理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

異様に忙しかった期間を乗り切ってほっと一息

 6月末が納期の仕事を抱えていて、ここ1か月ぐらい非常に忙しい毎日を送っていました。その仕事が一段落して、ほっと一息つきながらこの文章を書いています。

 振り返ってみると働き過ぎで危険な領域に足を踏み入れていたように思います。自分はこういう風になってしまうのだなというのが興味深かったので、書いておこうかなと思います。会社に不満があるわけではないので、訴訟の材料にしたいわけではありません。 


 

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 業務量が多くて退社が深夜になる日が続きました。朝から晩まで仕事に追われ、次から次へとやるべきことをこなし、気付いたらお昼ご飯を食べるタイミングを見失っていることもしばしばでした。

 春に異動したばかりなので、仕事のやり方がしっかりと理解できておらず、知らないことにぶつかることも多かったです。そのたびに上司に聞きにいかねばならず、時間をとられましたし、誰かに教えを乞うことによる多少の心理的負担が積み重なりました。

 納期に間に合わせるために社内の手続きを短縮しなければならず、関係部署には多大なる迷惑をかけました。部署間に溝があるわけではなく事情を察して調整してくれる職場ではあるのですが、迷惑をかけていることには変わりはなく、怒られることもありました。とにかくぺこぺこ謝るしか僕にできることはありませんでした。

 休日出勤だけはしませんでした。ただ、結婚式や遊びの予定がたまたま多く入ってしまって、気が休まる時間があまり取れなかったのも良くなかったように思います。趣味に回せる時間が極端に減りました。

 上司が自分のことを気遣って心配してくれているのは心の支えでした。業務を進める上でもかなり守ってもらいました。この状態で上司に厳しく当たられていたら、さすがに折れていたかもしれません。

 

 

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 7月に入って一区切りついてみると、緊急事態だったのだなと思うことがいくつかあります。

 まず、忙しいころは食欲が落ちていたのだなと気づきました。最近やたらとお腹がすくので、昼ごはんも夕食もきちんと取るようにしているのですが、忙しい時期は食べなくても平気でしたし、そもそも何かを食べたいという欲求自体が減退していたように思います。一日の摂取カロリーが明らかに基礎代謝を下回っているような日もありましたが、短期間なら意外となんとかなってしまうのだなと、いまになって驚いています。

 睡眠時間を減らしても、短期間なら仕事に支障が出ないのだなというのも発見でした。帰宅時間が遅くなっていたため、眠りにつく時間が遅くなっていました。しかし朝起きたときに、眠気よりも納期が迫ってくる焦りが勝ってしまい、目がしっかり覚めてしまっていました。最近はやたらと眠いです。朝起きたくないし、昼に居眠りしそうになることもあります。張りつめていたものが緩んでいるのでしょうね。ついでにですが性欲も落ちているようでした。

 

 

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 重い仕事の納期が重なっているタイミングがあるので、今後さらなる山場がくることが確定しています。ここでこうやって振り返っておくことで、無事に乗り切るための糧にしたいところです。

 体のいろいろな部分で異常が出ていたのは、ストレスが主要因だったと思います。忙しい中でも運動をしっかりして、ストレスを発散するべきだなと思いました。6月は一回もジムにいけなかったので。

食事にも気を付けたいです。ただでさえ実家から出てきて食事の栄養バランスが崩れているのに、食べる量も減ってしまっているのが本当によくなかったと思います。お金がかかったとしても、健康的な食事をとるようにしたいです。

そして良く眠ること。睡眠時間が減ってしまうのなら、せめて寝る前はスマホやPCを見ないようにして、睡眠の質を上げたいです。

 

 

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  最近この本を読みました。人間の幸せとはなんなのだろうと考えさせられました。今回書いたみたいに社畜的に過ごすよりは、狩猟採集の時代の方が幸せだったのではないかと。。。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

  

 

 こういう文章を4月に書いていましたね。このころは多少余裕がありました。 

 

 自分は内向型人間なので他部署の人に迷惑をかけてまで謝るということがかなりストレスなのです。 

 

 

