理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

仕事で上手く怒れる人間になりたい

 最近職場で怒っている人を立て続けに見ました。怒りというのは仕事を進める上で大事な感情だと思いましたし、上手く怒れる人間になりたいものだなと思いました。

 

1人目

 他部署の数人の怠慢により自分の作業に迷惑がかかっている。それに関して怒り、Slackの公開チャンネルに強い口調で注意を書きこんでいる

 

二人目

 自分のやりたい仕事を進めていたのだが、チェックする部署からストップをかけられた。それに関して怒り、その部署の担当者に強い言葉で詰め寄っている。

 

三人目

 とある仕事を依頼されたのだが、その仕事を受ける適任の人が他にいると感じている。その人をないがしろにするような依頼の仕方に関して怒り、担当者になぜそのような進め方をしているのか冷静に詰め寄っている。

 

四人目

 部下が取引先の不手際を馬鹿にするような発言を社内でしていた。実際は不手際があったのはその部下の方なのに、それを棚に上げている。部下の今後のためにもそのような発言は慎むように強い言葉で説教している。

 

仕事における感情の取り扱い

 企業というのは利益を追求するための組織です。お金を稼ぐことが唯一の目標です。僕は社会人になってもうすぐ丸二年が経つのですが、企業で働いている人の感情もものすごく大事な要素だなと思うようになりました。

 自分が、「こういうものがあったら良いな」と思えるものを提供する仕事に関わっているとやる気が湧いてきますし、もっとこうしたら良いのではないかというアイディアが湧いてきます。逆に自分がやりたくない仕事をするときはパフォーマンスが落ちてミスが多くなります。自分の仕事を上司から褒められたり、ユーザから良いフィードバックがあったりすると嬉しくなり、ますますやる気が出ます。逆もまたしかり。面白い、楽しい、嬉しい、つまらない、不愉快、悲しい、などなど働いている人の感情によって仕事の結果は大きく変わってくるのだなと思うようになりました。

 僕はゲーム会社で働いているのですが、ロジックを立てようがデータを分析しようが大ヒットするゲームを作るための決め手を掴むことはできないと思っています。答えのない世界です。だから僕の会社では作っている人たちが面白いと思うかどうかが重要視されます。特大のホームランとなる作品はロジックを超えた先にあると社員がみんな感じています。この雰囲気が僕は大好きです。

 大学院で研究をしているときとは大違いです。大局的な見方をすれば、どのような研究をしてどのように社会に役に立ちたいかという面で、研究者自身の志のようなものはとても大切になると思います。ただ、短期的な目線では、論文を書くのに感情という要素はほとんど影響を与えません。データを収集し、分析し、そこからロジックを立てる。感情が入る余地などほとんどありませんでした。だから感情の取り扱いというのは、会社に入って二年たった今も慣れない分野の1つです。

感情は大事。だけど怒ることは難しい

 冒頭の怒りの話に戻ります。感情は仕事を進めるうえで大事です。怒りの感情も尊重されるべきだと思います。ただ僕は怒鳴り散らしている人を見るのがものすごく苦手です。全く自分に関係がなくとも、目の前に怒っている人がいると胃がズーンと重くなってしまいます。

 冒頭の一人目と二人目を見たときは不愉快でした。一方で三人目と四人目を見たときは全く不快な気持ちになりませんでした。

 その違いは、僕の好き嫌いも多少は影響しているのだと思いますが、怒りの感情の表出の仕方にあるのかなと思いました。怒りの感情の持つ強さを理解したうえで、冷静にそれを行使しようとしているなと思ったのです。

 自分は怒っているのだと伝えるのは、怒鳴ったり強い言葉をぶちまけたりする必要はないと思います。それは言葉で伝えることができます。三人目と四人目の怒りも、相手にはちゃんと通じているように見えました。

 そして怒りの感情が伝わると、重大に受け止めてもらえます。悪用するのは良くないですが、きちんと伝えなければならないときには絶大な威力を発揮するものだなと思いました。

上手な怒りの使い方を習得したい

 怒りの感情についてこのような文章を書こうと思った理由の一つに、僕自身は怒りの感情を行使するのがとても苦手だなと思っているからです。

 そもそも僕は怒ることが人より少ないのではないかと疑っています。他の人の心の中に入り込んだことがないので確たる証拠など何もないのですが、冒頭で書いた三人目と僕は実は全く同じ立場にありました。三人目の人は怒っているのに、僕自身は特に何にも感じていなかったのです。怒るべき場面で怒りの感情が湧いてこないというのは実は良くないことなのではと思いました。僕は周りに対する興味が薄いのかもしれません。他の人が何をしようと、自分に関係がないなら知らんぷりをする。そんな傾向が強いのかもしれないなと思いました。

 第二に、僕は怒りの感情を表に出すのが苦手です。本当に腹が立つことがあると、ぶすっと不機嫌になってふさぎ込んでしまう。怒りの感情が上手く周りに伝わらないし、いざ伝えようとしてもネチネチとした攻撃になってしまう。

 怒りの感情を使わずに仕事を進めることはできると思いますし、僕はそちらの方を目指していこうと思っているのですが、時には必要だとも思います。そんなときに、冷静にこの強力な感情を使っていきたいものだなと思いました。

 

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仕事系の雑記 

 

怒っていい! ? 〈誰にも嫌われない〉〈相手を傷つけない〉怒り方

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グレイテスト・ショーマン感想/ミュージカルを見るためだけの映画

最初はネタバレなしです。

 

 

 映画「グレイテスト・ショーマン」を見に行ってきました。2018年2月26日時点で、日本での興行成績は2週連続のナンバーワン。僕の周りの人の中にも、面白かったという人が数人いたのでどんなものかと気になったので。19世紀に活躍した興行師P.T.バーナムの成功を描くミュージカル映画です。

 

 僕の目にどのように映ったかを端的に表現するならば、「ミュージカルシーンをひたすらにカッコよく見せるため、それ以外の部分を割り切っている映画」となります。

 サーカスが舞台なのでミュージカルシーンはとにかく演出が派手でした。ただ踊るだけではなく、いろいろな舞台装置をからめた演出は見ていて「すごい…」以外の感想が出てきませんでした。楽曲の種類がすごく多いおかげで見ていて飽きず、それでいて1つ1つの曲が素晴らしかったです。お腹いっぱいになれる映画でした。

 一方で、ミュージカル以外の部分はお世辞にも素晴らしいとは言えなかったです。特に僕のような斜に構えた見方をする人間にとっては。しかし、そんなことは些細なことだとねじ伏せるだけの腕力のある映画でした。その結果として素晴らしい興行成績がついてきているのではないかと思いました。

 

 

 

 

 

以降はネタバレありです。

 

 

 

 

 

とにかくシンプルなストーリー

 開始15分ぐらいで物語の大枠が見えてきます。その段階で僕の頭の中には、とってもベタな起承転結が思い浮かびました。どのように期待を裏切ってくれるのか楽しみに見ていたのですが、結局その起承転結の通りになってしまいました。そのぐらい、言ってしまえば面白味のないストーリーでした。

