理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

ラ・ラ・ランドと一億総批評家時代

 ラ・ラ・ランドはどうも感想が書きたくなる映画のようです。たくさんの人がいろいろなことを語っているのを見て、僕も書きたくなってむずむずしてきたので感想を書くことにします。この「感想が書きたくなる」というのが実はこの映画のすごいところなのではないかと思うようになり、それについても後半で触れることにします。

 

 

 

 

ネタバレを含みますので、気にする人はここでバックしてください

 

 

 

 

どストレートな序盤中盤

 女優を目指すミア(エマ・ストーン)と古き良きジャズのお店を開きたいと思っているセブ(ライアン・ゴスリング)のラブストーリーである本作。ミュージカルが途中で挟まる形式になっており、2人が夢に向かって奮闘する様子や熱いラブロマンスを、歌とダンスで盛り上げます。

 とにかくストレートな映画だなと思い、安心して見ていました。わかりやすい夢があり、そこに至るまでの努力と葛藤があり、そして恋愛に第三者はいません。大きな波乱もなく、予想できる範囲のラストシーンまで一直線に進んでいくのだろうと、ある種の退屈をも感じながらスクリーンを眺めていました。

 ただ、ミュージカル初心者の僕は、歌とダンスの持つパワーに圧倒され、夢に向かって頑張る2人の姿勢にポジティブなメッセージを感じ、くるくる変わるエマ・ストーンの豊かな表情を見ているだけで幸せな気分になりました。わかりやすすぎるお話しではあるけど、とにかく今日はこの映画に元気をもらって帰ろう。途中で集中力が途切れた時間帯もありましたが、そんなふうに好意的な目線で鑑賞していました。

少し考えさせられるラストシーン

 ラストシーンもありきたりだなと最初は思いました。夢を叶えるために別々の道を選択した2人は、一切連絡も取らぬまま交わらぬ人生を歩んでいる。セブの夢であったジャズのお店を偶然訪れることになったミアと、ステージ上のセブの視線が交差する。そして、昔と変わらぬセブのピアノにのせて「もしも二人が別れていなかったら」というifの世界がミュージカルで描かれるのです。

 このミュージカルは途中からどうも様子が変で、二人が分かれるきっかけとなったミアのパリ渡航にセブも同行しているようで、いったいどの選択肢をやり直したifの世界なのか分からず混乱しました。僕の予想の斜め上をいく、考えさせられるラストシーンでした。

トータルで見ると味わい深い

 帰り道で考えた結果、あのifの世界はセブが抱き続けた気持ち悪い妄想の世界だったのかなという結論が僕の中で出ました。

 「女の恋は上書き保存、男の恋は名前をつけて保存」とよく言われるように、男は終わった恋愛に対していつまでも未練を残し、ありえもしない何かを期待しがちな生き物。ラストシーンでセブは、想い続けたミアと偶然再会してしまったものだから、勢い余ってその妄想の世界をピアノの旋律にのせて表現してしまった。

 セブはもともと何かに固執する変なヤツだったことを知っているミアはそれに気づき、1曲聞いただけでお店を後にする。そのとき2人が目を合わせるシーンで、ミアの視線にはある種の哀れみが含まれていたのではないかと僕は思います。

 「男性諸君、いつまでも終わった恋を引きずるのは気持ち悪いぞ」というメッセージ。ラストシーンの手前までポジティブ100%で進行してきたこの映画は、ミュージカルを隠れ蓑にしながら、最後の最後で世の中の多くの男性の心を抉る。鑑賞中は退屈だなと感じる時間帯もあったのですが、トータルで見ると味わい深い映画だなと思いました。

何か大きな見落としがあった?

 ここまでが映画を見た直後の僕の感想でした。家に帰ってネットを見てみると、この映画について多種多様な批判が寄せられていて、自分が何か大事な要素を見落としていたのではないかと焦りました。

 ネットにあふれているいろいろな人のラ・ラ・ランド批評。僕とは違う解釈をしている人はたくさんいましたが、僕が明らかに見落としている要素はなかったのではないかと思いほっとしました。むしろ、僕が見落としていたのは「この映画の脚本に、見落としがあるほどの深さはない」という視点の存在。第89回アカデミー賞最多部門ノミネート・最多部門受賞の超話題作が、そんなふうにぶった切られていていいのかと逆にびっくりでした。名作と呼ばれる映画には深い洞察に耐えられるだけの奥行と耐久力があるものだと思っていたからです。

 指摘されていた脚本の薄さというのは、「ミアとセブが恋に落ちる過程が描ききれていない」とか、「ミアがオーディションに受かって大女優になれたのは素質があったからなのか偶然だったからなのかわからない」とか、「2人は別れたあと連絡を取り合ったりしなかったのかという単純な問いに答えられない詰めの甘さ」などなど、様々な点から言及されていました。僕がショックを受けたラストシーンを、「よくわからない」と切り捨てている人さえいました。

 思い返せば見ている最中に違和感を覚えた場面もあったのですが、「あえてやっている」という人工的なにおいを僕は感じて、むしろ受け取る側の自分に問題があるのかもしれないと思って保留していました。

1億総批評家時代

 結局、監督が意図的にツッコミどころを用意した作品なのか、彼に隙のない脚本を作る能力がなかったのかは僕にはわかりません。ここで僕が1つだけ確かに言えるのは、この映画は批評したくなる出来栄えに仕上がっているよね、ということです。

 完全に脚本が破たんしているわけではないけど、突っ込んでみるとあらが目立つ。許されるギリギリのライン。見る人によって様々な受け取り方がなされ、声の大きな人たちが大声で批判することによって燃え広がり、より多くの人の関心を引いていく様はまるでネットの炎上芸だなと思いました。

 SNSの浸透によって、ネットというオープンな空間にたくさんの人が自分の想いを公開するのが当たり前という時代になりました。圧倒的な深みのある作品を、一部のコアなファンがくみ取る時代は終わり、誰もが気軽にツッコミをいれることのできるスキのあるコンテンツこそが主役となる時代の到来を感じます。一億総批評家時代とでも言うべきこのご時世、常人が理解できないぶっ飛んだ感性よりも、適度に炎上する優れたバランス感覚が求められるのかもしれません。映画の中身だけでなく、世間への受け取られ方も含めて、非常に楽しめた映画でした。

 

 

その他、映画の感想

 

 

 

Ost: La La Land

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