【支配から自由へ】映画評:ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー

  ハン・ソロスターウォーズ・ストーリーズを観てきました。本国アメリカでは興行成績が振るわず、評判は芳しくありません。

 僕個人としても、同じスピンアウト作品である「ローグワン」比べると見劣りしてしまう作品だなというのが正直な印象です。スターウォーズ作品の1つであるということと、ローグワンがすごく気に入ったことが相まって、期待をしすぎたかなと思いました。迫力のアクションシーンと最後まで気が抜けない展開は、映画としては一級品だと感じました。キーラさんがとても美しかったです。

 以降ではネタバレをしながら思ったことを書いていきます。

 

 

 

 

 

以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

支配から自由になること

 今作にテーマを1つ設けるなら、「支配から脱出して自由になること」なのかなと思いました。終盤でキーラが言う「人はみな誰かに従っている・支配されている」というような趣旨の発言が一番印象に残っています。ソロがチューバッカに自由になりたいかと尋ねるシーンも印象的でした。

 作中において、主人公のハン・ソロの行動の動機は、劣悪な環境の惑星コレリアから脱出することでした。脱出の途中で恋人のキーラと離れ離れになってしまったせいで、彼女を助け出すことに変わり、さらにキーラと偶然再会したのちは、キーラを自由にすることに変わります。自由になりたい、自由にしたいと願う若者の物語でした。

 この作品の時間軸は、エピソード3と4の間。ジェダイがほぼ全滅し、帝国の力が強まっている時代です。いたるところに搾取と抑圧がはびこり、支配を受ける者がたくさん描かれています。

 故郷にいるときのソロはレディ・プロクシマに支配されていました。彼は帝国軍に入ると軍律に支配されるようになり、奴隷として支配を受けているチューバッカに出会います。ケッセルで鉱石採掘をしている作業員たちはソロたちの活躍で自由の身になり、L3-37はドロイドの自由と権利を主張します。盗賊団エンフィス・ネストは帝国の抑圧に反乱を企てていました。支配と自由が繰り返し描かれていきました。

 支配を受けていることに対して諦めて折り合いをつけているキーラと、そこから助け出したいと思っているソロのすれ違いは見ていて悲しいものがありました。エピソード4,5,6では自由で気ままな宇宙の荒くれものとして活躍したハン・ソロにこんな過去があったとは皮肉なものです。逆に、この経験があったからこそ、彼は何にも属さず一匹狼として賞金稼ぎをしていたのかもしれません。彼の原点を知れる物語でした。

ソロは勝ったのか、負けたのか

 キーラを助け出したい、一緒になりたいと願って一生懸命になっている若き日のハン・ソロ。最終的に彼の願いは届かず、彼は負けたことになります。

 しかしこの作品では、その敗北に対して打ちひしがれたり、涙を流すソロが描かれることはありませんでした。ましてや、ラストはミレニアムファルコンを手に入れて、意気揚々ジャバザハットのもとに向かうシーンで幕を閉じます。いかにもハッピーエンドのような終わり方。それで良いんだっけ?という違和感が残りました。

 もちろん、原作を見てきたファンは知っています。ソロはレイアという新しい恋人を手に入れ、そこにキーラの姿も影も一切ありません。この作品では、ソロはミレニアムファルコンとチューバッカという相棒を手に入れるということ以外に、エピソード4に繋がる事実はないので、最後のシーンはアレで完璧です。でもでも、1つの映画作品としてそれで良いのかという疑問が残りました。

 キーラはソロを裏切ったものの、彼のことを想って何度も助けてくれています。そんな彼女がなぜ最後に船をひとりで発進させてしまったのか、それをソロは深く考えるべきではなかったのか、と。

映画として分かりやすい構造ではない

 上で書いたようにソロの行動原理はキーラを助けたいということだったので、この作品での敵キャラはキーラが使えているドライデン・ヴォスということになります。だけどドライデンはソロに仕事を与えた雇い主であるため、明確に主人公と対立する悪役キャラにはなりません。しかもドライデン自身も大きな組織の一員であることが再三語られるため、何が真の敵なのか直観的につかみにくい構造になっています。

 ローグワンも含め、スターウォーズシリーズでは帝国が倒すべき悪としてわかりやすく描かれるため、正義と悪の関係性を掴みやすいです。この作品はその点が異質で、今までと違う印象を受けました。