 この映画、誰も予想外の動きをしません。キャラ通りの動きをして終わり。実話に基づいているとはいえ、実在のP.T.バーナムがやったことに少し脚色を加えているわけですから、もう少し裏表のある人物を登場させてもよかったはずなのに。物語をドラマティックに見せようとする意思があまり感じられないのです。

 敵は敵で、味方は味方。新聞記者のベネットや妻チャリティの両親は最初から最後まで立ち位置に変化がない。ニューヨークの地元の人々も石を投げ続けるだけ。物語は敵役の動きによって奥行きが出るものだと僕は思っているのですが、敵役が薄っぺらいので厚みがありません。

 メインキャラクターの心の機微が見えにくい映画でもありました。「あなたと一緒になりたいけどそれは無理なの」と歌っていたアンの想いはいつどのように変わったのでしょうか。成り上がりだと仲間外れにされて嫌になってしまったバレエに対する長女キャロラインの想いはなぜ変化したのでしょうか。同じような幼少期を過ごしたことでリンドとバーナムには通じ合うものがあったはずなのに、そこは結局掘られぬままケンカ別れで終わってしまいました。

 伏線にできそうなアイテムはそこかしこに転がっているのに、わざと見えていないふりをしているかの如く無視されていきます。逆に徹底的。物語を物語らしく見せる気がそもそもないのかなと思いました。

メッセージの中途半端さ

 物語の序盤で、身体的に特徴のある人たちを集めてバーナムはサーカスを興します。ひとりひとりの個性を輝かせようじゃないかというメッセージが宣言されます。いまの時代に合った素敵なテーマです。しかしそれをずっと貫いていく映画ではありませんでした。

 中盤は家族の愛、家族の大切さというテーマが示されます。自分は成功や報酬を追い求めすぎたと後悔したバーナムは、家族の元へとひた走ります。そこに、前述の「個性」の話はありません。ひたすら、家族はやっぱり大事だよねというポイントに終始します。

 最後のシーンはバーナムの残した名言で締めくくられます。これがまた「個性」とも「家族」とも関係のないメッセージ。「THE NOBLEST ART IS THAT OF MAKING OTHERS HAPPY.」。芸術とは、エンターテインメントとはどういうものかを表した言葉でした。もちろん映画の中では表現されていたテーマではあるのですが、強く主張されるテーマではなかったはずです。最後を締めるのはそっちの方向で良かったんだっけ?という疑問が残りました。

取りつく島もない映画

 上でごちゃごちゃと文句をつけましたが、とにかくミュージカルを目に焼き付けよという映画だったのだなというふうに消化しています。ミュージカルに関係ない部分はノイズであり、ひたすらに削ぎ落としていくストイックさを感じました。そしてその戦略は見事に当たっているのだと思います。

 この映画の2時間は歌とダンスのための2時間。日常の嫌なことは忘れて、圧倒されて帰ってほしいという心意気を感じました。事実見ている間はとても楽しかったですし、もっといろんな曲を見ていたかったなと思いました。ただただぼうーっと眺めるために、2回目を見に行ってもいいかもと思ったぐらいです。

 ラ・ラ・ランドはストーリーを分析して語る余地がありました。ネットでもいろんな人がそれぞれの持論をぶつけていたものです。一方グレイテストショーマンは、語りたい人種の人間が語りたくなるようなことを意図的に排除した、取り付く島もない映画と評することはできないでしょうか。語る余地がないのでネットが荒れず、変に悪い評判が流れることがありません。一方ポリコレ問題にはかなり配慮がなされている映画でした。それも、無駄なツッコミをさせないためのバリアなのかもしれません。見たい人が気持ちよく見て帰ってこられる映画。そう考えると素晴らしい映画を作ったものです。ハリウッドはやはり懐が深いなと思いました。

 「これで数字をとれちゃうんだからちょろいもんだよなあ」なんてぼやいてみたくもなります。

 

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その他の映画の感想。

 

 

グレイテスト・ショーマン(サウンドトラック)

グレイテスト・ショーマン(サウンドトラック)

 

 

 

すべての引っ込み思案に「内向型人間」という考え方があることを知ってほしい

 最近読んで救われた気分になった本があります。僕と同じ属性の人たち、すなわち理系人間、ゲーム好き、オタク気質の方には響く人がきっと多いと思って紹介します。

内向型を強みにする

内向型を強みにする

 

 研究よりも仕事で異常に疲弊してしまう自分

 本のタイトルを見ればあるどのような本なのか程度察しがつくと思います。控えめで引っ込み思案な自分があまり好きになれない人、自ら前に出て行って自分の主張を展開することや、大勢の輪の中の中心人物になるのが苦手な人に読んでほしいです。僕もそういう人間の1人ですが読んでよかったなと思いました。

 また、他人と一緒にいるのは嫌いではないけど、仲の良い友人でさえ長時間一緒にいると疲れてしまう。1人の時間が好きで、1人の時間がないと生きていけない。僕は自分のそういうところを、人間として何らかの欠落なのではないかとさえ思ったことありました。でも、そうではないのかもしれないと思えるようになりました。

 冒頭で「救われた気分になった」と大げさなことを書いたのは理由があります。社会人になって丸二年が経過しようとしていますが、自分は仕事をすると疲れ果ててしまうことを少し不思議に思っていました。大学院生のときに朝から晩まで研究をしているときとは疲れの度合いが全然違うのです。実働時間をみたら研究の方が断然長かったのにもかかわらずです。

 社会人1年目のときはただ単に慣れていないだけなのだと思っていましたが、2年目になっても特に大きな変化はありませんでした。大好きなゲームに仕事として関われるようになったのに、自分はこの仕事に向いていないのではないかとさえ思うようになりました。そんなときにこの本を読んで、仕事で疲弊してしまうのは自分のひとつの特徴であって、人間として劣っているわけではないし、転職したところでどうにかなるものではないな、と思うようになりました。

 この世の中には内向型の人間と外向型の人間がいるというのが本書の主張です。人間の心理に関することなので1から100まですべてが正しいとは思いませんし、すべてを妄信しようとは思わないのですが、この考え方を知れてだいぶ心が軽くなりました。序盤だけでも読んでみてください。僕と同じように救われる方がきっといると思います。

内向型人間と外向型人間

 すべての人間は内向型と外向型に分類することができ、それは0か1の離散的な分類ではなく、連続体上のどこかにプロットされていて、どちらに寄っているかの程度の差であると本書は主張します。僕なりに解釈して作った図ですがおそらく下図のようなことを言いたいのだと理解しています。Aさんはちょっとだけ内向型で、Bさんはかなり外向型だといった具合です。

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 内向型/外向型の一番大きな違いは、エネルギーの蓄え方/消費の仕方にあると書かれています。内向型であればあるほど、自分の内側にエネルギーを求める傾向にあり、外の刺激に接するとエネルギーを消費してしまう。逆に外向型の人は自分の外側にエネルギーを求め、自分の内側の世界にいるとエネルギーを消費してしまう。

