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【映画評】実写版鋼の錬金術師 アルの表現に気を取られて雑さが目立った

しばらくネタバレなしです。

 

 

 

 

 原作ファンが涙を流すほど酷いという口コミさえ見かけたこの作品。そこまで言わしめた作品が、いかほどのものなのか気になったので観てきました。実写版鋼の錬金術師

 アルフォンスの鎧の表現に気を取られて粗雑な部分が目立った、というのが僕の抱いた感想です。アルフォンスのCG表現に目途がついたので実写化に踏み切ったという趣旨の発言を、監督さんが何度かしているのを見ました。仰る通り、動く鎧の表現は見事としか言いようがなく、場面場面に違和感なく溶け込み、そこにあるかのように他の物体と触れ合っていました。CG技術の発展は凄まじいなと思いました。

 でも、アルフォンスだけが上手くいっても、映画として素晴らしいものになるわけではありません。それ以外の部分が、どうしても粗末に見えてしまいました。とても残念です。

 興行成績はずば抜けたものにはならないでしょう。結果が出ないと多くの関係者は損をするはずです。原作者の荒川先生はこの実写化に満足しておられるのは救いです。

 僕は原作ファンとして悔しい。あんなに素晴らしい漫画作品の良さが、いまいち引き出せていないと思ったからです。あの素晴らしさをもっと多くの人に伝えられるきっかけとなるべき実写映画が、「あんまりおもしろくなかった」という評価に沈んでしまうのは、あまりにも悔しいのです。

 失敗してもいいから数を撃て。それは企業の戦略としてとても正しいものではあるのですが、やはりこの映画を観ると「安易な漫画実写化はNO」という姿勢を僕はとらざるをえないなと思いました。

 

 

 

 

 

ここからネタバレを含みます。

 

 

 

西洋が舞台の映画を日本人俳優だけで実写化するな

 まずは定番どころから。やっぱりどう考えても無理があるのです。鋼の錬金術師はヨーロッパをイメージした舞台で繰り広げられる作品です。主人公をはじめとした多くの人物が、西洋人をモデルに描かれています。それを日本人の俳優さんだけで実写化するのは厳しい。テルマエ・ロマエ阿部寛さんだからできたのです。ハリウッドでさえホワイトウォッシュでずっと揺れている。銀魂は日本の話だからうまくいったのです。

 何が問題かって、主人公のエドに一番違和感があることです。山田涼介さんを批判しているのではありません。彼の演技は悪くないと思いました。日本人の顔に、後ろ結びの金髪が自然にマッチするわけがないのです。コスプレ感が一番際立ってしまっていました。

 もう1つ、冒頭のエドとアルの幼少期の姿もかなり厳しかった。その辺にいる日本人の小学生が、金髪のカツラを被ってお遊戯しているようにしか見えない。僕はこれで出鼻を完全にくじかれました。

 ラスト、エンヴィー、グラトニーの特殊メイクはクオリティが高かったと思います。ヒューズ中佐もなかなかキマっていました。ロス少尉は個人的にはハマリ役だったと思います。主人公の脇を固めるキャラクターは比較的違和感が少な目だったので、余計に主人公が悪目立ちをしてしまっていました。当然エドが写っているシーンが一番長いので、これは厳しかった。

 主人公にネームバリューのない俳優さんは使えない。それはよくわかります。だからこそこの実写化は慎重に検討してほしかった。いま、旬の俳優さんでエドにハマる人がいるのかと。何度もいいますが山田涼介さん自身は悪くなくて、キャスティングにそもそも無理があったと言いたい。

2時間映画でやれるストーリーではない

 僕がハガレンという漫画が大好きな理由の1つに、1巻の頭から最終巻の終りまでがすべて一本の線で結ばれていることがあります。どのエピソードも最後の結末への布石であり、無駄な出来事は1つも起きません。連載を伸ばすために脇道にそれません。それでいて27巻というボリュームになっているので、1巻1巻が非常に濃密になっている。

 だから、2時間という尺で原作に沿った映画脚本を作ろうとすると、どうしても無理が出ます。すべてのエピソードが繋がっているので安易なところで切れませんし、黒幕を明かそうとすると最後の方の話まで展開せざるを得なくなる。「◯◯編」のように話が切れている漫画でないと、実写化には向いていないと思います。