 敵がはっきりしないため、起承転結も明快ではありません。アクションで一番すごいなと思ったのは氷の惑星の列車の上での戦いだったのですが、ストーリーラインで言えばあのシーンはそれほど重要な場面ではありませんでした。どこが一番の盛り上がりポイントなのかが掴みにくい作品でした。

 いろいろ理由はあると思いますが、本国の興行成績が振るわない理由の1つに、そもそも映画として分かりやすく面白いものになっているかどうかという観点があるのかなと思いました。1本の映画としては、僕はちょっとイマイチだったかなと。

スターウォーズシリーズの一作品として

 この作品で描かれているのは、ハン・ソロがいかにしてハン・ソロになったのか、というところであって、本筋に直接的に影響を与えるものではありませんでした。一方ローグワンでは、デススターの設計図を入手するという非常に重要な作戦が描かれていたため、失敗してはならないという緊張感をびしびし感じました。ハン・ソロはそういう緊張感に欠けた物語だったなと思います。彼のキャラクターに合っているとは言えるのですが。

 ただ、キーラとダースモールの関係をなぜ最後にあえてほのめかしたのか、というところは今後に期待したいところです。意味のないシーンにわざわざ時間をつかうなんてことはしないはず。どこかでこの伏線が回収されることを祈ります。

 ネットで見つけた仮説ですが、キーラはフォースの素質をダースモールに見いだされ、最終的にエピソード7,8,9のレイの母親になるという説は面白いなと思いました。ソロと離れ離れになっていた3年間、フォースの暗黒面の修行を受けていたから真実を告げられなかった、と。

 スピンアウトが本筋に関係してくるとは思えないので、ファンの妄想に過ぎないとは思いますが、頭の片隅においておこうかなと思います。

 

 

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再三語りましたがローグワンの感想はこちらです。 

 

 ついでにエピソード7と8も。

 

 

 

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー オリジナル・サウンドトラック

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27歳。第一次結婚ラッシュがきた

今年で27歳になります。6月は結婚式に呼ばれることが多かったです。毎週のようにスーツを持って地元に帰りました。結婚ラッシュが僕の周辺にやって来たようです。

 大学卒の人で社会人5年目。大学院卒で社会人3年目。生活の基盤が固まってきて、結婚に踏み切る人が多いのでしょう。特に、学生時代から付き合っていたカップルがめでたくゴールインというケースが目立ちます。(正確に言うと高卒で就職した人たちの結婚ブームがあったのですが、残念ながらコミュニティが違ってそれを肌で感じることはありませんでした。)

 学生時代の1つのコミュニティの中で出会った男女が付き合って、結婚まで至る。なんと幸せなことなのでしょうか。一片の曇りもない幸せで満ち溢れた結婚式は、とてもとてもまばゆいものでした。同じコミュニティに属していた自分は、新郎新婦両方と知り合いで、両方の物語を知っている分、彼らが結婚という1つの節目を迎えたことを本当に心から嬉しく思いました。

 

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 さて、目の前でゴールインをしているあのカップルがお付き合いを始めたとき、同じコミュニティにいた自分も、構成員のひとりと付き合っていました。たしかに、そのはずです。妄想ではありません。彼らがこうやって節目までたどり着いているのに対して、自分は何をしているのでしょうか。

 彼らが成し遂げたことを、自分はできなかった。何故だろうという問いかけが、心の片隅に巣食っているのをのぞき込みます。自分に何か欠陥があるのではないかと、不安に苛まれる瞬間、ふと立ちすくんでしまいます。

 

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 この不安を解消するためには、将来をお互いに約束できる相手を見つけさえすればよいはずです。しかし、仕事が僕の目の前に、大きな壁となって立ちふさがります。ソイツを言い訳に、僕は出会いを探す努力を怠っています。このままじゃいけないと思うものの、仕事で疲れ切った自分に、一歩踏み出すためのきっかけを探すエネルギーはありません。

 地方から東京に出てきたものだから、交友関係の地盤も貧弱。かといって社内はリスキー。言い訳をならべて、勝手に八方ふさがりの気分に浸ってしまっています。

 