 以下は本書における内向型の人のエネルギーの傾向を説明した一文。

内向型の人のもっとも顕著な特徴は、そのエネルギー源である。内向型の人は、アイディア、感情、印象といった自身のなかの世界からエネルギーを得ている。彼らはエネルギーの保有者だ。外の世界からの刺激に弱く、すぐに「もう手一杯」という気持ちになる。これはイライラ、あるいは、麻痺に似た感覚なのかもしれない。

 逆に外向型の人を説明した一文。

では、外向型の人のもっとも目立った特徴はなんだろう?それは、外の世界、つまり、さまざまな活動や人や場所や物からエネルギーを得ている点だ。彼らはエネルギーの消費者なのである。長時間、のらくらしたり、自己反省したり、ひとりで、もしくは、ひとりの人を相手に過ごしたりすると、彼らは刺激不足におちいる。

 エネルギーの「保有者」「消費者」と書きわけると内向型の方がすごい人間に見えるのですが、おそらく日本語のニュアンスの問題です。内向型/外向型のどちらが優れているというわけではないと書かれています。ただ単に違うだけなのだと。このエネルギーの理論がすごく腹に落ちるので好きになりました。

なぜ自分は仕事で疲弊してしまっているのか

 本書の分類によれば、私は典型的な内向型の人間です。15問ほどのチェックリストが掲載されています。(今までの人生から、チェックするまでもなく自分のタイプを知っている人が多いのではないかと思いましたが)

 大学院生として研究をしているときと、ゲーム会社に就職して仕事をしているときと、明らかに疲れの度合いが違っているのはなぜかという問題に立ち返ってみます。内向型/外向型の理論に照らしてみると注目すべきポイントは明白です。研究はひとりで行い、自分の頭の中で理論をこねくり回していた(=自分の内側の世界で活動していた)のに対して、仕事はたくさんの人とコミュニケーションを取り合いながら進めていく(=外側の世界から刺激を受けながら活動する)ものということです。頭を使うという点ではどちらも同じなのですが、僕の気質からいってエネルギーの消費の度合いが段違いであると考えることができます。

 「この仕事に向いていないのではないか」という問いに対する答えとしては、サラリーマンとして働く以上、どんな会社に転職しようとエネルギーを消費して疲れてしまうことには変わりがないだろうと予測をつけることができます。大学教授でさえ、様々な人とコミュニケーションを取りながら仕事をしているのを研究室で見てきましたから、たとえ大学に残って研究の道を志していたとしてもこの問題にはぶち当たっていたことでしょう。

 エネルギーの充電方法に目を向けたときもこのエネルギーの理論は僕に当てはまっているなと感じています。まさにいまこのようにブログを書いているという行為は、自分の内側に目を向け、自分の精神世界を掘り進んでいることですから、僕にとってはエネルギーが充電されることになります。最近は銭湯に行ってサウナでぼーっとするのも好きですが、それも同じ。逆に人が大勢集まるイベントに行くと、せっかくの休日なのにかなり疲れた気分になっていたのは、外からの刺激を受け取ってエネルギーが消費されてしまっていたからなのでしょう。

違いが生まれる理由

 本書では内向型/外向型の違いを脳科学から説明しようと紙面が割かれています。ここでは内向型/外向型という考え方があることを知ってほしいと思って文章を書いているので、あまり深く立ち入ることはしません。

 着目しているポイントは主に3つ。

・内向型の人は外向型の人よりも脳を流れる血流が多い

・支配的な神経伝達物質に違いがあり、それが流れる経路の長さに差がある。内向型の人の方が経路が長く、ゆっくりとした反応をしがちである。

神経伝達物質の差により、内向型の人は副交感神経優位であり、外向型の人は交感神経優位である

 この3点の違いによって、様々な気質の差が生まれているとのこと。脳科学には明るくないので特にコメントをつけようとは思いませんが、理論と実験結果に基づいているということはわかりました。

内向型の人間としてこれから意識してみようと思ったこと

1人の時間を意識的に確保すること

 昔からなんとなく1人の時間が好きだなと思っていました。本書の理論によれば、僕は1人の時間にエネルギーを蓄えていたことになります。好きとか嫌いとかの次元ではなく、自分は1人の時間を確保しないとエネルギーが切れてしまう気質なのだと考えてみることにしました。

 大勢の人とコミュニケーションをとりながら朝から晩まで過ごすと、終盤にぷっつりと糸が切れたように何も考えられなくなる経験を昔から何度か経験しました。仕事で初対面の人との打ち合わせが続いた日もそうです。本書の理論で言えば、エネルギーが切れてしまった状態と言えるのでしょう。そういうことが起きる気質なのだと意識していきたいなと思います。

今の社会は外向型の人が有利になるようにできているということ

 この本では、全人類の75%は外向型だと書かれています。内向型の人間は4人に1人しかいないマイノリティ。社会はマジョリティが有利になるような仕組みを持ちますから、自分は少し不利な立場にあることを自覚する必要がありそうです。

 何かにつけてコミュニケーション能力やリーダーシップが重要視される世の中です。研究者やエンジニアでさえ、コミュニケーション能力を問われます。組織で働くのならチームの一員として結果を出す必要があります。1人で黙々と作業することしかできない人間は、AIにとって代わられるかもしれません。そういう時代であることをきちんと認識していきたいと思います。

 また、外向型の人は内向型の人の行動や考え方を理解できないかもしれません。両者は正反対の気質を持っています。周囲の人間に変なヤツだと思われないためにも、自分の気質を理解して、いざというときに説明できるようにしておくことも大事なのかなと思っています。

自分を理解し、肯定すること

 自分の引っ込み思案なところや、人と関わり続けると疲れてしまうところは、人間的に劣っている面だと思っていました。しかしそういう気質なのだと捉えると諦めがつきます。努力をすれば解決できるものではない、と。だから無理に自分の嫌なことをする必要もないのだと考えることにしました。自分と仲良く付き合っていくためにも、これからも自分自身のことを観察して、自分がどういう特性を持っているのか理解に励みたいと思いました。

 逆に自分が好きなことや得意なことを、自信を持って好きだと言えるようにしたいなとも思いました。自分の内面を探りながらこうやって文章をひねり出す作業は、実は外向型の人にとってはあまり好きになれない行為なのかもしれません。でも僕は好きです。だから続けていきたいなと改めて思いました。

 ただ、「自分は内向型だから・・・」と変に言い訳の材料にしたくないとも思っています。人とコミュニケーションをとることが嫌いなわけではないのです。上手に自分と付き合っていきたいなと思います。

 

 

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その他、研究とか理系とかについて書いてます。

ハイカライブ@闘会議2018現地レポ - イカアイドルが壊す電子の壁

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http://www.4gamer.net/games/368/G036835/20180210054/より

 

 ニコニコ闘会議2018で行われたスプラトゥーンの音楽イベント「ハイカライブ」に現地参戦してきました。最高に熱いステージで大盛り上がりすると同時に、任天堂の仕掛ける戦略のすごさに圧倒された1日となりました。

 二次元のキャラクターがパフォーマンスする音楽イベントって果たして盛り上がるのだろうかと現地へ行く前は懐疑的だったのですが、価値観をズドンとひっくり返されました。新しい音楽イベントの片鱗を見た気分です。現実と仮想の境界はどんどん曖昧になっていくのだなと感じました。

ざっと流れを簡単に(セットリストも)

 最初はスプラトゥーン2のお馴染のゲーム画面からスタート。テンタクルズの二人、ヒメとイイダがいつも通りのテンションでアナウンスをしてくれます。「今日のステージはここ!(幕張メッセが写される)。」「大きなハコだなー!」みたいな。この時点で面白い。

 そしてステージに貼られた透明スクリーンに二人が出てきます。もう、登場しただけですごい。この二人、ぬるっぬるに動く!滅茶苦茶可愛いし、カッコいい。そして近いぞ!

