撃が届かないので、ちょっとシナジーが薄いです。もちろん小型ユニットで囲んでくる相手には有効です。

 HPが高く防御面では優秀です。一撃が重いP.E.K.K.A等はきついので、スケルトンと連携させます。

 他のユニットに”押される”ので、バルキリーの後ろにスケルトンを出すとスケルトンのスピードで相手タワーに近づくことができ、思わぬダメージを与えることがあります。

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 思わぬスピードで進軍してきたバルキリーがタワーをみるみるうちに削っています。能動的にこれを狙うときはゴブリンを使うらしいです。

終わりに

ジャイネクロデッキは組みやすくて、クラロワの基本が学べる良い構成だと思います。使ったことのない方はぜひお試しあれ。

 

 

そのほか、ゲームについて

 

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シン・ゴジラと社会人一年目の僕

 

 

シン・ゴジラの内容に触れている部分があります。

 

 

ネタバレを気にする方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 どうやら、シン・ゴジラはすごいらしい。普段映画館に足を運ぶことは少ないのですが、周囲のざわつきが相当大きかったので見に行ってきました。

 僕は映画に詳しいわけではありませんし、ゴジラに思い入れがある人間でもないです。映画のレビューを書こうという気持ちなどさらさらありません。ここで僕が書きたいのは、社会人一年目の今この映画を見ることができて本当によかったという心の叫びです。

日本的組織 

 社会人生活が始まって4か月ほどが経ちました。企業の一員として働くというのがどういうことか、なんとなく実感として掴めてきました。たくさんの人が集まり、組織として意思決定をしていくことが、どれだけ難しいことかを痛感する毎日です。

 シン・ゴジラの序盤、時間を大きく割いて描かれるのは、内閣総理大臣を中心とした日本政府の動きです。「会見を1つ開くのにも会議が必要だなんて」という意のぼやきが誰かの口から洩れていましたが、ぼやいている間にもゴジラが街を蹂躙している様子を見せられている僕からしたら、たまったものではありませんでした。おいおい、早く手を打ってくれよと。

 学生の時にこのシーンを見たら、「やっぱりお役所仕事はダメダメだな」と思って憤慨しただけだったでしょう。でも、今の僕の目には違った映り方をします。

 最近、「こんな小さなことなのに関係各所の許諾がないと前に進まないのか」と、歯がゆい気持ちになる業務をいくつかこなしました。リアルタイムでお客様が困っていることに対しても、僕だけの判断では事態を動かしていくことができませんでした。しかし、組織が規律を保ちながら意思決定を重ね、今後の関係性も含めてリスクを最小化するためには、必要なプロセスなのだと徐々に理解が進んできました。

 日本政府というのはこの国における究極の組織です。ザ・日本的組織である日本政府と、急速に進化を続ける巨大不明生物の戦い。それは、難局に対処する日本企業の姿と重なって見えました。

 1回目の襲撃時、政府はこれでもかと醜態をさらしました。意思決定に時間を要して被害が拡大。ようやく武力行使に踏み切れるかと思いきやトップが保身に走って1発の反撃すらできませんでした。

矢口蘭堂の活躍

 この映画を今見ることができて良かったなと思う理由は、矢口の活躍の仕方が非常に日本的だったことです。上述したような絶望的な状況の中で、スーパーマンが表れてゴジラを撃退するのではなく、あくまでも日本の官僚組織がゴジラをやっつけるところまでを描いてくれたこと。これは本当に素晴らしかったです。

 矢口は非常に優秀な男ですが、稀有なスキルを持っているわけではありません。矢口の周りにいる人たちが自分の得意な分野で力を発揮することで小さなパワーが集まっていき、それが最後にヤシオリ作戦としてゴジラに炸裂するのです。

 今後、何かのリーダーを務めて人を束ねるときは、矢口の活躍が頭をよぎるようになるだろうなと思うのです。日本的組織の中でどうやって自分の信念を貫くか。反発するだけでは物事を前には進めていけません。あらゆる手段を使って、あくまでも組織の規律の中で結果を出して行くことが僕にも求められるでしょう。夢を語るだけではダメなのです。実際に行動に移していかないといけない。血液凝固剤があったらいいな、ではなく、どうやって作るかを考え、プランを着実に実行していく力が必要です。