 さてさて僕の将来はどうなるのでしょう。結婚式ラッシュの中でふと考えてしまいました。この文章が、僕の黒歴史になる日が来ることを祈っています。

 

 

そういえば、大企業の内々定を蹴り飛ばしてベンチャーっぽい会社に就職することを研究室の教授に告げたら、「そんな会社じゃ結婚できないよ」と言われたことを思い出しまして。あの人を見返せない。

 

 

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 あと、結婚式のシーンから始まる物語も思い出しました。大好きな作品です。

肩ごしの恋人 (集英社文庫)

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人類の健康を巡ってスマートウォッチの戦いが起きると思った話

 今年のGoogleIOで発表されたプロダクトやビジョンの中で、気になっているテーマの1つが「健康」です。Googleはこの分野に積極的に進出してくるのではないかと思います。健康への人々の関心の高まりは、いずれお金儲けの源泉になるはずです。

Googleが次に狙う情報は

 Googleはもともと、世界中に散らばっている情報を整理することで人類にメリットをもたらすことを目指して作られた会社です。有名なGoogle社の使命。

Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです。

 人類をいまよりも健康にするという究極の目標を達成するために、なるべくたくさんの人の生体情報を集めようとするはず。ここでいう生体情報とは、僕たちの体に関するあらゆる情報ということにしておきます。いろいろな定義があると思いますので。

 単純な例ですが、Googleが世界中の人の生体情報を集めることで、病気になる可能性が高い人と低い人を正確に分類できるようになってくると思います。その情報を保険会社は欲しがるでしょう。病気になる可能性の高低に応じて保険料を設定することができるようになるからです。病院と連携し、日々観測している生体情報をGoogleがチェックしていて、異常を検知すると病院にかかることを勧めるシステムだって作れそうです。

生体情報の種類

 生体情報には様々な種類があります。

 体重は体重計に乗るだけで計測することができます。そこに身長を組み合わせてBMIを算出すれば、肥満なのか痩せているのか判断する指標にすることができます。お腹まわりを加えればメタボかどうかもわかります。

 血圧や脈拍、呼吸の状態などは毎秒変化していきます。機械を使用することで簡単に計測することができ、体の状態の判断に役立てることができます。

 血液や尿を検査することでわかることも多いです。採取して検査するという2ステップが必要で、検査結果が出るまでに時間がかかることもありますが、まだ簡単に扱える部類かなと思います。

 MRI診断などは専用の機械が必要で、簡単に計測できる情報ではありません。しかし体を輪切りにすることで得られる情報量は莫大です。

スマートウォッチが一歩抜きでているのでは

 どういう方法で、どの生体情報を集めると人類の役に立つことができるでしょうか。2つの評価軸があると思います。1つは健康への影響度。人間の健康の状態をよく表す情報ほど重要度が高く、集める価値があります。もう1つは、どれだけ簡単に測定できるか。たくさんの人からたくさんの情報を集めないと価値ある分析ができません。

 タイトルにある通りなのですが、僕はいま一番価値の高い生体情報を集めることができる機械として、手首につける腕時計型のウェアラブルバイス(スマートウォッチ)が他をリードしているのではないかと考えています。近い将来、どの会社のデバイスが人々の手首に収まるのかに注目が集まる日がくるのではないかと予想しています。

 理由の1つ目は集めることができる情報が多い点。僕がいま使っているfitbitは、歩数、消費カロリー、階段の昇降数、脈拍、睡眠時間を計ることができます。手首は血管が皮膚の表面に浮き出ているため脈拍などを検出しやすく、手の動きから歩数など体全体を使った動きもある程度調査できているようです。

 もう1つの理由は多くの人が購入し、計測に参加してくれる可能性がある点です。もともと腕に時計をつけるという文化が根付いているため、腕に時間を知るための機械をつけることに抵抗がある人は少ないです。つけているだけで勝手に情報を吸い上げてくれるため、検査機関に行く必要もないし、時間をとられることもありません。

手首を巡る戦い

 しかし実際問題、スマートウォッチは流行っていません。最初のデバイスが世に登場してからもう10年近く経ちます。スマートフォンのように誰もが1台身に着ける未来がくるのかは誰にもわかりません。