 ヒメとイイダは4曲。

1. ウルトラ・カラーパルス

 フェス時のハイカラスクエア広場のBGM。始まりにふさわしい。「ヘイッ!ヘイッ!ヘイヘイ!」で1発目から大盛り上がり。ここから3曲はフェス時のナワバリバトルのBGM。

2. リップル・リフレイン

 ヒメちゃんの王冠ぴょんぴょんダンスとソロラップが超クール。

3. レッド・ホット・エゴイスト

 イイダさんの肩掛けキーボードがロック!

4. フルスロットル・テンタクル

 2人が煽るもんだからフルスロットルで腕をぶん回し。楽しかった!

 お次はシオカラーズの2人、アオリとホタルの登場。スプラ2のヒーローモード(1人プレイモード)が全部伏線となって、ここで回収されるわけです。客席からあがる「おかえり~!」の声に感動。

5. あさってcolor

 スプラ2のヒーローモードのエンディング曲。しっとりバラードでちょっとクールダウン。演出がずるい。涙する人多数。

6. 濃口シオカラ節

 1でも2でもヒーローモードのラスボス戦のBGM。二人の代表曲。体がぴょんぴょん飛び跳ねる!

 そして最後は4人そろって

7. イマ・ヌラネバー!

 「ラーラーララーラーラー」の大コーラスで締めとなりました。

彼女たちはゲームのメインコンテンツではない

 スプラトゥーンをプレイしていない人は驚かれるかもしれませんが、今回パフォーマンスを披露した4人はゲームの主人公ではありません。メインのシューティングバトルにも登場しない、いわばゲームの説明役。身も蓋もない言い方をすればサイドコンテンツの1つでしかない彼女たちが、ゲームの枠を飛び出し、あんなに大勢の観客を熱狂させていたのです。もうびっくり。

 スプラトゥーン1を開発している段階では、こうやって音楽イベントを行うことはイメージできていなかったかもしれません。一方スプラトゥーン2で登場したヒメとイイダは明確にこのステージを意識して作られたキャラだと思いました。イイダがDJだという設定しかり、ふたりとも激しい動きに映える格好をしていることしかり。ヒメの王冠がぴょんぴょんするのがとっても可愛かったです。

 ここまでの壮大なビジョンを持ってゲームを開発できるというのが本当にすごいところだなと思いました。メインコンテンツではない彼女たちの存在で、ゲームの中も外も盛り上げることができている。こんなことができているゲームが他にいくつあるでしょうか。

彼女たちはイカ語しか話さない

 ヒメとイイダ、アオリとホタルのパフォーマンスで大盛り上がりのステージになりました。しかし、この4人は日本語をしゃべりません。英語でもない、イカ語。エフェクトがかかっているので電子音のように聞こえる謎の言語。公式のイカ語の歌詞はありますが何を言っているのか誰にもわかりません。

 ステージが始まった直後、それはデメリットになるのではないかという考えが僕の頭をよぎりました。どんなメッセージを発しているのかわからないのに、本当に盛り上がることができるのだろうか、と。せめて字幕を載せたほうがいいのではないか、と。でもそれは杞憂でした。

 ヒメとイイダの1曲目。2人の繰り出すラップとダンスに僕の目は釘づけ。周りの熱狂につられて腕を振り上げていました。英語のラップを聞くように、意味がとれなくてもカッコいいものはカッコいい。字幕なんてついていたら気がそがれていたことでしょう。

 イカ語を貫くことでスプラトゥーンが1の時代から築き上げてきた世界観はきちんと守られました。あの世界に日本語はない。任天堂はしっかり守るべきところを守るブランドマネジメントが本当に得意なんだなと思います。

 そして、海外の人も同じようにあのステージを楽しむことができていました。英語のコメントもよく入っていたように思います。イカ語は世界共通語。変に日本語を使ってしまうとのけ者にされている感じがすると思うんです。

 ゲーム開発に携わっている僕からすると、ゲームを開発する上でもあの方式は都合が良いんだよなと感心しきりでした。音声は全言語共通にできて、ゲーム内テキストだけローカライズするという方法。フルボイスよりもよっぽど楽です。最近はスマホゲームですら有名声優のフルボイスをつける時代ですが、世界の任天堂はそういう流行りに乗らず、彼らならではの答えを見せつけてくれました。

 セットリストの最後の楽曲では、コーラスパートがありました。曲に入る前に一緒に歌ってねとアオリから説明してもらいました。いままでイカ語で歌っているのを聞いていただけだったのが、ここでようやく僕らも歌うことができる。しかも、アオリとホタルだけでなくヒメとイイダも一緒に。本当に胸が熱い展開でした。やっと一緒に歌える。電子の壁を超えて、ステージと観客が一体となった瞬間でした。

ゲーム音楽であるということ

 なぜイカ語で歌われる楽曲で盛り上がることができるのかということをもう少し考えると、あの楽曲たちがゲームのBGMとして使われている曲だからという見方もできると思います。特に2, 3, 4, 7曲目ですね。

 スプラトゥーンのバトルは1回3分。その短いスパンでステージのBGMを繰り返し繰り返し聞くことになります。バトル中は相手を撃ったりステージを塗ったりすることに夢中なのですが、音楽は無意識の領域に刷り込まれているのだなと思いました。演奏される楽曲はどれも聞き覚えがあって盛り上がりのタイミングもわかるし、自然と体が動くのです。楽曲自体のカッコよさを再発見する場にもなりました。

 もちろん、全くそのままのBGMを流していたわけではありません。演奏はバンドの生演奏だったので、バンドサウンドに映えるようにアレンジがしてありました。観客の僕らも大盛り上がりのアゲアゲなアレンジで、合いの手が入れやすいような工夫もされていて最高でした。

 最後の7番目の楽曲はスプラトゥーン1と2の両方に採用されている楽曲。片方しかプレイしていない人もみんなわかるし、みんなコーラスに参加できる。ゲーム音楽ってすばらしいなと思いました。

