理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

シン・ゴジラと社会人一年目の僕

 

 

シン・ゴジラの内容に触れている部分があります。

 

 

ネタバレを気にする方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 どうやら、シン・ゴジラはすごいらしい。普段映画館に足を運ぶことは少ないのですが、周囲のざわつきが相当大きかったので見に行ってきました。

 僕は映画に詳しいわけではありませんし、ゴジラに思い入れがある人間でもないです。映画のレビューを書こうという気持ちなどさらさらありません。ここで僕が書きたいのは、社会人一年目の今この映画を見ることができて本当によかったという心の叫びです。

日本的組織 

 社会人生活が始まって4か月ほどが経ちました。企業の一員として働くというのがどういうことか、なんとなく実感として掴めてきました。たくさんの人が集まり、組織として意思決定をしていくことが、どれだけ難しいことかを痛感する毎日です。

 シン・ゴジラの序盤、時間を大きく割いて描かれるのは、内閣総理大臣を中心とした日本政府の動きです。「会見を1つ開くのにも会議が必要だなんて」という意のぼやきが誰かの口から洩れていましたが、ぼやいている間にもゴジラが街を蹂躙している様子を見せられている僕からしたら、たまったものではありませんでした。おいおい、早く手を打ってくれよと。

 学生の時にこのシーンを見たら、「やっぱりお役所仕事はダメダメだな」と思って憤慨しただけだったでしょう。でも、今の僕の目には違った映り方をします。

 最近、「こんな小さなことなのに関係各所の許諾がないと前に進まないのか」と、歯がゆい気持ちになる業務をいくつかこなしました。リアルタイムでお客様が困っていることに対しても、僕だけの判断では事態を動かしていくことができませんでした。しかし、組織が規律を保ちながら意思決定を重ね、今後の関係性も含めてリスクを最小化するためには、必要なプロセスなのだと徐々に理解が進んできました。

 日本政府というのはこの国における究極の組織です。ザ・日本的組織である日本政府と、急速に進化を続ける巨大不明生物の戦い。それは、難局に対処する日本企業の姿と重なって見えました。

 1回目の襲撃時、政府はこれでもかと醜態をさらしました。意思決定に時間を要して被害が拡大。ようやく武力行使に踏み切れるかと思いきやトップが保身に走って1発の反撃すらできませんでした。

矢口蘭堂の活躍

 この映画を今見ることができて良かったなと思う理由は、矢口の活躍の仕方が非常に日本的だったことです。上述したような絶望的な状況の中で、スーパーマンが表れてゴジラを撃退するのではなく、あくまでも日本の官僚組織がゴジラをやっつけるところまでを描いてくれたこと。これは本当に素晴らしかったです。

 矢口は非常に優秀な男ですが、稀有なスキルを持っているわけではありません。矢口の周りにいる人たちが自分の得意な分野で力を発揮することで小さなパワーが集まっていき、それが最後にヤシオリ作戦としてゴジラに炸裂するのです。

 今後、何かのリーダーを務めて人を束ねるときは、矢口の活躍が頭をよぎるようになるだろうなと思うのです。日本的組織の中でどうやって自分の信念を貫くか。反発するだけでは物事を前には進めていけません。あらゆる手段を使って、あくまでも組織の規律の中で結果を出して行くことが僕にも求められるでしょう。夢を語るだけではダメなのです。実際に行動に移していかないといけない。血液凝固剤があったらいいな、ではなく、どうやって作るかを考え、プランを着実に実行していく力が必要です。

 彼は自分が首切り要員であることを自覚し、保身など微塵も考えずにゴジラを倒すことだけを考え続けました。冷静沈着を装いながらも、必要に応じて強い感情を露わにできる人物。本当にかっこよかったです。あんな風になりたいと思いました。

 一方で、フォロワーたちの活躍もよかったです。巨災対の面々は奇人変人の集まりということでしたが、自分の担当分野をきっちりとわきまえ、積極的にチームにコミットしていきます。矢口がきちんとわかるように丁寧な報告も欠かしませんでした。

 あのチームは日本的組織の中でしばしばつくられる、組織横断的な特別チームの理想形なのだと思います。僕の会社にもそういうチームがありますが、自分の部署の利益になるかどうかをみんなが考えてしまっているような雰囲気があると聞いています。危機感の度合いが違いますので同じ次元で捉えることはできないとは思いますが。

映画のしがらみ

 会社が映画事業に一部関連を持っているため、映画製作について少しレクチャーを受けたことがあります。俗に言う制作委員会方式がどのようなものかを聞いたとき、最初は合理的なシステムだなと思いました。

 ですが、「あの会社が絡んでいるからあんな演出になっているんだよ」などと細かい裏話をいくつか聞くと、このやり方で面白い映画を作ることが至難の業なのではないかと考えるようになりました。むしろ、様々な方面の関係者から口出しを受けながら作られた邦画が、筋の通った映像作品として成立しているのは逆にすごいことだなと思ったほどです。

 映画制作会社そのものの力が衰え、テレビ局が持っているコンテンツを使って映画がつくられるいまの時代、映画というのは様々なしがらみにとらわれた悲しき産物なのだと知りました。これも、学生のころには実感を持って理解できなかった映画の側面です。映画はエンターテインメントでもなく、芸術作品でもなく、生々しい企業活動の一環である。レクチャーを受けて以来、僕は映画をそのように捉えていました。

 そんな折の大ヒットでした。シン・ゴジラは制作委員会方式を採らず、東宝単独で制作した映画だそうです。経済的合理性を捨ててまで、監督が作りたい映画を作らせる。とにかく面白い映画を作る。こういう決断を日本組織はできるのだなと感動すると同時に、しがらみに縛られない映画はこうも人々を熱狂させるパワーを持ちうるのかと、映画の底力に感動を覚えました。

映画ってやっぱりすごい

 映画に詳しくないから、ゴジラの歴史を知らないからといって、僕はそういう知識を取り込むことを諦めているわけではありません。ネットには複雑なことをわかりやすく説明してくれる人、細かいところだけど大事な部分を力いっぱい説明してくれる人であふれています。

 皆さんの考察を読むのはすごく楽しいです。映画には、こんなにいろいろ考えることがあるのだなとその奥深さを知り、深い井戸のへりに立っている気分です。覗き込むと真っ暗で底が見えません。そして、それだけ考察する余地を作った庵野秀明監督の力量に脱帽です。

 一人だけ浮いているなと思っていた石原さとみさんの演技さえ、解釈によっては非常に味わい深いものになる。映画ってこんなにすごいものなんだと、20年以上生きてきてようやく気づきました。シン・ゴジラ、いま見ることができてよかった。幸せです。ありがとうございます。

 

 

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