 いまはスマートウォッチを腕につけるメリットがあまりありません。Apple Watchも試していた時期がありましたが、スマホの通知を確認できるのがちょっと便利というぐらいの感想しかありませんでした。

 生体情報を取ることに特化しているFitbitにしても、蓄積した情報を閲覧するのは楽しいのですが、そこからの発展がいまはありません。次はどのような一手をうつつもりなのでしょうか。

 しかし、今まで書いてきたように、腕時計型のウェアラブルバイスはいま最も価値ある生体情報をとれる機械です。画期的なアプリケーションが生まれた瞬間、各社が人の手首をめぐって激しい戦いを繰り広げることになると僕は予想しています。

 

 

 

 

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最近忙しいので健康が気になり出したんですよね。。。 

社内で一番忙しい部署に異動して1か月

 僕の会社は異動が多く、2,3年に一度部署が変わります。この春で入社3年目になったので初めての部署異動があり、社内で一番忙しい部署に配属されました。

仕事が忙しい部署

 今度の所属部署は、外から見ているとなぜあんなに忙しそうにしているのか理解しにくい部署でした。自分が帰社するときにいつも人がたくさん残っている部署。働き方の効率が悪いのではと僕も思っていました。

 その考えは甘かったです。帰るのが遅いのは、仕事がたくさんあるから。この部署はひとりあたりが抱える仕事の量が桁違いに多い部署でした。当然のことでした。

 仕事の進め方の特性上、昼は社外の人と商談続きになります。それでいて、自分が社内でこなさなければならない作業の量も多いため、夜に残って作業をするしかない。商談で疲れているので、どうしても作業のスピードが落ちてしまう。だけど、やらないと仕事が前に進まないため帰れない。

 同時にいろんな案件を処理していくため、抜け漏れも出やすく、そのリカバリーにさらに時間を奪われてしまうことも多々あります。また、二人一組で仕事を進めていくため、片方の予定に引っ張られることもしばしば。

 忙しい部署には忙しいなりの理由がありました。こういう風に進めるしかない仕事だし、付き合うことになる他社もそういう業界なので合わせるしかない。

 なんだか言い訳がましくなってきたのでこの辺で。少しでもいいから変革に貢献したいと思います。

生活面

 異動してから勤務時間が長くなりました。お昼に打ち合わせが入ることも多く、昼食を抜くことが増えました。睡眠時間だけは死守していますが、そのために夕食を諦める日が増えました。

 もともと食べることに執着心がありません。自分の中で大切ではないものの時間がまずは削られていくのだなと思いました。ですが食べることは健康に生活していくうえでの土台。ぐらついてしまうとすべてが崩壊してしまうので、できるだけ意識をして栄養を摂取しなければと思っています。

 平日に趣味に回す時間がほとんどなくなりました。食べられないことよりもこちらの方が自分的には悲しいです。

 自分はゲームが好きでゲーム会社に勤めています。ゲームをプレイするのは趣味であると同時に仕事のアイディアを得る時間でもあります。他社のタイトルから刺激をもらったり、自社のタイトルから仕事のタネを見つけたり。そういう時間が減るのは二重の意味で苦しいなと思います。

 ソシャゲもコンシューマーゲームも両方やるのですが、特にソシャゲに関してはランキングに入る気力がなくなってしまいました。

 日本でこれだけソシャゲが流行っていることに対して、「日本人は忙しいから隙間時間でプレイできるソシャゲが流行った」という説を良く耳にしますが、この説に対して少し懐疑的になりました。時間をリソースにして戦うソシャゲが、忙しい日本人に流行るのかなと。時間のある人に負けて悔しい想いをするぐらいなら、ネットワークに繋がらないゲームの方が純粋に楽しめるのでは。

 最近はなんとか暇を見つけては、Switchのカービィに癒されています。ゲームボーイアドバンスぶりにカービィをプレイしたのですが、3Dのカービィはめちゃめちゃ可愛い。

星のカービィ スターアライズ - Switch

星のカービィ スターアライズ - Switch

 

 