ゲームならではの奥行とバランス感覚

 このライブ自体ゲームを下敷きにしたものですし、シオカラーズの2人が”戻ってくる”というのはスプラ2のヒーローモードから地続きになった展開です。選ばれた楽曲もゲームでの展開に繋がっていますし、2人がすれ違いになってしまうことを表現した演出もその一環。

 でも、その演出は押しつけがましくないのです。知らない人、気付かない人はさらっと流せる程度の軽やかさ。ゲームの中から飛び出してきたということで、バックグラウンドは豊かです。コアファンが喜ぶものを作ることは意外と簡単です。でも、ドロドロに濃いものを作りあげるのが正解では決してない。そのバランス感覚をきちんと理解されて作られたステージだなと思いました。

 ゲーム音楽のフェスなのです。ゲームを少しプレイしたことがあって、BGMを知っていれば盛り上がることができる。それでよいではありませんか。その配慮も素晴らしかったなと思います。

枯れた技術の細部に神は宿る

 使われている技術自体は新しいものではありませんでした。初音ミクがパイオニアとなって切り拓いてきた道です。踏み固められた道を堂々と歩いていくいつもの任天堂のやり方だなと思いました。

 新しくないとはいえ、あのクオリティを担保するのは簡単ではないでしょう。音楽と映像が0.1秒でもずれたら観客はだいぶ違和感を覚えるはずです。しかも演奏は生のバンドによるもの。映像は調節できません。完璧に合わせるしかない世界。すばらしいコンビネーションでした。

 キャラクターたちの動きも素晴らしかったです。ステージ上を自由自在に動き回り、手を振り回し、複雑なステップを踏む。イイダは途中で肩掛けのキーボードを演奏していましたが、おそらく指の動きまで妥協せずに作り込まれていたのではないかと思います。

 ダンスの振り付けもとっても良かった。アオリとホタルはヒメとイイダよりも腕が長い分、腕を繊細に動かす振付が意識的につけられているように見えました。逆にヒメは小さい体をめいっぱい動かすパワフルなダンス。キャラにも合っていて素晴らしかったです。

 帰ってから動画を見返してみると、さらなる発見があって2倍楽しめました。二人がステージ上でちらっと目くばせしたり、最初アオリがやたらオドオドしていたり、細かい演出がたくさん。会場にいると前の人のペンライト等で細かい部分まで見えなかったのです。神は細部に宿っていたのですね。

二次元の歌姫の未来

 再三言及していますが最後の楽曲でコーラスを要求したり、途中で「盛り上がってる~?」と呼びかけをしてきたり、アーティストさながらジャンプや手拍子を要求してきたりと、観客とのコミュニケーションにも積極的に挑戦していたのも印象的でした。

 彼女らは映像。観客の反応は見えません。将来的にはリアルタイムでAIが判断しながらパフォーマンスを行うなんてことも実現しそうではありますが、いまはそんなことはできず、観客を置いてけぼりにして冷めてしまうリスクさえある行為です。でも、チャレンジを怠りませんでした。

 ステージと観客との掛け合いはライブの醍醐味。ファンである僕らもステージを作り上げている一員だという意識で、積極的に参加していく必要があるのかなと思いました。それはアーティストのライブのときのなんら変わりません。みんなでライブを作っている。たとえそれが二次元キャラであってもです。

 今回は前列にいらっしゃった方が振付に合わせてサイリウムの振り方を変える流れがすぐにみんなに広まって、非常に一体感のある客席になりました。初めてライブで演奏された曲ばかりなのに、この順応性はすごいなと思いながら。今後ハイカライブがあったときにもきっと団結して最高のライブを作り上げることができるなと確信しています。

 そんなことを考えると、現実と仮想の境界はどんどん曖昧になっていくのだなと思います。安室奈美恵さんのライブと、テンタクルズのライブ。はたから見みると天と地ほど差があったとしても、観客の体験に一体どれだけの差があるでしょう。「2次元のアイドルにブヒブヒ言っている気持ち悪いオタク」という像はこれからも少しずつ崩れていき、いずれ市民権を得ていくのではないかと思いました。天下の任天堂が踏み込んでくれば流れが変わります。僕らの心の中にある電子の壁はいずれ壊れる。未来が顔をのぞかせているステージでした。

 

 

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【2/14追記】

公式動画がYoutubeにUPされましたね!


スプラトゥーン2 ハイカライブ 闘会議2018

 

 

その他、ゲームについて。

 

 

Splatoon 2 (スプラトゥーン2)  Nintendo Switch 対応
 

エポスプラチナカードのインビテーションが来たけど年齢不相応かなと思った話

 エポスカードのプラチナカードへのインビテーションが来ました。いろいろ考えた結果今回は見送ろうかなと思っています。インビテーションが来るまでの使用歴と、そう考えるに至った理由を書きます。誰かの参考になるかなと思って。

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使用歴

2016年1月:ノーマルカード使用開始

2016年10月:ゴールドへのインビテーション

2017年12月:プラチナへのインビテーション

 

 エポスゴールドカードはなかなかお得なカードだと聞いていたので、インビテーションを目指して可能な限りすべての支払いをエポスカードで行っていました。毎月の使用金額は10万円~20万円。ゴールドへのインビテーションは10か月で累計100万円ぐらい使ったら来ました。

 ゴールドカードにランクアップしてからも同様の生活を続け、1年ほど経ってからプラチナへのインビテーションが来た形になります。

エポスプラチナカード

 インビテーションを受けて申し込むと、エポスプラチナカードの年会費は2万円になります。ちなみにゴールドカードはインビテーションを受けると年会費無料。

 エポスカードのWebサイトによると、プラチナカードの魅力は以下の4点だそうです。詳細なスペックは他のまとめサイト等をご覧ください。 

 

・全国の一流レストランでご優待

・グレードアップしたボーナスポイント

・お誕生月ポイント2倍

・上質な旅をサポート

断ろうと思う理由

 端的に言うと年齢不相応だと思ったからです。プラチナカードのサービスは素晴らしいものなのだと思いますが、僕はまだ25歳。素晴らしさを十分に享受できる立場にありません。40歳だったら結果は変わっていたかもしれません。

 

・全国の一流レストランでご優待

 頻繁に一流レストランで食事ができるほどお金の余裕はありません。今後しばらくは年に1回か2回、プライベートでの特別なイベントで使うぐらいになりそうです。会社での立場が高くなれば、接待利用もあるかもしれませんがそれもまだ先の話。あまり活用できないなと思いました。

 

・グレードアップしたボーナスポイント

年間ご利用金額

ボーナスポイント

100万円以上

20,000ポイント(2万円相当)

200万円以上

30,000ポイント(3万円相当)

300万円以上

40,000ポイント(4万円相当)

500万円以上

50,000ポイント(5万円相当)

700万円以上

60,000ポイント(6万円相当)

900万円以上

70,000ポイント(7万円相当)

1,100万円以上

80,000ポイント(8万円相当)

1,300万円以上

90,000ポイント(9万円相当)

1,500万円以上

100,000ポイント(10万円相当)

