理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

ゲームを通じて承認欲求を得ようとするあまり義務感を覚えてしまう問題に関する一検討

 ゲーム会社で働いていると「興味をそそられるわけではないけどプレイしなくてはいけないゲーム」が目の前に現れることがあります。義務感を感じながらのゲームプレイは苦痛に変わりやすく、ゲーム自体の面白さによらず心が躍らないことが多いです。そのゲーム自体に罪はないので余計に悲しくなってしまいます。

 

さて、本題へ。

 

 ゲームをプレイしてくれているユーザをTwitterで観察しているとユーザが自ら義務感を背負い込みにいっているような光景を目にします。

 そのゲームにおいて有名になりたいという気持ちから、長時間プレイすることを自分に課している人たち。ゲーム専用のSNSアカウントを作ったり、ゲーム実況を配信したりしていて、ネット上で存在感を発揮するためにたくさんゲームをプレイしている。有名になるためにはとにかくプレイ時間を延ばさなければならない。ある種の悲壮感を感じせる人もたまに目にします。

 一方で、他人にプレイを強要するような発言をしている人を見かけることもあります。「ガチ勢を名乗るのであれば1日5時間以上のプレイは当たり前」「1か月2万円の課金は義務」そんな発言を見ると悲しくなります。そのゲームを熱心にプレイしてくれているのに、熱心になるがあまり周りに悪影響を及ぼしてしまっている。

 スマホゲームを中心に、ゲーム内で他人とつながり、影響を及ぼし合うシステムを採用するゲームが増えてきたことが、このような現象の発端にあるのではないかと思います。誰が悪くて、どうすれば解決するのでしょうか。そもそも、これは解決しなくてはいけない問題なのかもはっきりしません。僕が頭に描く状況を一旦図示してみます。

 

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 図の上の方ではユーザとゲーム会社の間でwin-winの関係が築けているのにも関わらず、最下段ではlose-loseの関係になってしまっています。というわけで、気になった点を、ユーザの目線とゲーム会社の目線で見ていきたいと思います。

①ゲームで承認欲求を満たそうとすること

 承認欲求に関して、ユーザ目線での議論です。

 SNSの普及によって、ゲームを通じて他人からの承認を得ようとする行為を目にすることが増えました。「自分はこのゲームでこれだけすごい成績を収めているからすごい」。そういう発言をしている人を見ると、誰かに認めてほしいのだなと感じることがあります。

 それに対して、ゲームやネットなどに頼らず、物理的に自分の手の届く範囲にいる人との関係性の中で承認欲求を満たすべきだという考えを持つ人がいます。もちろん理解はできます。できるのであればネットに頼らず、ありのままの自分を承認してもらった方が健全だと思います。

 一方で、現実に居場所がない、ゲーム以外に熱中できるものや自慢できるものがない等の理由から、ネットやゲームの世界に居場所を見出している方が大勢いるのも事実。僕もひとりのゲーマーであり、ネット上でこうして文章を書き散らしている酔狂な人間のひとり。こういった人たちが否定されることは自分の一側面が否定されることであり、あってはならないことだと思っています。「逃げ場所」「セーフティーネット」と書くとネガティブなニュアンスも含むわけですが、そういった役割を果たしていることを簡単に否定してほしくはありません。

 ポジティブな面に目を向けたときにも、ゲームをプレイすることで有名になりたいという気持ちを大いに肯定したいと思います。例えばゲーム実況はYoutuberが扱う一大ジャンルです。Youtuberの存在感は日に日に増していて、広告メディアとしてどの業界も無視できる存在ではなくなっています。彼らを承認欲求モンスターだと切り捨てるべきだとはもはや誰も言えないはず。

 また、E-sportsのプロプレイヤーはゲームをプレイすることでお金を稼いでいます。大きな大会で勝ちあがることで有名になった彼らに対して、承認欲求がどうのこうと言うのは見当違い。

 「ゲームで有名になって一体何があるんだ」という問いを突き詰めると、Youtuberやプロプレイヤーの存在すらを否定することになりかねません。もちろん話は複雑で、「認められたい」「有名になりたい」「視聴者数を増やしたい」「お金を稼ぎたい」「一番になりたい」といった欲求はそれぞれ異質のものであり、一緒くたにできるものではありません。しかしゲーム産業のこれからの発展を念頭に置いて、あえてこれらの感情をすべてひっくるめて肯定していく姿勢が必要なのではないかと考えています。

②プレイヤーによるコミュニティ

 コミュニティに対して、ユーザ目線の議論です。

 基本的には①と同じ議論です。ゲーム好きが集まってできたコミュニティは大切にすべきものです。

 ここで議論の的になるのは、他人にプレイを強要するようなプレイヤーの存在。「毎日ログインしていない人は強制退会」「ランキングで上位に入れなかったら罰ゲーム」。どんなゲームであってもこういう発言をする人を目につきます。血気盛んな若者に多いですが、大人だって例外ではないと思います。

