理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

エルアークをプレイしてた人は反応してくれ、思い出とか書くから

 一番最初にハマったソシャゲは何でしたか。僕はエルアークでした。人と人が繋がるソーシャルゲームの面白さをこれでもかと伝えてくれた傑作だと思っています。当時の思い出をぜひ共有したいと思ってこれを書いています。プレイしたことない人にも、こんなゲームが運営されていた時代があったのだと知って欲しいです。

 結論から言うと、このゲームはプレイヤー一人ひとりの個性を存分に発揮できるシステムが整っていました。その理由を説明するためにシステムを簡単に紹介していきます。

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http://blog.livedoor.jp/gosensei5/より

 

ゲームの概要

 スクエア・エニックスディー・エヌ・エーが運営していた携帯電話専用のオンラインRPGです。モバゲータウンをプラットフォームとしていました。サービス開始は2008年7月8日で、約4年後の2012年5月31日14時59分に全てのサービスが終了しました。

 物語はファンタジーです。『エルアーク』という名の方舟には、中に世界を内包する本が収められており、主人公は異なる本の世界に飛び込んでは冒険をします。

「時は金なり」を地で行く定時更新システム

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http://release.square-enix.com/news/j/2008/07/20080708_02.htmlより

 

 今はもう考えられないですし、説明してもわけがわからないと言われるかもしれませんが、エルアークは一定時間ごとに物語が進んでいくRPGでした。定められた更新時間になるとモバゲーからメールが届き、更新分の物語を読み、そして次なる行動を選択するのです。更新間隔はストーリーの進行によって変わり、長くて12時間。次回の選択肢がまったくないところでは更新時間が早まり、一番短いところでは4時間ぐらいだったと記憶しています。

 ゲームが更新されるまでは何をやっているのかと言うと戦闘の準備をするのです。RPGなのでメインは戦闘です。しかし準備が終わってしまうと基本は暇です。エルアークのプレイヤーは「更新を待つ」という感覚を持っていました。それは「スタミナの回復を待つ」とは違うのです。人事を尽くして天命を待つ。次回更新時の戦闘準備が終わった後は、戦闘に勝利できるように神に祈りながら待つしかなかったのです。

 サービス終了直前になるまで、この更新間隔を早める手段はありませんでした。だから、このゲームでは「時間」が重要なリソースとなりました。いくらお金があっても時間を縮めることはできなかったのです。プレイヤーは「武器を使えば使うほどその武器の熟練度が上がる」というシステムでレベルアップしていきました。強くなりたければ時間をかけるしかないのです。お金を稼ぐにしても、レアなアイテムのドロップを狙うにしても、ペットを育てるにしても必要なものは「時間」でした。両親のケータイを借りてキャラを作り、麻収穫や鉱石堀りのバイトに行かせて一定期間後に回収している人とか多かったですよね。

 文字通り時は金なりだったのです。お金で他人の時間を買うという概念が生まれるのは至極当然の結果だったでしょう。ペットの育成代行で他のプレイヤーからお金をもらっている人とかもいましたよね。当時高校生だった僕は、エルアークを通して教科書には書いていない社会の真理を学びました。お金を持っている奴は他人の時間を買って自分は好きなことができるのです。

 この制度は、当時のポチポチゲーと言われる「とにかくボタンを押し続けるゲーム」を真っ向から否定するものでした。ゲームにしがみつくことなく、一定の距離を置いてプレイをすることができました。後述する様々な文化も作り出しました。一方で、新規参入者が古参のプレイヤーに追いつきにくい制度でもありました。新規のプレイヤーがすぐに辞めてしまっては収益が上がりません。最終的に更新時間を縮める課金アイテムが登場したのですが、それは僕らが愛した「更新を待つ」という感覚を奪うものであり、プレイヤー達の中で何かが壊れてしまった気がします。コミュニティが殺伐とした雰囲気になったのです。定時更新システムこそが、エルアークをエルアークたらしめるものでした。

「情報が全て」の事前戦闘設定システム

 戦闘はターン制でした。他のプレイヤーやNPC(non player character)とパーティを組んでモンスターと戦います。5ターンで決着をつける必要があり、5ターン目までのプレイヤーの行動を各自で設定します。何ターン目にどのスキルを使うか、またはアイテムを使うかなどを緻密にシミュレートしていきます。