モチベーション・精神面

 忙しいという話をすると字面は暗くなってくるのですが、仕事自体は楽しくこなしています。まだ3年目なのですが、今の部署は自分の裁量が大きく、自分であれこれ決められるのがとても楽しいです。

 自分で決めることが多いからこそ、仕事の量が多い。たぶんここは表裏一体。責任もあるのですが、チャレンジした結果失敗したことは評価してもらえる環境です。

 こういうモチベーションに繋がる部分の待遇が悪かったら、精神的にきつかっただろうなと容易に想像がつきます。ノルマを厳しく求められたり、失敗したら他の人の前で叱られたりする職場ではすぐに心が折れていただろうなと。

 良い人が多い部署です。忙しい中でも楽しみながら仕事ができます。何年もこの部署で戦い続けている人がいて、そういう人たちはこの環境に慣れてしまっている部分もあるのですが、なんとかこの状況を変えようと努力しているのも伝わってきます。外から入ってきた人間として、環境を少しでも変えたいと思います。がんばります。

 

 

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 自分が社外の人との打ち合わせで疲れてしまうのは、自分が内向型人間だということもあるんですよね。そういう話を以前書きました。 

リメンバー・ミー感想:子供の頃に観たかった温かな死生観

最初はネタバレなしで書きます

 

 幼いころ、「人は死んだらどうなってしまうのだろう?」という悩みに取りつかれた時期がありました。曾祖母のお葬式に出たとき、火葬場で骨だけになってしまった姿が頭から離れず、自分もいつかあのように無の存在となってしまう恐怖に打ちのめされました。もちろん両親も死を体験したことがあるわけではないので、僕の不安を打ち消せるわけもなく、ただただ困らせてしまったことを覚えています。

 あのとき、この映画があったらどうなっていたのだろうと考えずにはいられませんでした。子ども心に、この作品で描かれている世界はフィクションであるとわかったことでしょう。でも、分かったうえで救われた気分になっていたのではないかと思うのです。あの世界を信じて生きてみようと、幼き僕は心にそっと誓ったのではないかと。

 そう思えるぐらい、リメンバー・ミーを貫く死生観は素敵なものでした。生者は死者を敬い、死者は生者を想う。シンプルだけど温かいルール。死者の国はとても楽しそうで、死者たちはポジティブに暮らしていました。

 そして現世で悪いことをした人間は、死者の国で報いを受ける。宗教の教えの中で天国や死後の世界が題材にあがる理由が初めて分かった気がしました。善く生きることで死後の世界の安寧を得られる。悪事を働いてはならない。なかなか実感の湧きにくい教えを、全く説教臭さを感じさせずにリメンバー・ミーは表現してみせました。

 ネタバレを解禁する前にもうひとつ、このご時世にメキシコにスポットライトを当てるディズニーの懐の深さにも賛辞を贈りたいです。アメリカにおけるヒスパニック人口の拡大と、メキシコとの国境線に建設される壁。時流を捉えて、的確なタイミングで彼らの文化に光を当てています。ディズニーにかかれば、子供向け映画ですら単なる娯楽という枠をやすやすと超えてしまうのだなと思いました。ブラックパンサーもただエキサイティングなだけではない、メッセージのある映画に仕上がっていましたね。

 

 

ここから多少のネタバレを含みます

 

 

 

 

面白くて理解しやすいストーリー

 ストーリー展開の巧みさも光る作品でした。物語として純粋に面白かったです。最初から最後まで無駄なシーンなんて1つもなく、結末までとても自然に繋がっていました。ヘクターの言っていることは実は最初からほとんどが真実で、もう1度見直してみたくなります。それでいて、複雑ではありません。誰でもすんなりと理解することができて、登場人物の心の動きまで素直に読み取ることができるでしょう。

 ズートピアを見たときにも同じような感想を抱きました。このシンプルさはなかなか簡単に作ることのできないものなのだと思います。

 リメンバー・ミーという楽曲に込められている想いが見方によって変わるのも面白かったです。英語の”remember”は日本語で言うところの「思い出す」と「覚えている」の両方の意味を表せる言葉。作曲された当初は、故郷を離れるヘクターが「自分のことを覚えていてね」というメッセージを込めた歌でしたが、ラストシーンでは「思い出して」という意味が持ちあがってくる。

