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理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

何かを批判する文章を書くことは簡単だと思った

 ポケモンGOのブームがひと段落してきた印象です。このゲームに関する意見や批評もあらかた出尽くしたのではないでしょうか。

批判の嵐の中で輝いていたもの

 ネットでポケモンGO関連のニュースを漁ってみると、否定派の言動が目立ちます。氾濫するニュース記事やブログを全部分析したら、8割がぐらいが否定派なのではないかなと勝手に思っております。8割とはいかずとも、否定派が多いということが仮に正しいとすると、その理由を解説するにはいくつかの切り口が挙げられます。

 このゲームのシステムそのものが問題だらけであるという切り口。日本人は新しいものを受け入れる寛容さに欠けた民族だという切り口。批判した方がお金になるという人間が声高に批判しているという切り口。

 最近僕が思いついたのは、批判する方が簡単だからという切り口です。きっかけは、少し前に書かれたものですが、以下の文章を読んだことです。ポケモンGOを純粋に楽しみ、技術の進歩に感動したことが綴られています(もうちょっと深いメッセージが込められているのでぜひ読んでみてください)。

 こちらの文章のように、何かを褒めることを主旨として文章を書くのはすごく難しいと思います。一歩間違えればただただ「楽しい!」とか「すごい!」と叫んで終わってしまいます。僕にはこれは書けないし、こういう内容で拡散されている文章はほかにはあまり見受けられませんでした。

なぜ批判するのは簡単か

 この文章を読んでしばらく経ってから改めて考えてみると、批判するのって簡単だなと思ってしまうのです。特に、何か新しいモノについての批判を展開するのはものすごく簡単。「新しいモノは既存のモノとは違うからこういうことが起こる可能性がある!」と書けば一丁上がりです。

 ポケモンGOは今までのゲームとは違って外でプレイするゲームだ。だから夢中になって川に転落する恐れがある。危険だ。プレイヤーが川に落ちないように何らかの対策が必要だ。

 意味がないとは思いません。誰も思いつかなかった大問題に光があてられるかもしれません。だから止めてくれとは思いません。でも、あまりにもネガティブな反応ばかりを見ているのはあまり気分が良いものではないですよね。

褒める文章が読みたい、書きたい

 ポケモンGOに限らず、何かを褒める内容の文章が公開される割合は、批判するものよりも少ないと思います。もちろん媒体や扱う内容によりけりだとは思うのですが、価値がないと考えられている節があるのかもしれません。

 僕はそんなことはないと思っています。例えばポケモンGOに関することでしたら、こういう楽しみ方があるんだという発見や、こういうユーザにこういう楽しさを届けたからヒットしたんだという学びがあるはずです。

 堅めのニュース記事でも、褒める記事を出してみれば目立つのになと思います。本来はバランスのとれた中立的な内容を掲載すべきはずのメディアには、なぜかネガティブな方に振れたものを書かないとダメだという暗黙の了解があるようにみえます。賛否両論あることはきちんと伝えつつ、ポジティブな面を押し出した文章が読みたいです。気分が良いですから。

 僕も何かを手放しに褒めるちぎる文章が書きたいです。結局、ここまで書いてきたこの文章も、「批判すること」を批判する内容で展開してきたにすぎないのです。

 

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