 彼は自分が首切り要員であることを自覚し、保身など微塵も考えずにゴジラを倒すことだけを考え続けました。冷静沈着を装いながらも、必要に応じて強い感情を露わにできる人物。本当にかっこよかったです。あんな風になりたいと思いました。

 一方で、フォロワーたちの活躍もよかったです。巨災対の面々は奇人変人の集まりということでしたが、自分の担当分野をきっちりとわきまえ、積極的にチームにコミットしていきます。矢口がきちんとわかるように丁寧な報告も欠かしませんでした。

 あのチームは日本的組織の中でしばしばつくられる、組織横断的な特別チームの理想形なのだと思います。僕の会社にもそういうチームがありますが、自分の部署の利益になるかどうかをみんなが考えてしまっているような雰囲気があると聞いています。危機感の度合いが違いますので同じ次元で捉えることはできないとは思いますが。

映画のしがらみ

 会社が映画事業に一部関連を持っているため、映画製作について少しレクチャーを受けたことがあります。俗に言う制作委員会方式がどのようなものかを聞いたとき、最初は合理的なシステムだなと思いました。

 ですが、「あの会社が絡んでいるからあんな演出になっているんだよ」などと細かい裏話をいくつか聞くと、このやり方で面白い映画を作ることが至難の業なのではないかと考えるようになりました。むしろ、様々な方面の関係者から口出しを受けながら作られた邦画が、筋の通った映像作品として成立しているのは逆にすごいことだなと思ったほどです。

 映画制作会社そのものの力が衰え、テレビ局が持っているコンテンツを使って映画がつくられるいまの時代、映画というのは様々なしがらみにとらわれた悲しき産物なのだと知りました。これも、学生のころには実感を持って理解できなかった映画の側面です。映画はエンターテインメントでもなく、芸術作品でもなく、生々しい企業活動の一環である。レクチャーを受けて以来、僕は映画をそのように捉えていました。

 そんな折の大ヒットでした。シン・ゴジラは制作委員会方式を採らず、東宝単独で制作した映画だそうです。経済的合理性を捨ててまで、監督が作りたい映画を作らせる。とにかく面白い映画を作る。こういう決断を日本組織はできるのだなと感動すると同時に、しがらみに縛られない映画はこうも人々を熱狂させるパワーを持ちうるのかと、映画の底力に感動を覚えました。

映画ってやっぱりすごい

 映画に詳しくないから、ゴジラの歴史を知らないからといって、僕はそういう知識を取り込むことを諦めているわけではありません。ネットには複雑なことをわかりやすく説明してくれる人、細かいところだけど大事な部分を力いっぱい説明してくれる人であふれています。

 皆さんの考察を読むのはすごく楽しいです。映画には、こんなにいろいろ考えることがあるのだなとその奥深さを知り、深い井戸のへりに立っている気分です。覗き込むと真っ暗で底が見えません。そして、それだけ考察する余地を作った庵野秀明監督の力量に脱帽です。

 一人だけ浮いているなと思っていた石原さとみさんの演技さえ、解釈によっては非常に味わい深いものになる。映画ってこんなにすごいものなんだと、20年以上生きてきてようやく気づきました。シン・ゴジラ、いま見ることができてよかった。幸せです。ありがとうございます。

 

 

そのほか、映画やエンタメについて。

 

 

 

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何かを批判する文章を書くことは簡単だと思った

 ポケモンGOのブームがひと段落してきた印象です。このゲームに関する意見や批評もあらかた出尽くしたのではないでしょうか。

批判の嵐の中で輝いていたもの

 ネットでポケモンGO関連のニュースを漁ってみると、否定派の言動が目立ちます。氾濫するニュース記事やブログを全部分析したら、8割がぐらいが否定派なのではないかなと勝手に思っております。8割とはいかずとも、否定派が多いということが仮に正しいとすると、その理由を解説するにはいくつかの切り口が挙げられます。

 このゲームのシステムそのものが問題だらけであるという切り口。日本人は新しいものを受け入れる寛容さに欠けた民族だという切り口。批判した方がお金になるという人間が声高に批判しているという切り口。