 

温かい涙が止まらないハートフルさ

 クライマックスのハートフルさは素晴らしかったです。こんなに温かい気持ちで涙があふれてきたのはいつ以来だろうと。

 ミゲルがママ・ココに歌いかけるシーン。非常に温かい光に満ち溢れた部屋での1コマは、グラフィックだけをみれば泣ける要素なんてほとんどありません。少年がしわくちゃの老婆に向けて歌っているだけ。でも、涙が止まらない。

 ヘクターが死者の国からの出国ゲートで検査を受けているシーンも、一見するとコミカルなシーンなのに、彼の心の内を想うとまた泣けてしまう。ラストは場面が切り替わっでも涙が止まらない展開でした。

ミゲルの才能について

 ミゲルのミュージシャンとしての技量について意図的にぼかされているような印象を受けたのも気になっているところです。

 血筋による才能であることを強調することはできたでしょう。でもそれをしてしまうと、世の中持って生まれた才能のある人間が強いという価値観に繋がる。逆に血のにじむような努力をしたということを強調すると、今度はスポ根映画のようになってしまう。表現のバランスに苦心したのではないかと勘ぐっている部分です。

 

 

 

 ミュージカル映画として語りたくなる人もいることでしょう。グラフィックの美しさについて一言述べたくなる人もいると思います。ガイコツたちのコミカルな動きも良かったですね。多面的で重層的な作品になっていて、どの面を見ても一級品に仕上がっている、アベレージの高い映画だなと思いました。

 

 

キャラは弱いのかもしれない。しかし。

 その一方で、キャラクターの弱さという点が気になりました。プリンセスは出てきませんし、かわいい動物やクリーチャーが活躍する話でもありません。普通の人間の男の子と、ガイコツたちのお話。商品化などの二次展開のイメージがあまり湧きません。

 しかし、ディズニーの内部でどのような議論があったのかは知る由もありませんが、彼らはこの作品にGOサインを出したのです。このキャラクターじゃないと成り立たない。グッズ展開等が難しくても、作品として世に問う価値がある出来に仕上がっていると判断したのでしょう。現にこの映画は世界中の多くの人を魅了しているわけです。すばらしいと思います。

 ゲーム会社で働いている人間として、この姿勢には畏敬の念を抱かざるを得ません。魅力的なキャラクターは映画やゲームを構成するとても重要な要素。ウケるキャラを作ることに力点をおいた結果、よくわからない世界観になっている作品をたくさん見てきました。改めて、世界で最も偉大なエンターテインメントのプロフェッショナル集団であることを見せつけられた気分です。

 

 

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その他映画の感想

  

 

リメンバー・ミー オリジナル・サウンドトラック

リメンバー・ミー オリジナル・サウンドトラック

 

 

仕事で上手く怒れる人間になりたい

 最近職場で怒っている人を立て続けに見ました。怒りというのは仕事を進める上で大事な感情だと思いましたし、上手く怒れる人間になりたいものだなと思いました。

 

1人目

 他部署の数人の怠慢により自分の作業に迷惑がかかっている。それに関して怒り、Slackの公開チャンネルに強い口調で注意を書きこんでいる

 

二人目

 自分のやりたい仕事を進めていたのだが、チェックする部署からストップをかけられた。それに関して怒り、その部署の担当者に強い言葉で詰め寄っている。

 

三人目

 とある仕事を依頼されたのだが、その仕事を受ける適任の人が他にいると感じている。その人をないがしろにするような依頼の仕方に関して怒り、担当者になぜそのような進め方をしているのか冷静に詰め寄っている。

 

四人目

 部下が取引先の不手際を馬鹿にするような発言を社内でしていた。実際は不手際があったのはその部下の方なのに、それを棚に上げている。部下の今後のためにもそのような発言は慎むように強い言葉で説教している。

 

仕事における感情の取り扱い

 企業というのは利益を追求するための組織です。お金を稼ぐことが唯一の目標です。僕は社会人になってもうすぐ丸二年が経つのですが、企業で働いている人の感情もものすごく大事な要素だなと思うようになりました。

