何者にもなれないと人生に絶望することはないなと思った話を書きます。
高校時代の友人との再会
先日、高校時代の友人にばったり出会いました。県外の大学に進んだ彼とは5年ぶりぐらいの再会。同じ理系だったので大学院に通っているのかと思っていたのですが、就職したと言っていました。長らく会っていなかったので話に花が咲きました。大学で出会った友人と再会するのとはまた違う楽しさがありました。一方で、高校時代は同じ教室で一緒に授業を受けていたのに、現在の僕と彼はずいぶん違った境遇にいるのだなぁとしみじみしました。
彼に限らず、小学校や中学校の同級生を見渡しても、自分と同じ道を歩いてきた人はかなり限られます。誰一人として僕とまったく同じ小学校→中学校→高校と進んだ人はいないですし、高校→大学→大学院も他の学部に2,3人いるぐらい。みなさんもそうですよね? 「キャリア」という言葉をちょっと拡大解釈して母校もキャリアに含まれているとすると、誰かと全くキャリアが重なっていることってほとんどないですよね。
何者にもなれない世界
話は変わりますが、朝井リョウさんの直木賞受賞作である「何者」という小説が好きです。就職活動中の若者たちが苦闘する姿が描かれる長編です。前半はドラマチックな展開もなく穏やかに進んでいくのですが、終盤の
「・・・私、拓人君に内定が出ない理由、わかるよ」
から続く怒涛の会話シーンは圧倒的です。「何者」にもなれない自分を自覚しながらカッコ悪く懸命に就活に励む理香と、物事にどこか熱中できない冷めた体質の主人公拓人の間で交わされるこの会話で、理香は拓人の心の内を徹底的に暴きます。何度読み返しても、僕は拓人と一緒になって脂汗を浮かばせながら、理香の言葉がひとつひとつ心に刺さっていくのを傍観するしかありません。
「いい加減気づこうよ。私たちは、何者かになんてなれない」
「自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない」
朝井リョウさんは「何者」という言葉を「理想の自分」に近い意味で使っています。他にも「何者」は「一角の人物」に似た意味で使われているのも目にします。「何者かになりたい」と言えば、「有名になりたい」と解釈することもできるでしょう。
何者になれると信じて疑わない世界
また少し話が変わりますが、ちょうど1年前ぐらいの就職活動の解禁直前にとあるセミナーに参加しました。意識高い系の友人が誘ってくれた集まりで、そこには意識の高い人がたくさんいました。そこで受けた衝撃は大きかったです。僕も意識高い系に目覚めたというわけではなくて、こんな人たちが同世代にいるんだという純粋なる驚きに満ちたセミナーでした。動物園に行ったときに、同じ地球上にこんなに変わった生物がいるのかと感動することがありますが、それに近い驚きです。開口一番「内閣総理大臣に、オレはなる」とか言っているひとがいて、何わらのルフィだよって心の中で笑ったりしていましたが、彼らはマジでした。真剣でした。
意識が高すぎでスカウターで測れないレベルの講演者たちが、学生たちの心に火炎放射を撃つのです。隣にいたオタッキーな工学部の学生はそれをもろにくらったのか、きっと今まで発揮したことのないレベルのコミュ力で僕に将来の夢を熱く語ってきました。あの場にいた誰もが(僕も燃えかけていました)、他人とは違う「何者か」になりたいと願い、そのための努力をする決意を固めていました。
キャリアニョロニョロ論
朝井リョウさんが小説で描いた世界は、誰一人として「何者」になれない世界でした。物語が終わる寸前、主人公の拓人は「何者」にもなれない自分の運命を受け入れ、カッコ悪く就活を続けていく決意を固めます。一方で意識高いセミナーの参加者は、誰もが社会に貢献する「何者」になるべきだと考えていました。自分はこの人生で何をしたいのかを明確にして、それを実現するための努力を続ければいつかは「何者」になれる世界に生きていました。
どちらが正しいのでしょうか。この問いはのどに刺さった小骨のように、僕の頭の片隅にこびりついていました。しかし先日、高校時代の友人と話したあとで少しだけ骨が抜けた気がするんです。自分なりの解釈が生まれた気がするのです。その解釈を一言で表すと、もはや僕らは「何者」になっているんじゃないかってことです。
A君がいたとます。埼玉県に生まれ、さいたま市内のB小学校、C中学校、D高校を経て東京のE大学に入学。現在はF商事で働いているとします。A君と同じように、B→C→D→E→Fとキャリアを重ねてきた人、つまりまったく同じ人生を歩んできた人は日本に何人いるでしょうか。たぶん同学年にはいないでしょうね。プラスマイナス5年を見渡すと、一人か二人ぐらいはいそうな気がします。ここでA君の実家は米農家で、A君は男三人兄弟の次男で、A君の趣味はボーリングだとします。生まれ育った環境や、趣味まで一緒の人間がこの世にいるでしょうか。こんなやつは絶対日本にひとりなんですよね。絶対に。
僕が先日、高校の友人と話してすごくリラックスできたのは、僕らのキャリアが高校生の3年間だけまったく重なっていたからなんだと思います。それを図にするとこんな感じ。
僕と友人の長い長い人生は、15歳から18歳の間だけ交わったのです。同じ町で生まれ育ち、同じ小学校と中学校に通えば下のような感じ。
根が同じなのです。同根。こういう人とは不思議な連帯感があるのですが、でもやっぱり伸びていった先は違う。このニョロニョロが一部重なる人はいるかもしれませんが、全く同じ線をニョロニョロする他人はいないのです。
僕らはもはや何者である
埼玉県で生まれ育ったA君は埼玉独自の文化に精通していて、ボーリングを介して仲良くなったD高校の先輩であるG電機の執行役員のお偉いさんとのコネを活かして、彼にしかできない素晴らしい仕事をやってのけました。たとえA君と一部だけキャリアが重なっている人がいても、この仕事は成し得えませんでした。A君だけのニョロニョロがこの成果に繋がったのです。
「お前の替わりはいくらでもいる」。確かにそうかもしれませんが、今この場にいるのは僕であって、僕にしか送れなかった人生を歩んできた僕だけがやれる仕事があるかもしれないのです。もちろん、ないかもしれない。でも、きっとあると信じて僕は生きていけばいいのだと思います。たとえ内閣総理大臣になれなくたって、僕はもはや今の時点で誰にもまねできない「何者」なのです。ニョロニョロが重なる人なんていないのです。
派手な人は目立ちます。たった一回だけその意識高い高いセミナーで出会っただけなのにFacebookで繋がってしまったイシキタカイタカイは、毎日毎日意識高い投稿を繰り返しています。しかし奴のキラキラ投稿で僕のタイムラインが埋め尽くされようとも、僕は卑屈にはなりません。僕には僕だけの、今まで伸ばしてきたニョロニョロがあります。
「自分にしかできない何か」がきっとあると考えるのは希望的観測であるわけですが、ないと証明することは非常に難しい。だから、いいのです。あると思っておけば。あるのだと信じて自分のペースで生きていきます。
僕は高校の友人と再会して嬉しくなってこんなにポジティブな文章を書いていますが、それもいいのです。ポジティブに生きればいいのです。今日はそんな気分でした。
僕の就活記。
その他、就活のこと。