  上の表のようにポイントが加算されるとのことです。ちなみにゴールドカードであっても、年間100万円以上の利用で10000ポイントのボーナスがあります。

 現在は年会費無料のゴールドを使っていて、年間10000ポイントをゲットできています。年会費2万円のプラチナカードで同等のリターンを得るためには、年間200万円以上利用が必須になります。

 改めて自分のマネーフォワードの家計簿データを眺めてみて、今後しばらくはカードの支払いで年間200万円を超えることはなさそうだなと思いました。カード以外の支払いも含めて、年間300万円ぐらいしか出費していなかったので。

 これに関しても、年齢があがってくればそれだけ出費も増えてくるわけですから、年齢不相応だなと思わざるを得ません。年間で500万円ぐらいカードで払う生活をしていれば、プラチナに申し込んだ方がお得になるのに。残念です。

 

・お誕生月ポイント2倍

 大きな出費を控えていれば魅力的だったかもしれませんがそういった予定は立っていません。それに、これだけの理由でプラチナに切り替えるほどポイント2倍は引きが強くはないかなと。特定の月に一気に出費をする趣味があれば有効活用できそうですが、残念ながらそういった趣味もなく。

 

・上質な旅をサポート

 魅力的かどうかは置いておいて、これが1番プラチナカードっぽいなと思いました。

 目玉は空港のラウンジで利用できるプライオリティパスに無料で登録できること。通常は年会費が399ドルもかかるそうなので、これだけのために年会費2万円を払ってもペイできる代物です。

 その他にもVISAプラチナの多様な特典が利用できるようです。旅行保険、サポートデスク対応、ゴルフ場やレストランの優待券などなど。

 自分の場合、これらの特典の利用頻度は高くなりそうにないなと思いました。たまに海外出張はありますが、月に何往復もするほどではありません。ラウンジ利用はカッコいいですが、ゴールドカードでも入れるラウンジもありますし。また、ゴルフもしないし旅行にたくさん行くわけでもないのでそっち方面の恩恵も活用しづらいわけです。

というわけで

 つらつら書いてきましたがとにかく年齢に不相応ということに尽きます。サービス内容を否定しているわけではなく、今手に入れても活用できなさそうだなと思って断ろうかなと。

 年間の利用額だけを見て機械的にインビテーションを送っているのだと思いますが、そうやって発行数を増やすと逆に価値が毀損しそうな気がするのですがそういうものではないのかなあ。

 しかもインビテーションには有効期限があって、2か月以内に申し込むかどうか決めなくてはいけないという。焦らせるための期限設定だと思うのですが逆効果な気がします。2,3年後に生活のステージがガラッと変わって申し込みたくなるかもしれないのに。もったいないなと思いました。

 何度かインビテーションが来たという話も聞いたので、良きタイミングで再度インビテーションが来たら検討します。

 

更新情報はTwitterで。

 

 

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Shadowverseの優勝賞金1億円宣言はe-sports界にとって事件である

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画像:https://twitter.com/shadowverse_jp/status/944904542499385344より

 

 2018年12月に行われるShadowverse/シャドウバースの世界大会の優勝賞金が100万米ドル(1米ドル=110円換算で1億1000万円)であることを開発・運営元のCygamesが発表しました。まだあまり話題になっていない印象なのですが、とてつもないインパクトを秘めていると思います。一人のプレイヤーとして心が震えました。

 世界のe-sports界において大きく後れを取っているシャドウバース、および日本という国が、はるか先を行く先人たちにケンカを売れる最も単純で効果的な方法がこれなのです。超高額の優勝賞金を出すこと。Cygamesは本気でこの世界に殴り込んでいくことを高らかに宣言した形になりました。

 100万米ドル(1億円)がどのぐらいすごいか簡単に比較してみます。シャドウバースよりも2年先にリリースされ、世界中に多くのプレイヤーを抱えるハースストーン。賞金を獲得したプレイヤーの賞金額の累計ランキングが出ています。執筆時点の最終更新は2017年12月17日となっています。

Hearthstone: Heroes of WarCraft Prize Pools & Top Players - eSports Profile :: e-Sports Earnings

 1位はロシアのPavel選手で累計32万米ドル。ハースストーンは世界各地で様々な規模の大会が開かれていて、上のページによると賞金が出ている大会は656個もあるそうです。しかしそのハースストーンのナンバーワンプレイヤーの累計獲得賞金額を、シャドウバースはたった1つの大会で上回ってしまうことになります。事件だと思いませんか。

 アナログのカードゲームとも比較してみましょう。一番の老舗であるMagic The Gathering (MTG)の累計賞金獲得ランキングはこちら。2017年8月23日までのデータとなっています。

TOP 200 ALL-TIME MONEY LEADERS | MAGIC: THE GATHERING

 1位はブラジルのPaulo Vitor Damo da Rosa選手で累計44万米ドル。上のページによると1996年の大会からカウントしているということで、歴史の長さを思い知らされるわけですが、シャドウバースの100万米ドルはMTGのナンバーワンさえも凌駕してしまっています。このランキングで6位にランクインしている日本人のMTGプレイヤーである渡辺雄也選手もこんなツイートを出しています。

 

※もちろん、1個の大会で1億円以上の賞金が出るゲームはいくつかあります。特に本場米国のシューティングゲーム。シャドウバースが世界ナンバーワンになったと早とちりするのはダメです。

 

 1億円の大会が開かれるのは今からちょうど1年後です。賞金額を発表したことで、この1年でシャドウバースにどのようなメリットがもたらされるのか、そして解決すべき課題は何なのか、もう少し掘り下げていきたいと思います。

メリット

・大会の参加者が増える

 1億円がかかる世界大会に出場するためには、日本一決定戦で優勝か準優勝するなど、前哨戦となる大会で上位に入る必要があります。1億円につられたプレイヤーたちは、参加資格が手に入る大会にこぞって応募することになり、各大会の参加者数が増えます。

・大会のレベルが上がる

 他のゲームで好成績を残しているプレイヤーが賞金目当てに参戦してくることが予想されます。シャドウバースはスマホゲームとはいえ40枚のデッキを使って戦うカードゲームです。長い歴史を持つアナログのトレーディングカードプレイヤーも黙ってはいないでしょう。

・アプリのダウンロード数・売り上げが増える

 今までシャドウバースをプレイしてこなかった人が興味を持つということですから、アプリのダウンロード数と売り上げの増加が見込めます。アナログのカードゲームを新たに始める場合、カードを購入し対戦相手を見つけなくてはいけないというハードルがあるのですが、アプリゲームの場合はスマホ1台あれば気軽に始められます。2,3万円ほど課金すれば組みたいデッキは組めるようになるでしょう。希少価値の高いカードを探す手間もありません。