 最近僕が思いついたのは、批判する方が簡単だからという切り口です。きっかけは、少し前に書かれたものですが、以下の文章を読んだことです。ポケモンGOを純粋に楽しみ、技術の進歩に感動したことが綴られています(もうちょっと深いメッセージが込められているのでぜひ読んでみてください)。

 こちらの文章のように、何かを褒めることを主旨として文章を書くのはすごく難しいと思います。一歩間違えればただただ「楽しい!」とか「すごい!」と叫んで終わってしまいます。僕にはこれは書けないし、こういう内容で拡散されている文章はほかにはあまり見受けられませんでした。

なぜ批判するのは簡単か

 この文章を読んでしばらく経ってから改めて考えてみると、批判するのって簡単だなと思ってしまうのです。特に、何か新しいモノについての批判を展開するのはものすごく簡単。「新しいモノは既存のモノとは違うからこういうことが起こる可能性がある!」と書けば一丁上がりです。

 ポケモンGOは今までのゲームとは違って外でプレイするゲームだ。だから夢中になって川に転落する恐れがある。危険だ。プレイヤーが川に落ちないように何らかの対策が必要だ。

 意味がないとは思いません。誰も思いつかなかった大問題に光があてられるかもしれません。だから止めてくれとは思いません。でも、あまりにもネガティブな反応ばかりを見ているのはあまり気分が良いものではないですよね。

褒める文章が読みたい、書きたい

 ポケモンGOに限らず、何かを褒める内容の文章が公開される割合は、批判するものよりも少ないと思います。もちろん媒体や扱う内容によりけりだとは思うのですが、価値がないと考えられている節があるのかもしれません。

 僕はそんなことはないと思っています。例えばポケモンGOに関することでしたら、こういう楽しみ方があるんだという発見や、こういうユーザにこういう楽しさを届けたからヒットしたんだという学びがあるはずです。

 堅めのニュース記事でも、褒める記事を出してみれば目立つのになと思います。本来はバランスのとれた中立的な内容を掲載すべきはずのメディアには、なぜかネガティブな方に振れたものを書かないとダメだという暗黙の了解があるようにみえます。賛否両論あることはきちんと伝えつつ、ポジティブな面を押し出した文章が読みたいです。気分が良いですから。

 僕も何かを手放しに褒めるちぎる文章が書きたいです。結局、ここまで書いてきたこの文章も、「批判すること」を批判する内容で展開してきたにすぎないのです。

 

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PvPアプリゲーム(クラロワ・シャドバ)のヒットから考えるこれからのゲーム

 最近、クラッシュロワイヤルとシャドウバースというスマホゲームにハマっています(もちろんPokémon GOもやっていますが)。僕の観測範囲の中ではなかなか流行っているこの2つのゲームに、僕はなんとなく時代の潮流を感じます。スマホゲームが今後どうなっていくのか、少し考えてみたいと思います。

簡単にゲーム紹介

 クラッシュロワイヤルを簡単に説明すると、兵士を召喚して敵の城を落としあう1対1のリアルタイム戦略シミュレーションゲームとでも言えるでしょうか。Supercell社が開発し、世界中で驚異的な売り上げを誇っています。

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https://play.google.com/store/apps/details?id=com.supercell.clashroyale&hl=ja

 

 一方、シャドウバースは1対1のカードゲームです。遊戯王を少しシンプルにしたものだと僕は捉えています。Cygamesが開発しました。

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https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.cygames.Shadowverse&hl=ja

 

勢いに乗るPvPゲーム

 これら2つのゲームはどちらもPvP(Player vs Player)型のゲームです。同時刻にアプリを開いている二人のプレイヤーがランダムに選ばれ、対戦を行っていきます。ひと昔前のアプリゲームのスタイルは「与えられたクエストをクリアしていく」形式が多かったので、日本人にとっては少しなじみの薄いゲーム形式ではないでしょうか。 

 僕が最初クラッシュロワイヤルを開いたときは衝撃を受けました。PvPゲームをやるのだから、十分な練習を積んでから本番に挑戦させるものだと思いきや、少しのチュートリアルが終わるともうすぐに実践投入。ガンガン他人と戦わせるのです。このスピード感はすごいなと思いました。