 自分が、「こういうものがあったら良いな」と思えるものを提供する仕事に関わっているとやる気が湧いてきますし、もっとこうしたら良いのではないかというアイディアが湧いてきます。逆に自分がやりたくない仕事をするときはパフォーマンスが落ちてミスが多くなります。自分の仕事を上司から褒められたり、ユーザから良いフィードバックがあったりすると嬉しくなり、ますますやる気が出ます。逆もまたしかり。面白い、楽しい、嬉しい、つまらない、不愉快、悲しい、などなど働いている人の感情によって仕事の結果は大きく変わってくるのだなと思うようになりました。

 僕はゲーム会社で働いているのですが、ロジックを立てようがデータを分析しようが大ヒットするゲームを作るための決め手を掴むことはできないと思っています。答えのない世界です。だから僕の会社では作っている人たちが面白いと思うかどうかが重要視されます。特大のホームランとなる作品はロジックを超えた先にあると社員がみんな感じています。この雰囲気が僕は大好きです。

 大学院で研究をしているときとは大違いです。大局的な見方をすれば、どのような研究をしてどのように社会に役に立ちたいかという面で、研究者自身の志のようなものはとても大切になると思います。ただ、短期的な目線では、論文を書くのに感情という要素はほとんど影響を与えません。データを収集し、分析し、そこからロジックを立てる。感情が入る余地などほとんどありませんでした。だから感情の取り扱いというのは、会社に入って二年たった今も慣れない分野の1つです。

感情は大事。だけど怒ることは難しい

 冒頭の怒りの話に戻ります。感情は仕事を進めるうえで大事です。怒りの感情も尊重されるべきだと思います。ただ僕は怒鳴り散らしている人を見るのがものすごく苦手です。全く自分に関係がなくとも、目の前に怒っている人がいると胃がズーンと重くなってしまいます。

 冒頭の一人目と二人目を見たときは不愉快でした。一方で三人目と四人目を見たときは全く不快な気持ちになりませんでした。

 その違いは、僕の好き嫌いも多少は影響しているのだと思いますが、怒りの感情の表出の仕方にあるのかなと思いました。怒りの感情の持つ強さを理解したうえで、冷静にそれを行使しようとしているなと思ったのです。

 自分は怒っているのだと伝えるのは、怒鳴ったり強い言葉をぶちまけたりする必要はないと思います。それは言葉で伝えることができます。三人目と四人目の怒りも、相手にはちゃんと通じているように見えました。

 そして怒りの感情が伝わると、重大に受け止めてもらえます。悪用するのは良くないですが、きちんと伝えなければならないときには絶大な威力を発揮するものだなと思いました。

上手な怒りの使い方を習得したい

 怒りの感情についてこのような文章を書こうと思った理由の一つに、僕自身は怒りの感情を行使するのがとても苦手だなと思っているからです。

 そもそも僕は怒ることが人より少ないのではないかと疑っています。他の人の心の中に入り込んだことがないので確たる証拠など何もないのですが、冒頭で書いた三人目と僕は実は全く同じ立場にありました。三人目の人は怒っているのに、僕自身は特に何にも感じていなかったのです。怒るべき場面で怒りの感情が湧いてこないというのは実は良くないことなのではと思いました。僕は周りに対する興味が薄いのかもしれません。他の人が何をしようと、自分に関係がないなら知らんぷりをする。そんな傾向が強いのかもしれないなと思いました。

 第二に、僕は怒りの感情を表に出すのが苦手です。本当に腹が立つことがあると、ぶすっと不機嫌になってふさぎ込んでしまう。怒りの感情が上手く周りに伝わらないし、いざ伝えようとしてもネチネチとした攻撃になってしまう。

 怒りの感情を使わずに仕事を進めることはできると思いますし、僕はそちらの方を目指していこうと思っているのですが、時には必要だとも思います。そんなときに、冷静にこの強力な感情を使っていきたいものだなと思いました。

 

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仕事系の雑記 

 

怒っていい! ? 〈誰にも嫌われない〉〈相手を傷つけない〉怒り方

怒っていい! ? 〈誰にも嫌われない〉〈相手を傷つけない〉怒り方