・日本のe-sports界にインパク

 「プロライセンスを持っているプレイヤーにしか賞金を渡せない」みたいなことを言って、いまだに制度作りの段階でもめている日本のe-sports業界。その団体に対して、「あなた方と足並みを揃える気はない」「あなた方とは描いている絵の大きさが違う」というCygamesからのメッセージになったのではないかと思います。プロライセンスを発行するゲームのなかにパズドラとモンストがあるのも背景が透けて見えそうな感じ。仲間割れをしてほしくはないのですが、大きなことをやれる企業が率先して道を拓いていってくれていると捉えれば、日本のe-sports界にとってはプラスとなるのではないでしょうか。

・世界のe-sports界における存在感の発揮

 世界中のゲームを見渡しても高額な賞金を出すゲームに突如名乗りをあげたシャドウバース。今までは世界における存在感はほぼゼロだったわけですが、これで一気に注目度が上がると思います。シャドウバースが今後どのような展開をしてくるのか、世界中のゲーム会社が多少は気にするようになるのではないかと思います。もしかしたら賞金金額をアップするゲームが出てくるかもしれません。そうなれば、世界のe-sportsの発展がより加速していきます。

解決すべき課題

・ゲームバランス

 シャドウバースが一番問題を抱えているのはここだと思います。ネットでここを指摘する声もよく見ます。「上手い人や練習を積んだ人がちゃんと勝てるゲームになっているか」「たまたま運が良かっただけの人が勝ちあがってしまうゲームになっていないか」ということです。

 一因となるのはカード1枚1枚の強さのバランスが悪いこと。強いカードが異常に強い場合、そのカードを引いたら勝ち、引けなかったら負けという単なるくじ引きのようなゲームになってしまいます。リリース初期はこの傾向が強く、多くのプレイヤーがシャドウバースを見限って去っていきました。最近はだいぶ改善されてきて大会も非常に盛り上がるのですが、更なる改善は必須であり、もし必要であればシステムの大幅見直しも視野に入れなくてはいけないと感じています。

 12月末に大型アップデートが予定されているため、そこでゲーム性が大規模に調整され、バランスが整えられるかもしれませんね。

・予選参加資格

 大会の予選に参加できるかどうかは、現在は完全ランダムの抽選方法になっています。強豪プレイヤーが抽選に落ちて、1試合もすることなく1億円への道を閉ざされる可能性が危惧されています。僕も3回応募したことがあるのですが1回は落ちました。

 ここを改善することで、1つ上で述べた問題の解決にもつながります。実力がある人だけが大会に参加できるようにすれば、負けた方も文句は言えません。ゲーム内で一定の成績を収めていることを条件にすれば、大会のレベルをあげることにもつながりますし、アプリそのものへのエンゲージメントも高まります。そのようにできない理由があるのかもしれませんが、検討の余地はあると考えています。

・競技性とソシャゲとしての側面のバランス

 ゲームバランスを改善して競技性を大幅に高めていくと、今度はソーシャルゲームとして取っつきにくくなってしまうという問題が表面化してしまいます。「弱い人は強い人に全く勝てなくなる」というのは競技の面では完全に正しいのですが、ソシャゲとしては必ずしも正しい運営方針ではありません。カードゲームに慣れていないユーザは壁にぶちあたってしまい、あるところから先に進めなくなる人が増えるはずです。

 基本プレイ無料のゲームは多くのユーザを抱えることで、数%の課金ユーザからお金をとるだけでアプリを運営しています。競技性を突き詰めすぎた結果、すそ野が狭まってしまう可能性があります。

・持続性

 2017年度のCygamesの純利益は133億円だったそうです。

参考:Cygamesは黒字133億円、AbemaTVは赤字191億円 サイバーエージェント子会社決算まとめ - ITmedia NEWS

 1個の大会の優勝賞金だけで1億円出すことになったわけですが、この金額は純利益の約1%を占める大金。おそらくどこかからスポンサードを受ける算段がついているのだと思いますが、それにしても高額な金額です。来年度以降も継続的に同規模の大会を開き続けることができるでしょうか。スポンサーに逃げられたらおしまい、という風にはなってほしくありません。この部分はCygamesの経営手腕と交渉力に期待するしかないのでがんばって欲しいところです。 

 

 

 まだ優勝賞金額が発表されただけなのですが、思わず盛り上がってブログを書いてしまいました。更なる続報に期待したいと思います。

更新情報はTwitterで。

 

e-sportsとしてのシャドウバースの現状については以前にも書いています。こちらもよかったらぜひ。


 

その他ゲームについて

ゲームを通じて承認欲求を得ようとするあまり義務感を覚えてしまう問題に関する一検討

 ゲーム会社で働いていると「興味をそそられるわけではないけどプレイしなくてはいけないゲーム」が目の前に現れることがあります。義務感を感じながらのゲームプレイは苦痛に変わりやすく、ゲーム自体の面白さによらず心が躍らないことが多いです。そのゲーム自体に罪はないので余計に悲しくなってしまいます。

 

さて、本題へ。

 

 ゲームをプレイしてくれているユーザをTwitterで観察しているとユーザが自ら義務感を背負い込みにいっているような光景を目にします。

 そのゲームにおいて有名になりたいという気持ちから、長時間プレイすることを自分に課している人たち。ゲーム専用のSNSアカウントを作ったり、ゲーム実況を配信したりしていて、ネット上で存在感を発揮するためにたくさんゲームをプレイしている。有名になるためにはとにかくプレイ時間を延ばさなければならない。ある種の悲壮感を感じせる人もたまに目にします。

 一方で、他人にプレイを強要するような発言をしている人を見かけることもあります。「ガチ勢を名乗るのであれば1日5時間以上のプレイは当たり前」「1か月2万円の課金は義務」そんな発言を見ると悲しくなります。そのゲームを熱心にプレイしてくれているのに、熱心になるがあまり周りに悪影響を及ぼしてしまっている。

 スマホゲームを中心に、ゲーム内で他人とつながり、影響を及ぼし合うシステムを採用するゲームが増えてきたことが、このような現象の発端にあるのではないかと思います。誰が悪くて、どうすれば解決するのでしょうか。そもそも、これは解決しなくてはいけない問題なのかもはっきりしません。僕が頭に描く状況を一旦図示してみます。

 

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 図の上の方ではユーザとゲーム会社の間でwin-winの関係が築けているのにも関わらず、最下段ではlose-loseの関係になってしまっています。というわけで、気になった点を、ユーザの目線とゲーム会社の目線で見ていきたいと思います。

①ゲームで承認欲求を満たそうとすること

 承認欲求に関して、ユーザ目線での議論です。

 SNSの普及によって、ゲームを通じて他人からの承認を得ようとする行為を目にすることが増えました。「自分はこのゲームでこれだけすごい成績を収めているからすごい」。そういう発言をしている人を見ると、誰かに認めてほしいのだなと感じることがあります。

 それに対して、ゲームやネットなどに頼らず、物理的に自分の手の届く範囲にいる人との関係性の中で承認欲求を満たすべきだという考えを持つ人がいます。もちろん理解はできます。できるのであればネットに頼らず、ありのままの自分を承認してもらった方が健全だと思います。