 クラッシュロワイヤルはPvPがすべてであり、四の五の言わずに人と戦えと言わんばかりのゲーム設計がなされています。見てくださいこのホーム画面。でかでかと光るバトルのボタン。

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 頑強なサーバと世界中にいるたくさんのプレイヤーたちのおかげで、バトルボタンを押したら一瞬で相手が見つかり、戦いに突入してしまうこのゲーム。1試合は長くても4分。どんどん他人と殴りあうことになります。

なぜPvPが流行るのか

 PvPで負けるとものすごく悔しいのです。個人的にはクエスト型のゲームの比じゃないぐらいに悔しい。相手が自分と同じ生身の人間であり、対等な条件で真剣に戦った結果、自分の力が及ばなくて負ける。身もだえするほどの悔しさを味わいます。

 運営側はこの悔しさを課金につなげるわけです。負けた悔しさで頭がヒートアップし、思わず勢いで課金してしまう。そんな人が多いのではないかと思います。もちろん、課金すればしただけ強くなってしまうようでは、札束で殴りあうだけのゲームになってしまいますから、その辺のさじ加減は課金設計者の腕の見せ所です。

 他人よりも優れた自分でいたい。それはおそらく人間の根源的な欲求だと思います。PvPのゲームは1対1で戦うので、その欲求が直接的にくすぐられます。勝てば目の前のコイツよりも優れていることが証明されるわけですからね。

 日本ではPvPのゲームがマスに大ヒットすることはありませんでした。パズドラやモンストは仲間との協力要素はあるにしても、プレイヤー同士が直接戦うものではありません。

 海外を中心に展開してきたPvPのゲームが日本にもじんわりと浸透してきて、主に若い世代を中心に認知度を増しているように思います。ヒットタイトルが続々と生まれたことに加えて、端末の高スペック化が進み、より高度な遊びがスマホ上で展開されるようになってきたのが原因ではないかなと考えております。

ゲーム機との関係

 スマホ上で動くPvPゲームはリッチさを増してきています。しかし現在、格闘ゲームのような素早い入力を伴うゲームにはまだまだ対応しきれていません。クラッシュロワイヤルは兵士を召喚する場所を選んだら、あとは傍観するだけで、操作を加えることはできないのです。

 格安スマホとの二極化の動きはあるものの、スマホに搭載されるCPUパワーは上昇の一途をたどっています。いずれ、格闘ゲームFPSのようなジャンルにも対応できるだけの端末が登場するでしょう。流行るかどうかは別にして、技術的には可能になるはずです。

 そうなったとき、ゲーム専用機の立場はどうなるでしょうか。もはや、スマホ上で遊べないゲームはない、という状態になる日が来たとき、立場が危うくなってしまうのではないでしょうか。ゲーム専用機のスマホに対する優位性として僕が思いつくのは、物理ボタンと大画面ぐらい。DS系統の2画面というのは今考えればイノベーションですよね。2画面を持つスマホもありますが変態扱いされていますから。

 結局、ゲーム会社が専用機でしかソフトウェアを開発しないからハードを買うしかないという、なんとも不健全な状態になってしまう可能性があると考えています。それを防ぐためにも、ハードウェアの革新が期待されるところです。

ゲーム専用機の今後

 今後ゲーム専用機がクリアしなければならない課題は、スマホでは実現できない遊びを提供することでしょう。その1つの動きがVRだと思います。VR体験はスマホではどうあがいても実現できない遊びです。

 一方、スマホゲーム側としても、単純にゲーム専用機の後追いを続けていても面白くありません。スマホコールオブデューティができるようになったとして驚きはあるかもしれませんが、小さい画面でプレイすることが本当に楽しい体験になるかは怪しいです。

 だから、スマホ側もゲーム専用機にはできないことを模索していく必要があるのではないかと思います。その方向性の1つを、Pokémon GOは示してくれたのではないでしょうか。

 スマホは誰もがひとり1台、ポケットにいれて持ち歩くものです。家に置きっぱなしになりがちなゲーム機とはまったく違う特性を持っている。だから、歩き回ってポケモンを捕まえるPokémon GOのようなゲームはスマホ上でしか実現しえないゲームなのだと思います。

