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北方大水滸伝51冊を読破した感想 - 今わの際に何を想うか

 北方謙三作、岳飛伝17巻を読み終えました。これにて、水滸伝全19巻、楊令伝全15巻、岳飛伝全17巻から成る「北方大水滸伝シリーズ」をすべて読破したことになりました。

 高校1年生のころ、父に「これ面白いから読んでみろ」と勧められて読み始めたこのシリーズ。あれから10年以上の時が流れ、私は大学院を卒業して社会人1年目となりました。物語の中でも途方もない時間が流れ、たくさんの登場人物が現れては消えていきました。

 この作品から「影響を受けたか」と問われたら、流石に「受けた」と答えるしかないでしょう。すべて合わせると50巻以上の超大作をコツコツと読み続けてきたわけですから。ただ、膨大な文章の中でこれぞと思う1節に出会ったとか、何百人もいる登場人物の中でこれぞという1人に出会ったとか、そういう影響の受け方ではありません。この北方水滸伝の世界そのものが、私の価値観に影響を与えたのだと思います。

 108人のヒーロー

 水滸伝は中国を舞台にした小説です。実在の話ではなく、明のころに書かれた伝奇歴史小説で、中国四大奇書の1つです(残りは「『三国志演義』『西遊記』『金瓶梅』)。

 12世紀の初め、北宋が支配する時代。役人の不正がはびこり、民は苦しい生活を余儀なくされていました。この状況を打破すべく、梁山泊という砦に108人の英雄が集い、巨大な国を相手に戦いを繰り広げていく痛快なお話です。

 北方先生は独自の解釈のもと水滸伝を再構成し、オリジナルの水滸伝の後の世界をも巻き込んで北方大水滸伝シリーズを書きあげました。敵味方合わせると何百人と出てくる登場人物の視点を章ごとに切り替えながら、物語が紡がれていきます。

 水滸伝のうたい文句は108人の英雄が革命を起こすということで、108人の中に序列はあるものの、特定の主人公が存在するわけではありません。北方水滸伝でも主人公という役目は存在せず、敵方の登場人物にさえもきちんと見せ場を用意します。

見せ場=死亡フラグ

 ここが肝となる部分なのですが、登場人物の1番の見せ場は、たいていが死に際のシーンです。章が切り替わり、今まであまり光が当たってこなかったキャラクターの視点が始まったら、多くの場合そのキャラクターは命を落としてしまいます。

 読み進めていくと、「その人物の視点になる」=死亡フラグだということに気づいてしまうため、自分の好きなキャラの視点になると嬉しい反面、そのキャラの退場を覚悟せねばなりませんでした。数々の英雄の雄々しい死とともにこの物語は行進を続けていきます。もちろん敵側の人間も味わい深い活躍をして死んでいきますので、一巻を読み切る間に何人も登場人物の死に際に立ち会うことになります。

 何百通りのもの今わの際が描かれるこの作品をずっと読んでいると、人が死に際に何を想うかということを常に考えさせられるのです。北方先生は、それぞれの登場人物の死に真正面から向き合い、ひとり英雄が物語から退場するたびに、弔いの酒を飲んでいたそうです(※)。それぞれのキャラが死に際に何を想うのかということを真摯に突き詰め、彼らが最期まで力強く生き切る様が切々と描かれます。

(※)参考:北方謙三『水滸伝』

死に際に何を想うか 

 登場人物が今わの際に考えることは様々です。家族や愛する人を想う人、戦友や師匠に思いをはせる人、自らの剣が届かなかった敵のことを考える人、全然関係ないことを考えている人などなど、性格や状況によって様々なことを思い浮かべながら息を引き取っていきます。

 翻って、自分が死に際に何を想うのだろうと嫌でも考えさせられるのです。どんなことを考えながら死にたいのかをイメージしてしまうのです。20歳にも満たない若造がそんなことを真剣に考えるわけないだろうと思うかもしれませんが、本当に考えてしまうのです。あまりにも見事な英雄たちの死を、何度も何度も見る羽目になるので。

 今のところ、自分の死に際をイメージしてみたところで確たる像を結ぶことはできないのですが、でも1点だけ、後悔はなるべく残さずに死にたいということは確実に言えます。

英雄たちの最期

 梁山泊の英雄たちは、自らの死に直面したとき、「いやだ」「死にたくない」といったような感想を漏らすことはほとんどないです。「戦わなければよかった」なんていう後ろ向きな考え方を持つ者もいません。彼らは、自身の役目を堂々と果たし、戦うべき相手に全身全霊でぶつかり、たとえ負けたとしてもやりきった満足感の中で死んでいきます。

 戦いの末の死を肯定するつもりはないのですが、避けられない運命としての死が自分に迫ったとき、今までの人生の中で何かをやらずに逃げるということをしなかったからこそ、曇りのないある種晴れやかな気持ちで最期の時を迎えているのでしょう。

 そして雄々しく戦った末の立派な死は、他の仲間によって広められ、子供の代まで連綿と語り継がれていきます。楊令伝や岳飛伝では108人の子供の代が活躍するのですが、彼らの中にも確かに受け継がれ、英雄たちは次の世代の記憶の中で生き続けることになります。

 このシリーズで一番最初に命を落とす「楊志」という武将は、妻と子の3人で団らんしているときに100人以上の敵方の集団に囲まれながらも、2人を守り抜き命を落とします。彼の意志は子の楊令へと受け継がれ、楊令は「楊令伝」における最強の頭領として成長していきます。

 そして、シリーズにおいて最後に命を落とすのが「岳飛」です。「楊令伝」の時代から戦いにまみれた人生を送ってきた彼は、驚くほど安らかに息を引き取ります。最後の最後まで徹底的に戦い抜いた末の彼の死は、北方水滸伝の戦いの歴史を終わらせる終止符となり、読者に物語の終幕を悟らせました。

「あれをやっておけばよかった」なんて

 私も、水滸伝の英雄たちのように、後悔を残さずに死ねるでしょうか。大きな挑戦のチャンスが自分に巡ってきたとき、失敗することを恐れてチャレンジしなかったら、きっと後悔するでしょう。でも、挑戦することはやはり怖いものです。

 しかしちょっとおおげさに考えてみると、挑戦しなかったという後悔は今わの際まで引きずられるものになるのかもしれません。死ぬ瞬間になって、「あれをやっておけばよかった」なんて思いながら逝くのは避けたいものです。

 それを考えれば、ちょっとぐらい失敗することが何だというのでしょうか。その挑戦で大成功を収めることができれば、死後も語り継がれる功績になるかもしれない。梁山泊の英雄たちは、いつも死と隣り合わせの無謀な戦いをしていたというのに、少しばかり恥ずかしい思いをすることさえ、私は耐えられないのでしょうか。そんなわけはないはずです。

 人生の選択肢に迷ったとき、私はなるべく後悔しなさそうな方を選ぶということを続けています。怖いこともありますが、北方水滸伝の何百人もの登場人物が、そっと背中を押してくれていると思って、勇気を振り絞っています。

 51巻からなるこの大水滸伝シリーズを読破することができて本当に良かったと思っています。何かアクシデントがあって途中で連載が止まってしまうことも十分にありうる世の中で、ほぼ一定のペースで刊行を続けてくれたことに感謝します。北方先生、ありがとうございます。

 

 

そのほか、本について書いたこと。

  

水滸伝 1 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44)

水滸伝 1 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44)

 

 

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