 一方で、現実に居場所がない、ゲーム以外に熱中できるものや自慢できるものがない等の理由から、ネットやゲームの世界に居場所を見出している方が大勢いるのも事実。僕もひとりのゲーマーであり、ネット上でこうして文章を書き散らしている酔狂な人間のひとり。こういった人たちが否定されることは自分の一側面が否定されることであり、あってはならないことだと思っています。「逃げ場所」「セーフティーネット」と書くとネガティブなニュアンスも含むわけですが、そういった役割を果たしていることを簡単に否定してほしくはありません。

 ポジティブな面に目を向けたときにも、ゲームをプレイすることで有名になりたいという気持ちを大いに肯定したいと思います。例えばゲーム実況はYoutuberが扱う一大ジャンルです。Youtuberの存在感は日に日に増していて、広告メディアとしてどの業界も無視できる存在ではなくなっています。彼らを承認欲求モンスターだと切り捨てるべきだとはもはや誰も言えないはず。

 また、E-sportsのプロプレイヤーはゲームをプレイすることでお金を稼いでいます。大きな大会で勝ちあがることで有名になった彼らに対して、承認欲求がどうのこうと言うのは見当違い。

 「ゲームで有名になって一体何があるんだ」という問いを突き詰めると、Youtuberやプロプレイヤーの存在すらを否定することになりかねません。もちろん話は複雑で、「認められたい」「有名になりたい」「視聴者数を増やしたい」「お金を稼ぎたい」「一番になりたい」といった欲求はそれぞれ異質のものであり、一緒くたにできるものではありません。しかしゲーム産業のこれからの発展を念頭に置いて、あえてこれらの感情をすべてひっくるめて肯定していく姿勢が必要なのではないかと考えています。

②プレイヤーによるコミュニティ

 コミュニティに対して、ユーザ目線の議論です。

 基本的には①と同じ議論です。ゲーム好きが集まってできたコミュニティは大切にすべきものです。

 ここで議論の的になるのは、他人にプレイを強要するようなプレイヤーの存在。「毎日ログインしていない人は強制退会」「ランキングで上位に入れなかったら罰ゲーム」。どんなゲームであってもこういう発言をする人を目につきます。血気盛んな若者に多いですが、大人だって例外ではないと思います。

 コミュニティの質を高めることで所属メンバーが得られるメリットを大きくしたいという目的があるのだと思います。情報共有という実利の面しかり、他のプレイヤーからの目線という承認欲求的な面しかり。しかしゲームはやってもやらなくてもいいものです。ゲームプレイに義務感を与えた瞬間、それは退屈なものに変貌する可能性を持ちます。楽しんでプレイすることが一番良いのは当たり前のことです。

 人にプレイを強要する人は、そういったことをきちんと理解しているのかもしれません。理解しているにせよ理解していないにせよ、彼らは選ばれた人間による特別な集団を形成したいと考えている。これはもはやゲームが云々という話ではなく、人間が集団をどのように形成し、どのように運営していくかという話になる気がします。ゲームから話題が逸れますのでこの議論はここで畳みます。人間の業は深い。

③ゲームを頑張りすぎること

 過度にゲームを頑張ってしまうことについて、ユーザ目線の議論です。

 ゲームが面白いからついつい長時間プレイしてしまう。これは全く悪いことではありません。幸せな状況です。どのようなモチベーションでプレイしているかが問題で、純粋にゲームを楽しんでいるのならばいいのですが、①②で議論したようなところに突き動かされてプレイすると良くない結果を招きがちだなと僕は思います。

 多くの人にとってゲームは趣味、楽しむものです。たまには、何故自分はこのゲームをプレイしているのだろうと振り返る瞬間があってもよいのかもしれません。ゲーム以外にも、この世界には面白いものが満ち溢れている。無理にゲームをする必要はどこにもありません。ゲームによって人生を破壊されるなんてことがあってはいけません。 

④ゲーム内コンテンツの量の管理

 ③と同じく過度にゲームを頑張ってしまうことついて、ゲーム会社目線の議論です。

 ユーザがゲームを頑張りすぎてしまうということは、たくさんプレイする余地があるということです。これは1人プレイで完結しているゲームに関しては全く議論する必要のない側面で、各々が自分のペースでプレイしてゴールを目指せばよいだけです。

 一方で、スマホゲームに限らず、昨今のゲームは他人と繋がる要素が至る所に入っています。自分のゲームの進み具合が他人に影響することが多いです。自分よりゲームが遅れている人からはメリットが得られないことが多く、進んでいる人たちからは邪険にされがち。対人対戦ゲームであれば、カモにされてしまうので早く強りたいと思うことでしょう。他人とつながるゲームをプレイするうえでは他人に遅れないことが重要になってきます。

 ゲーム内のコンテンツ量が多ければ多いほど、進んでいる人と遅れている人の差は大きくなってきます。従って悲しい想いをする人の数も増えます。しかしコンテンツの量を少なくしてしまうと、熱心にプレイしている人がコンテンツを消費しつくすタイミングが早くなり、満足度の低下・ゲームからの離脱・基本プレイ無料のゲームであれば売り上げの低下を招きます。(基本プレイ無料のゲームはユーザ全体のボリュームゾーンと課金ユーザのボリュームゾーンが異なるように設計されているため、そもそも構造上に無理があることは否めませんが...。)

 ゲーム会社にとってはコンテンツ量を多くすることに越したことはありません。ですが、多すぎると弊害をもたらす可能性があることを、頭の片隅に置いて開発・運営を進めるべきだと思います。たくさんのコンテンツを用意しておいて順次開放していくなどの工夫は必ず一度検討すべきでしょう。開発費用や開発期間の問題もあるので、必ずしも量を減らすことはデメリットではないはずです。

 対人対戦ゲームにおいてはマッチング機能の改良によって、上位と下位が対戦しないようにすれば基本的にはOKです。ユーザが少なければ上手くいかないこともありますが。

⑤課金やガチャに天井を設ける

 お金の面でユーザが疲弊してしまうことについてのゲーム会社目線の議論です。

 これは課金要素のあるゲーム限定の議論であり、かつ、非常に一般的でよく聞く話です。ユーザが頑張りすぎるあまりお金を投入しすぎて疲弊するという課題は、金額に上限を設けることで簡単に解決できます。スタミナ制を導入したスマホゲームであれば、時間の面も同様に解決可能です。

 もちろんゲーム会社から見れば、上限を設ければ売り上げが減ります。売り上げ減少という痛みをとってでも、ユーザが健全にプレイすること、そして社会からの批判的な目線をやわらげることを目指すのか、という単純なトレードオフの話です。ゲーム業界全体で、引き続き議論を重ねていくべき課題です。

終わりに

 抜けている目線もあるかもしれませんが、自分が感じたもやもやを整理してみました。ユーザ各々がゲームとのちょうどよい距離感を模索し続けること、そしてゲーム会社がユーザに健全に遊ばれるゲームの形を模索し続けること。両者の努力によってゲームという文化が発展していくことを願っています。

 

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その他、ゲームについて書いたこと。