 つまりここで展開してきた論をごく簡単にまとめると、ハードウェアの特徴を生かしたソフトウェア開発をすべきだという当たり前の結論にしかなりません。しかし、手元ばかり見ているとそういう一歩引いた目線を忘れがちになるのではないでしょうか。

 任天堂だけでなく、Appleが得意な手法ですよね。ゲームだけでなく、どんな分野にも言えることだと思います。今日はここまでです。

 

  そのほか、ゲームについて考えたこと。

 

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ポケモンのゲームが世界で大ヒットした理由 - Pokémon GOブームの裏側

 スマートフォン向けアプリ「Pokémon GO」がオーストラリア・ニュージーランド・アメリカでリリースされ、反響を呼んでいるようです。ダウンロード数だけでなく、セールス(課金の売り上げ)ランキングにおいても並み居る強豪を押しのけ1位にランクインしたということで、単なる話題性だけに留まらない人気になっているのではと期待しています。

 現実世界を歩き回るというこのゲームの特性上、見知らぬ人同士で交友が生まれているようです。今までのゲームの常識を覆す楽しみ方ですね。

 バーチャルな世界とリンクしてビジネスにつなげようという動きも見られます。

Pokémon GOのヒットの裏にあるもの

 このアプリがヒットの要因を考えてみると、ポケモンの高い知名度が貢献していることは疑いようがありません。ではいったい、ポケモンが世界中でなぜ人気になったのでしょうか。

 この問題を考え出すと様々な要素が複雑に絡んでくるので分析は容易ではありません。ポケモンがどのような形で輸入されたのかは国によってさまざまで、ゲーム・アニメ・カードゲームなど、色々な媒体を介してポケモンは世界に展開されていったからです。

 ここでは少し問題を絞って、ポケモンのゲームがなぜ世界中でヒットしたのかを考えてみたいと思います。

 私は幼稚園のころにアニメでポケモンを知り、ポケモン赤緑に熱中した世代です。ポケモン赤緑は日本だけでなく世界中で大ヒットとなり、一躍ポケモンの名を世界に知らしめました。

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 私はアニメからこの世界に足を踏み入れたものの、ポケモンの原点はゲームにあります。ゲームのヒット要因を考えることは、ポケモン全体のヒット要因を考えることと大きな相違はないでしょう。

ポケモンのゲームが世界中でヒットした理由

 ポケモンのゲームがヒットした要因と話題を絞ったものの、依然として切り口はいくつもあると思います。最近、1つの筋に絞った考え方を思いつきました。それを下の図を使いながら説明していきたいと思います。

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スタート時:何も持っていない自分

 「ポケモンのゲームの主人公は誰?」この問いに答えられるでしょうか。ポケモンのゲームの主人公には名前がなく、一言もしゃべらず、性格も不明、家族がどういう人なのかもわからない作品もあります。開始時にはポケモンを一切連れておらず、道具の1つも持っていません。何も持っていない存在。まさに「まっさら」な存在として、私たちの前にその姿を現すことになります。

 私は幼いころ、ポケモンのゲームの主人公は自分自身だと思い込んでプレイしていました。十字キーを押して画面上をてくてく歩くこのドット人形は自分そのものなのだと思ってプレイしていました。

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 ゲームを開始した時点では、私はこの世界について何も知りません。そんな自分のかばんに最初からモンスターボールが入っていたり、ピカチュウを連れていたりしたらちょっと奇妙だと思いませんか。完全にまっさらな状態から始まるから、私はこの主人公に自分を投影できていたのだと思います。

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 ポケモンの世界は現実世界に似たテイストで作られています。剣と魔法の異世界ファンタジーにすることも可能だったはずですが、そうなってはいません。世界観設定が自分自身を投影することを妨げないようになっています。

 主人公が自分自身だからこそ、携帯ゲーム機を持ち寄って友達と通信をすることにも、単にゲームをする以上の価値が生まれます。通信ケーブルを介して対戦・交換を行うのはゲーム上の主人公ではなく、「オレとオマエ」なのです。対戦で負ければ本気で悔しいですし、交換でもらったポケモンは大切にしたくなります。ゲーム上のデータのやりとりではなく、生身の人間同士のやりとりだからです。