 当然、殴るだけで勝てるのは序盤だけ。強い敵と戦うときは、相手の行動に合わせて柔軟に対応していかなければなりません。そこで重要になってくるのが相手の行動を事前に把握しておくこと。「何ターン目になにをしてくるか」を知っていれば、相手を封殺することも可能だからです。未知の敵と戦う場合は、先駆者が情報を公開してくれているかが生死を分けます。「時間」が重要なリソースであると言いましたが、「情報」も負けず劣らず重要なものでした。

 たった5ターンしかないので、1ターンでも対応をミスると勝つことは難しくなりました。また、定時更新システムであるため一度負けると貴重な「時間」というリソースも失います。価値のある情報を握っているプレイヤーはそれを秘匿したり、仲間内で囲い込もうとします。物理的資源やマンパワーだけが武器ではない。「情報」が持つ力を、身をもって知りました。

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http://ellark.yokochou.com/より

 

 でも、いくら情報を握っていても上手くいかないのが現実。相手の行動を把握したらあとは自分の頭の中でシミュレーションをするのですが、これがまた難しい。練り上げた作戦が炸裂するのを楽しみにしながら更新を待ったものです。あのワクワク感と緊張感は他のゲームでは絶対に味わえなかったです。相手が複数いる場合はどの相手に攻撃が飛んでいくかを予想するのは難しかったので、文字通り運任せでした。ラストキャンパスの防衛学園の卒業試験は、思わぬ方に攻撃が飛んでいってしまったけど結果オーライみたいになったパーティが多かったのでは。上手くいかないところも含めて楽しかったのです。

「経済とは何か」を体感したバサーシステム

 プレイヤーはパーティを組まない限りはパラレルワールドを冒険しています。つまり、お互いの物語が交わることはなかったのです。ただし、同じ場所にいる人たちとバザーを通じてアイテムを売り買いすることができました。

 例えば、ダンジョンの奥地で薬草を切らしてしまったとします。回復をするには街に戻らねばなりません。しかし、このダンジョンに潜っている他のプレイヤーが薬草をバザーで売りだしてくれれば、それを買って回復することができました。これによって「行商」という概念が生まれます。街で薬草を大量に購入してダンジョンに持って行き、少し色を付けた値段で他のプレイヤーに買ってもらう。これだけで小銭稼ぎになりました。定時更新システムでは移動するだけで時間がかかったので、移動するということにすら価値があったのです。サヴァンの庭からのいちご行商とか、よくやったものです。就職活動で商社がどんな仕事をしているのかを知った時はまっさきにエルアークが思い浮かびましたね。

  価値の低いものはバサーで出品されていても誰も買いません。だから値段もどんどん下がっていきます。ゲーム開始時点では何の使い道もなかった「存在の紙片」というアイテムは、100円ぐらいで投げ売りされていました。しかしその価値が判明した時のバザーの様子ったらすごいものがありました。見る間に見る間に値段がつり上がっていくのです。300円で買った存在の紙片を1500円で出品したらすぐに売り切れた、みたいな感じです。バブルのときに土地の売買で設けた人ってこんな感じだったのかなと思いました。株の売買にも通じていますよね。先見の明がある人が大儲けできたのです。転売ばかりしてお金儲けを楽しんでいる「転売屋」と呼ばれる人たちもいましたね。

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http://blog.livedoor.jp/gosensei5/より

 

 アイテムを合成して新しいアイテムを作るシステムもありました。RPGにはよくあるシステムですが、エルアークでは鍛冶や木工、宝飾といったよう幾つかの種類がありました。多くのゲームでは「合成」や「錬金」といった名前でまとめられているところを、わざわざ分けていたのです。合成レシピには難易度が設定されており、レベルが低いうちは強いアイテムを作れません。数をこなすことでレベルが上がったのです。

 このシステムとバザーが結びつくことで「職人」と呼ばれる人が生まれました。合成の種類が分かれているため、すべてを極めようとするのには途方も無い時間がかかったのです。彼らは「鍛冶職人」「宝飾職人」のようなアイデンティティを持っていました。強いアイテムを作れるごく一部の人は、バザーで素材を買って完成品を売り出して稼ぐことができました。逆に自分で素材を持っていても合成ができないときは、職人さんに交渉して作ってもらったりもしました。職人さんたちは冒険も楽しんでいましたが、新しいレシピを発見することにも楽しさを見出しているようでした。レシピも「情報」ですから、自分だけが知っているレシピにはすごい価値があります。見たことのない武器がバサーに出店されて騒ぎになったりすることもありました。