 それでいて今回鼻についたのが、原作をなるべく再現しようとしているところ。あのシーンもこのシーンもいれたい!という熱い想いが痛いほど伝わってきて、余計に切なくなります。気持ちはとてもわかるのです。「勘の良いガキ」のくだりとか、原作を読んでいなくても知っている人がとても多いシーンです。今の時代、入れたら絶対に話題になると思ってしまったのでしょう。切ないです。

 果たして、映画として面白い脚本になっていたでしょうか。2時間で起承転結をきちんと作り、観客を飽きさせず興奮させるストーリーになっていたでしょうか。原作でいうところの2つ3つぐらいの山を1つの映画にまとめているのです。原作の起承転結をそのまま再現していて映画としての起伏がうまく作れていません。

 銀魂の実写映画をこの前見に行ってきましたが、あの作品の場合エピソードがぶつ切りなので、ハチャメチャながらも最後はきちんと締めることができていました。ハガレンの実写化を企画したとき、そもそも映画として面白いものになるかどうかという観点で検討は重ねられたでしょうか。アルフォンスがいけそうだから気持ちが急いてしまった。そう見えてしまいました。とにかく映像化したいという気持ちだけでヒットする映画は作れないと思います。

キャラを魅力的に描くことができていない

 ハガレンが大好きな理由の1つ目はストーリーにあると言いました。2つ目はキャラの描き方にあります。原作を念頭に置かずとも、映画の中のキャラたちは魅力的な人物として描かれていたでしょうか?脚本と相まって、ここが上手くいっていなかったので引き込まれる映画作品になっていないと思いました。

 まずはひとりひとりのキャラの立体感。

 例えば、この映画で描かれるウィンリィは、ただただ元気で明るく可愛い女の子で、ピンチのときには主人公に守ってもらうだけのか弱いヒロインに見えてしまいます。それは1つの側面ではあるのですが、彼女は機械鎧オートメイル)の技術にかけてはゆずれない誇りを持っており、エドの立派なサポーターとして対等かそれ以上の立場からエドを見守る強い女性です。機械オタクである設定を出せていないことは時間の都合上しょうがなかったかもしれませんが、そういうキャラの立体感が失われ、一面性ののっぺりとした個性で塗られてしまっていたのがとても残念でした。

 マスタング大佐も、この映画だけ見ると単なる冷静で優秀な切れ者にしか見えない。お茶目な一面を持ちながらも、上に昇り詰めるという強い覚悟、そしてそのために非情な人間になろうと必死に努力し、ときに弱さを見せてしまう自分を自覚している。そういう立体感があるからこそ、ロス少尉の変装を見破るエピソードが活きますし、彼がヒューズ中佐のためにブチ切れるのにはぐっときます。

 もう1つキャラの描き方で気になったのは、キャラ同士の関係性。

 エドとアルとウィンリィは幼馴染で、いつも一緒の3人トリオ。そんな描き方がされているように感じましたが、僕が原作ですごいなと思うのが、エドとアル、エドウィンリィ、アルとウィンリィにはそれぞれのドラマがあるところ。決して一緒くたにはできない感情の動きがあり、個別のペアについて丁寧に描き出しているところです。

 別の例で言えばホークアイ中尉とマスタング大佐。ホークアイはツンツンとしていて周りにあまり気を許さないクールなキャラ。マスタング大佐に対してはいつも厳しめにあたる人。だけどマスタング大佐のことを誰よりも理解し、大切に思っているので、マスタング大佐のピンチにみせる表情は魅力的になる。しかしこの映画のホークアイはただのお付きの人にしか見えない。ほんの少しセリフや立ち振る舞いを工夫するだけで、良くなったと思うのに。

 そういう、この二人だからこういう表情や行動になるよね、というところがどうも雑に扱われているようで悲しかったです。

 俳優さんたちは、そのシーンにおける最高の演技をしていたと思います。ですが、このキャラはこの場面では実はこういうことを考えていて、それがちょっとだけ表情に出てしまう、といった立体感のある指示は入っていなかったのではないかと思います。神は細部に宿る。こういう細かいところが気になってしまう作品でした。

終わりに

 要素要素はいい線に到達しているものの、全体的に雑さが目立ってしまい、僕の中でのトータルの評価は低い作品でした。映画を観て少しでも原作に興味を持って頂いたのであれば、最初の1巻だけでもいいから目を通してみてください。映画にはなかったコミカルな部分など、漫画ならではの良さがたくさんあります。

 

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鋼の錬金術師(1) (ガンガンコミックス)

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