 主人公が自分自身のゲームというのは、当たり前のように見えて実はあまり多くありません。ドラクエファイナルファンタジーといった同じジャンルの巨人たちは、各タイトルごとにキャラの立った主人公を操作します。マリオやゼルダもいわずもがなです。

 自分自身が広大なポケモンの世界を旅できるような主人公の設定になっている。主人公の造形1つとっても、意外と画期的だったといえるでしょう。

序盤:パーティの形成

 ポケモンのゲームは絶対に、3匹のポケモンの中から1匹を選んでパートナーにするところから始まります。この時点でいきなり、プレイヤーの道は3つに分岐します。さらに、旅を進めるうちに多種多様なポケモンが飛び出てきて、自分の思い思いのポケモンを育てていくことになります。

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 自分のお気に入りのポケモンだけを使っていいし、どう見ても強くないポケモンを使ってもいいのです。幼いころの私にとって、自分だけのパーティを作っていくその過程は、本当にわくわくしました。今考えてみると、パーティ作成は自分の個性の発揮の場として機能していたのではないかと思うのです。

 「オレのパーティすごいだろ」「この組み合わせを選ぶオレのセンスを見れくれ」。こういう感覚は、自分がこの世界で唯一無二の自分であることを保証してくれるものでした。つまり、自分の中でアイデンティティが形成されていく過程だと捉えることができます。

 また、ポケモンという生き物の設定にも特徴があります。ポケモンの世界には同じ種類のポケモンがたくさんいます。元気なピカチュウもいればおとなしいピカチュウもいていいように、それぞれ1匹1匹が個性を持っていることになっています。「オレのピカチュウ」と「オマエのピカチュウ」は全く別個のものとして存在し得るのです。

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 自分だけのパーティを組み、なおかつ、それぞれのポケモンはオレだけのポケモン。他人とは違う、「オレとコイツら」だけの物語がゲーム上では展開されます。それもまた、自分だけの個性として自分の中に蓄積されていきます。

  一方で、他のキャラクターはどうでしょう。ミッキーマウス、トトロ、ジバニャン…。どれもこれも唯一無二の1匹です。無限に存在し得るピカチュウというキャラクターはなかなか特殊な立ち位置を持っています。

 自分のアイデンティティを確立したいという想いは無意識の欲求です。この要素を満たすゲームはたくさんあると思いますが、ポケモンにおいてはパーティ作成がこれを担っていました。

中盤:活躍

 このゲームは各地のジムを回ってジムバッヂを集めることが1つの目標になっています。ジムバッヂを全部集めろという指示が最初に出て、その大目標に向けた自分の進捗具合がわかりやすく確認できるフォーマットとなっています。レポートを書くときに毎回バッヂ何個と出るのが嫌でも目に入るので、自分の現状は常に頭に刻みつけられます。

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 また、悪の組織との対峙も必ず行われます。彼らは非常にわかりやすく「悪」であり、ゲームの進行上彼らを成敗することになっても、私たちに疑問は浮かびません。悪事を働いてはいけないというのは幼いころから言われ続けた絶対の価値観だからです。

 以上の2点により、このゲームでは主人公である自分が活躍し、成長している様子がダイレクトにフィードバックされるようになっています。アイデンティティ形成の次は成長です。バッヂをこれだけ集めた、悪の組織を壊滅させた。これらは疑いようのない客観的事実として自分の成長を裏付けるのです。

 たとえゲーム内であったとしても、人から褒められるのは嬉しいことです。「ロケット団を追っ払ってくれてありがとう」。幼い私の心にはそんな言葉でさえ響くものです。とはいっても、この要素はどんなゲームにも大抵備えられていますけどね。

終盤:挫折と困難を乗り越える

 四天王は誰の目にも明らかな難関です。ゲーム内のキャラクターも再三にわたってそれを教えてくれますし、実際に挑戦してみると、これは今までとは違うなと感じるわけです。特にゲーム性を完全に理解していない子供ならなおさらです。

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 私自身、赤緑や金銀をプレイしているころは、四天王を倒すのに必死になっていました。初めて目の前がまっくらになり、チャンピオンロードで泣く泣くレベルあげをしたことを覚えています。だからこそ、勝てたときの嬉しさはひとしおでした。