 コミュニティの質を高めることで所属メンバーが得られるメリットを大きくしたいという目的があるのだと思います。情報共有という実利の面しかり、他のプレイヤーからの目線という承認欲求的な面しかり。しかしゲームはやってもやらなくてもいいものです。ゲームプレイに義務感を与えた瞬間、それは退屈なものに変貌する可能性を持ちます。楽しんでプレイすることが一番良いのは当たり前のことです。

 人にプレイを強要する人は、そういったことをきちんと理解しているのかもしれません。理解しているにせよ理解していないにせよ、彼らは選ばれた人間による特別な集団を形成したいと考えている。これはもはやゲームが云々という話ではなく、人間が集団をどのように形成し、どのように運営していくかという話になる気がします。ゲームから話題が逸れますのでこの議論はここで畳みます。人間の業は深い。

③ゲームを頑張りすぎること

 過度にゲームを頑張ってしまうことについて、ユーザ目線の議論です。

 ゲームが面白いからついつい長時間プレイしてしまう。これは全く悪いことではありません。幸せな状況です。どのようなモチベーションでプレイしているかが問題で、純粋にゲームを楽しんでいるのならばいいのですが、①②で議論したようなところに突き動かされてプレイすると良くない結果を招きがちだなと僕は思います。

 多くの人にとってゲームは趣味、楽しむものです。たまには、何故自分はこのゲームをプレイしているのだろうと振り返る瞬間があってもよいのかもしれません。ゲーム以外にも、この世界には面白いものが満ち溢れている。無理にゲームをする必要はどこにもありません。ゲームによって人生を破壊されるなんてことがあってはいけません。 

④ゲーム内コンテンツの量の管理

 ③と同じく過度にゲームを頑張ってしまうことついて、ゲーム会社目線の議論です。

 ユーザがゲームを頑張りすぎてしまうということは、たくさんプレイする余地があるということです。これは1人プレイで完結しているゲームに関しては全く議論する必要のない側面で、各々が自分のペースでプレイしてゴールを目指せばよいだけです。

 一方で、スマホゲームに限らず、昨今のゲームは他人と繋がる要素が至る所に入っています。自分のゲームの進み具合が他人に影響することが多いです。自分よりゲームが遅れている人からはメリットが得られないことが多く、進んでいる人たちからは邪険にされがち。対人対戦ゲームであれば、カモにされてしまうので早く強りたいと思うことでしょう。他人とつながるゲームをプレイするうえでは他人に遅れないことが重要になってきます。

 ゲーム内のコンテンツ量が多ければ多いほど、進んでいる人と遅れている人の差は大きくなってきます。従って悲しい想いをする人の数も増えます。しかしコンテンツの量を少なくしてしまうと、熱心にプレイしている人がコンテンツを消費しつくすタイミングが早くなり、満足度の低下・ゲームからの離脱・基本プレイ無料のゲームであれば売り上げの低下を招きます。(基本プレイ無料のゲームはユーザ全体のボリュームゾーンと課金ユーザのボリュームゾーンが異なるように設計されているため、そもそも構造上に無理があることは否めませんが...。)

 ゲーム会社にとってはコンテンツ量を多くすることに越したことはありません。ですが、多すぎると弊害をもたらす可能性があることを、頭の片隅に置いて開発・運営を進めるべきだと思います。たくさんのコンテンツを用意しておいて順次開放していくなどの工夫は必ず一度検討すべきでしょう。開発費用や開発期間の問題もあるので、必ずしも量を減らすことはデメリットではないはずです。

 対人対戦ゲームにおいてはマッチング機能の改良によって、上位と下位が対戦しないようにすれば基本的にはOKです。ユーザが少なければ上手くいかないこともありますが。

⑤課金やガチャに天井を設ける

 お金の面でユーザが疲弊してしまうことについてのゲーム会社目線の議論です。

 これは課金要素のあるゲーム限定の議論であり、かつ、非常に一般的でよく聞く話です。ユーザが頑張りすぎるあまりお金を投入しすぎて疲弊するという課題は、金額に上限を設けることで簡単に解決できます。スタミナ制を導入したスマホゲームであれば、時間の面も同様に解決可能です。

 もちろんゲーム会社から見れば、上限を設ければ売り上げが減ります。売り上げ減少という痛みをとってでも、ユーザが健全にプレイすること、そして社会からの批判的な目線をやわらげることを目指すのか、という単純なトレードオフの話です。ゲーム業界全体で、引き続き議論を重ねていくべき課題です。

終わりに

 抜けている目線もあるかもしれませんが、自分が感じたもやもやを整理してみました。ユーザ各々がゲームとのちょうどよい距離感を模索し続けること、そしてゲーム会社がユーザに健全に遊ばれるゲームの形を模索し続けること。両者の努力によってゲームという文化が発展していくことを願っています。

 

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