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理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

成果を出さなくても卒業できる研究室とできない研究室 - 求められる理系人材を排出できるのはどちらか

 理系の研究室にはそれぞれの特色があります。大半の研究室は「頑張って研究して成果を出さないと卒業・修了させてもらえない研究室」と「ほどほどに研究していれば必ず卒業・修了できる研究室」のどちらかに分類できます。ここでは前者を「獅子の子落とし型」、後者を「温室栽培型」と呼び分けることにします。

 僕の研究室は温室栽培型です。一方で最近研究室に加わったA先生は獅子の子落とし型の研究室の出身です。A先生は文化の違いに驚いたと言っています。さて、優れた理系人材を排出できるのはどちらのタイプの研究室でしょうか。

 両者を比較する上でさらに「先生からの指導が手厚いか手薄いか」という軸を加えます。そうすることで下のような2次元空間が生まれ、2つのタイプはそれぞれこのようにプロットできます。空いている象限についても後半で考えてみようと思います。

 

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温室栽培

先生の特徴

 どんな学生でも卒業させるのが基本と考えています。しかし逆説的になりますが、卒業させるからにはある程度の成果が必要だと考えています。大学の教授になるぐらいの思慮深い方々なので、考えなしに修了証明書を出すようなことはしません。

 その結果、指導の対象は「できない」学生に比重が寄ります。研究能力が高くない学生にも成果を出させるためには、指導を手厚くする他ないからです。さらに、学生の間で指導の量に偏りがあるのはよくないと考えておられるので、「できる」学生にも指導をします。なのでこの温室栽培型の研究室は、指導が手厚いと評することができるのです。

 指導に時間をかける分、学生との関係は濃くなります。先生に寄っては怒る人もいるかもしれません。僕の研究室の先生は頭ごなしに叱りつける人ではなく、学生と先生の関係は良好です。しかし悪い言い方をすれば「学生はまだまだ子ども」と見ている節があり、お世話を焼いているという感覚を持っている人が多いのではないかと思います。就職活動にも口を出してくるのはこのタイプです。

 留学生を呼ぶことに対して慎重です。留学生は当たり外れの差が大きく、優秀な学生は日本人を遥かにしのぐ頭脳と泥臭さを持ちあわせていますが、ダメな学生は研究室に来ずに遊んでばかりになります。どんな学生も卒業させることが基本と考えている先生方は、ダメな留学生に非常に手を焼きます。結果、本当に優秀だというお墨付きがある留学生以外は断るようになります。

 「古き好き日本」という感じがします。日本の大学で博士号を取得し、日系企業の研究所に勤務し、その後大学の教授になった、というようなキャリアの人が多いのかもしれません。

学生の特徴

 頑張る学生と頑張らない学生に温度差が生まれやすいです。頑張らなくても卒業ができるわけですから、頑張っている学生は自分が何のために頑張っているのか、理由を見失いがちです。頑張らない学生が「だりぃ~」とか言いながらおんぶに抱っこされて研究しているのを見ると、頑張る学生は当然イライラするでしょう。逆に頑張る学生が余計に頑張っちゃうものだから、頑張らない学生は自分も研究をしなきゃいけないというプレッシャーを感じ、彼らを疎ましく思うのです。

 指導が手厚い分、0から100まで研究する力は身につかないでしょう。成果が出やすいように先生がお膳立てしてくれた、美味しいところだけを学生が持っていくのです。自分の研究の根底にある基礎物理等を理解していない学生も多いのではないでしょうか。逆にいえば、与えられたことをきっちりやっていれば修士号がとれます。これは非常にサラリーマン向けだと思いませんか。メーカーやインフラ系の企業に就職し、専門性を活かして与えられた職務をきっちりこなす力が身につきそうです。こういう理系の人材が社会を支えているともいえます。

獅子の子落とし型

先生の特徴

 修了証明書は成果をきちんと残した学生に与えられると考えています。修了できるかどうかは自己責任で、学生の頑張り次第だという考えを持っています。できない学生を無理に修了させる必要はない、つまりすべての学生が修了できるとは考えていません。落ちる学生もいて当然だと考えていますから、すべての学生に手厚い指導をする必要があるとも思っていません。