 ポケモンのゲームに、必勝の攻略法はありません。なぜなら、ここまで到達する間に、人それぞれのパーティが組みあがっているからです。

 フーディンがいるからシバとキクコは楽勝だけどワタルに勝てない等と、自分が抱えている問題点は他人のそれと一致するわけではありません。カメックスに冷凍ビームの技マシンを使うことがこの場合の最適解かもしれませんが、ヒトカゲを選んだ友達にとってこの解はそもそも選択肢にありません。

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 目の前の課題に対して、自分なりの答えを用意して、試行錯誤の末に解決する。これほど達成感が得られることがあるでしょうか。ポケモンのゲームは表層的なゲームの楽しさではなく、深いところで達成感を与える仕組みになっているのです。

クリア後:終わらない自己実現の旅

 ポケモンのゲームに明確な終わりはありません。ラスボスを倒しても、自然な形でゲームが続いていきます。他のゲームに目を移してみると、ラスボスを倒した後にエンディングが流れ、結局倒す前の地点に戻ってしまうものや、それ以上の追加ステージがないため実質的にゲームが終わってしまうものが多かったのではないかと思います。最近はそうでもなくなりましたが。

 ポケモンには言わずもがな、ポケモン図鑑を完成させるというなかなか難しい大目標が用意されています。それに加えていろいろとやりたいことが出てきます。手持ちのポケモンをすべてレベル100にしたくなります。友達とバトルすると、バトルに勝ちたいという欲求も生まれます。縛りプレイをする人もいました。

 そして、ポケモンの持つちょっと不思議な世界観は、裏ワザの検証に僕らを向かわせます。たとえば金銀のウバメの森のほこら。幻のポケモンセレビィの存在が映画を媒体にして知らされると、どうやってセレビィに出会えるのかと僕らは躍起になりました。「きんのはっぱ」と「ぎんのはっぱ」を集めると登場するなどといった噂がどこからともなく流れてきては、私たちを熱狂させ、そして失望させました。

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 四天王を倒した後に何をするのかは、私たちの自由でした。私たちは自分なりに課題を見つけ、それに対する解決策を探しました。与えられた課題をただこなすだけではないこの過程は、もっともクリエイティブな活動だと言ってしまってもよいと思います。

 私たちは小学生にして、ここまで述べてきたステップを自然に駆け上がり、この高みにたどりつきます。今まで固めたきた土台を元に、自己実現の旅を続けるのです。

まとめ

 お気づきの通り、筋の通った説明にするためにマズローの欲求階層説になぞらえて論を展開してみました。ちょっと強引だと思われたかもしれませんが、このフォーマットは説明がしやすいのです。

 先進国で暮らしている限り、1段目:生理の欲求、2段目:安全の欲求、3段目:社会的欲求は、ゲーム以外のところでたっぷりと満たされています。その前提のもとでポケモンのゲームは自分自身の投影である主人公が、4段目:承認の欲求、5段目:自己実現の欲求を追い求める旅そのものであると主張させていただきました。

 世界中の人々にゲームがヒットした理由を考えるにあたって、人類に普遍的な切り口が必要だろうと考えたのです。文化や習慣は思った以上に深く僕らの趣向性に根ざしています。それらを超越したヒットの理由を仮説を立てるに当たっては、人類に普遍の欲求が一番理にかなっているのではないかと考え、この説をまとめてみた次第です。

 もちろんこれがポケモンのゲームがヒットした要因のすべてではないと思っていますが、ちょっとでも面白い分析だと思ってもらえれば幸いです。

 さて、Pokémon GOはここで説明した要素をどれぐらい持っているでしょうか。スマホ用に最適化されているはずなので、一部は省略されているかもしれませんね。ですが、位置情報やARといった今までにない技術が、ポケモンを次のステージへと引き上げるゲームになっていたらいいなと期待しながら待つことにします。

 

画像は「ひこちゃんず!」さんのものを使わせていただきました。

http://hikochans.com/

 

以前書いたポケモンについての文章たち

 Pokémon GOを開発しているNiantic社の社長のお話を直で聞く機会があって、そのお話がとても面白かったことを書きました。

 

 ポケモンの世界でモンスターボールがどのように売られているかを分析したネタ話です。 


 ポケモンで冒険を繰り広げてきた私たちに、怖いものはありませんね。

 

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