 見ず知らずのプレイヤー同士が唯一接点を持てるのがバザーだったのでイザコザも絶えなかったようですが、素晴らしいシステムでした。

スクエニの力が存分に発揮されたシナリオ・世界観

 複数の本の世界を渡り歩くエルアークでは、世界が変わるとストーリーもガラッと変わります。それぞれの本の世界には別々のシナリオライターを当てるという気合の入れっぷり。主人公は根無し草のような旅人なのですが、次はどこへ行こうかと、世界から世界へ飛び回るあの自由さはなんとも形容しがたいものがあります。一方でいずれかの世界に愛着を感じてとどまり続ける人もいて、プロフィールに「○○民」なんていう書き方をしている人もいました。

 スクエア・エニックスゲームクリエイター達が作ったシナリオはどれも非常に練られていて面白かったのですが、それをさらに盛り上げたのがきっと定時更新システムでしょう。何時間かに一回のペースで小出しに物語が進んでいくので、毎度毎度次の展開を予想しながら更新を待ちました。今時、テキストと多少のFlashしかユーザに提供できないゲームなんて流行るわけがないですよね。でも、当時はそれで十分面白かったのです。

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http://ellark.yokochou.com/より

 

 キャラクターもよかったですね。方舟の世界観とツヴァイ・エンダー・アリィとの不思議な冒険。ラストキャンパスのメリル・ウィルバー・ミーアとの王道の学園モノ。コネクティング・メヰルの鬱なラストが物議を醸したり。 もう一度、あの世界に戻りたいなあ。

個性が輝くプレイヤー同士のつながり

 いろいろ書いてきましたがそろそろまとめていきましょう。エルアークの世界では誰もが個性を持つことができました。携帯電話というチープなデバイス上に、あれだけの自由度を持ったゲームが登場したのは本当にすごいことだったと思います。

 冒頭で挙げたように、時間をかけなければ武器の熟練度が上がらないこのゲームでは、「傭兵」という考え方が自然発生しました。強い物理攻撃が必須のボスを倒すために「物理で攻撃力120以上出せる方を募集します」というような感じ。他にも「炎と光の熟練度20以上の方」のように、パーティに足りない個性を補うためのパーティ募集は多かったです。能力を課金で補うことができなかったからです。「傭兵」の他にも前述したように「転売屋」がいたり「職人」がいたり「○○民」がいたりと、プレイヤーたちは自らの個性を全面に出していました。

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http://blogs.yahoo.co.jp/smoug777/50523922.htmlより

 

 結局のところ、エルアークの魅力の大部分は定時更新システムに帰着するのではないかと僕は思っています。エルアークには遊び尽くせ無いほどの広大な世界が用意されていました。どの世界のストーリーも面白かったので誰もが限られた時間の中で最大限冒険を楽しみたいと考えていました。しかし時間の制約があったのであれもこれもと欲張ることが根本的にできなかったのです。誰が音頭を取るでもなく、プレイヤーたちはごく当たり前のように協力してエルアークの世界を旅していました。

 更新間隔はみんな同じ。絶対的な時間という面で誰もが平等だったので、たくさんの世界を制覇している人は尊敬されました。熟練度が高い人は重宝されました。課金で強くなれなかったからこそ、能力には絶対的な価値があり、能力値がそれ自体でアイデンティティになり得たのです。

 プレイヤー一人ひとりに個性があるから、コミュニケーションを取るのも楽しくなります。パーティの掲示板で次回の戦闘の作戦会議をしているさなか、雑談に花が咲いたりすることもありました。情報を囲い込むための旅団というシステムがあったり、野良でパーティを組んでパーティ内掲示板で雑談したり。それぞれのプレイヤーが一個人としてプライドを持って冒険を楽しんでいる、そんな雰囲気が好きでした。

 一方で、課金で強くなれないからこそ、課金で得られる収益は薄かったのでしょう。それに加えて新規参入障壁の高さがダブルパンチだったようです。悲しいことですが、ユーザも運営も誰もがハッピーになれるような、そんな課金システムが開発されることはないのだろうなと思ってしまいますね。

終わりに

 ストーリーやキャラクターについてはほとんど触れられませんでした。「エルアークの良さは世界観にあり」という意見をお持ちの方もいるでしょう。もちろん僕も大好きですよ。でも、書き出すとキリがなかったのです。また、書いている途中で細かい思い出がたくさん湧き上がってきましたが、それらを全部掬いあげることはできませんでした。でも、なにかひとつでも、あなたの琴線に触れることがあったのなら、書いてよかったなと思います。

 

 

そのほか、ゲームについて考えたこと。