 留学生が多く在籍していることがあります。日本の学生と同じように、成果を出さない留学生は修了させませんから、研究室に来ない留学生は放おっておきます。優秀な留学生は凄まじい努力をして卒業していくのです。

 悪く言えば「冷たい」となるわけですが、良く言えば「学生を一人の研究者として見ている」ともいえます。自分で研究の種を見つけ、その重要性を先生にきちんと説明できるぐらい頭をひねり、そして自分で考えた実験をして成果を残す。それができて初めて修士号をもった学生だと考えているのですね。

 先生が現役でバリバリ研究しているので、学生にあまり構ってられないというタイプの人が多いです。海外で博士号を取得したひとや、博士号をとったあとに海外の大学で研究していたひとが多いらしいです。

学生の特徴

 頑張らない学生は修了できませんから、はなからこのタイプの研究室には来ないでしょう。努力はできても、研究する能力がないと成果は出せません。A先生の研究室では、自分の能力のなさを悟った学生は自分から辞めていったと言っています。また、能力がないのにしがみついている学生に、先生から引導を渡すこともあったとか。

 修了できればすごいのです。だから、修了できた学生は自信を持ちます。自分で全部研究をやったのだという達成感があるでしょうね。A先生のように研究者になる人が多いそうです。また、その業界に知れ渡るほど修了が難しい研究室を出た学生には箔がつきます。つまり研究室のブランドがあるわけです。「○○先生の研究室を出ました」というだけで「おおー」となる研究室もあるのだとか。

 こういう学生が研究者になるのは素晴らしいことです。崖から落とされた獅子の子が這い上がってくるように、厳しい条件を自分の力でくぐり抜けた人が、真に理系の修士号・博士号を持って、研究者として働いているのです。こういう理系の人材が、国の技術力の礎となる基礎研究で成果を出しているといえるのです。

理系の人材というべきではない人間

 以上見てきたように、どちらも一長一短はあるものの、違うタイプの社会にとって必要な人材を排出できていると思いませんか。ですが、上で示した図をもう一度思い出していただくと、空いている象限がありましたね。ここを今度は考えてみたいと思います。

 

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 右上の「指導が手厚いのに修了が難しい」という状況は正直よくわからないです。無理に想像してみるなら、先生はバシバシ指導してくるのに、「もっともっと」と結果を求めてくる。言うなれば松岡修造さんのような先生がいる研究室でしょうか。または、指導は丁寧ですが雑用もたくさん押し付けてきて、朝から晩まで研究室で働き詰めになってしまい、体調を崩してしまうような研究室。ようは、ブラックな研究室ですね。

 一方で、左下の象限に来る研究室は知っています。「指導をしないのに修了は簡単にできる」つまり、完全に放置するタイプの研究室です。ここに配属された学生は基本的には何にもせずに卒業します。なぜなら何もしなくても先生に何も言われないし、かといって修了証明書がもらえないわけでもないからです。よっぽど志を高くもっていないと研究で成果を挙げることはできないでしょう。周りの学生も意識が低い人が多いので、中途半端な人は毒されて落ちていく一方です。

 しかし、先生が何も干渉してこないので、就職活動だけはいっちょまえにできてしまいます。だから、こういうところの学生が「理系大学院生」を名乗って面接を受けまくり、たくさんの大手企業から内定をぶんどるということはあります。就活の面接は数をこなせばなれてくるものであり、また、人事担当者は院生の研究能力を正確に測れませんから、こういうことが起きてくるのです。

 僕は頑張って研究して、少ない時間を必死にやりくりして就職活動をしていたので、こういうタイプの学生には嫌悪感を覚えます。こういう学生は理系の人材というべきではなくて、6年生の文系だと思って扱ってほしいなと思います。なんにも理系の力が身についていないのですから。

おわりに

 温室栽培型の研究室に所属する自分としては、日本の大学院の研究室はもう少し左上にシフトしていく必要があるのではないかと思います。これからの時代、サラリーマンをやる能力も当然大事だと思いますが、社会に革命的なインパクトをもたらせる人間は温室からは生まれる気がしないのです。自分の未来を自分の手で切り拓いていける、崖から這い上がった獅子が日本を引っ張っていくべきなのではないでしょうか。

 

僕の就活記。

 

実際問題、研究ばかりしていても就活は難しいんだよねという話。

 

理系院生の夏休みの話。