誘われる人は誘う人に感謝すべきなのだとは頭では分かっている
世の中には2つのタイプの人間がいます。
友達を遊びに誘う人と、友達から遊びに誘われる人です。
誘う人、誘われる人
上のようにズバッと2つに分けることはさすがに言い過ぎだと思いますが、例えばある一つのグループにおいて、遊びの予定を立てる人がいる一方でそれに誘われる人がいます。あるグループにおいては誘う側だけど他のグループにおいては積極的に動かないみたいな、時と場合に応じた変容はあると思いますが、概ねこの分け方で人間は分類できるでしょう。バリバリのイケイケ系が24時間365日誘う側であることはたぶんなくて、例えば家族というグループにおいては母に振り回されたりするのでしょう。
僕は大抵の組織の中で誘われる側です。誘う側の人を尊敬しています。彼らは怖くないのでしょうか。断られたらどうするのでしょうか。相手がどんなに仲の良い人でざっくばらんな物言いができる間柄であったとしても、冷たい態度で拒否されたら傷つくのではないでしょうか。
リスクを取る友人、安全地帯の自分
最近、研究がすこし忙しくなってきました。学会発表が近づいてきており、同時に次の学会の投稿締め切りも視界に入ってきています。一方で就活が終わって開放感に満ち溢れている友達は、研究などする気がありません。学生最後の夏休みを謳歌しようと、僕を遊びに誘ってきます。飲み会ぐらいなら参加したいのですが、一日潰すとなるとなかなか厳しい。
でも、ありがたいことだなぁと思うわけです。僕が割りと忙しい研究室に所属していることは当然彼も知っているのですが、それを承知で僕を遊びに誘ってくれます。断られる可能性がそこそこ高いにも関わらず、勇猛果敢に。
ここで僕は自戒を込めて書きます。どんなに研究が忙しくても、どんなに結果が出なくて焦っていても、彼を邪険にしてはならない。彼が研究をサボりまくり、学生の本分から逃げているのだと感じて心の奥底がうずいても、それを理性で抑えこまねばならないと思うのです。なぜなら彼は遊びに行かないかと誘ってくれるから。長いこと一緒にいて気を遣う関係でもないのですが、いつも遊びに誘ってもらう側としてここだけはしっかりしておかないと思うのです。彼は少なからずリスクをとってくれている。僕は安全地帯で突っ立っているだけです。
だから僕は彼に謝罪すると同時に、恥ずかしさをこらえて感謝していることも伝えます。そして良かったらまた誘ってくれと伝えます。それは断りの定型文に聞こえるのかもしれないですが、僕みたいな人間にとっては意外と本心だったりするのです。
今、あなたの右のポケットに誘われるあたしの左手には嫉妬ね
よかったらこちらも。