理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

日々に身を切られるようなシビアさを

サークルの大会

 大学生になって以来、ゴールデンウィークは毎年バスケットボールの大会に出場しています。学生サークルの大会で、参加チームは男女それぞれ30ほど。トーナメントの1発勝負です。

 一昨日が初日でした。その日に2回勝って、今日は準々決勝。対戦相手は優勝候補の一角で190cm代の選手を二人擁しています。ツインタワーです。序盤こそ点差は開かなかったもののじりじりと離され続け、最終的には20点差をつけられ負けました。地力の差を見せつけられた形になりました。

 しかし僕らを破ったチームは続く準決勝であっけなく敗退してしまいました。戦っているときはあんなに手ごわかったのに、いともたやすく。結局その戦いに勝ったチームが最後まで勝ち進み、優勝しました。

これがバスケだ

 シビアな世界なんですよね。当たり前なのですが。サークルの大会はそんなに頻繁にあるわけではないので、毎回この感覚を”思い出します”。これがバスケだ、これがスポーツだ、と。

 勝てないチームには勝てないんですよ。もちろん実力が拮抗していればムードで勝敗の行方が決することもありますが、地力に差があればそこにはワンチャンはなくて、強い方が勝ちます。

 大会に出場せずにぬるく学生生活を送っていると、僕はこれを忘れてしまう。強い方が勝つということ、勝者はただ1チームであるということ。でもだからこそ真剣勝負は楽しく、勝ったときの喜びは大きいこと。逆に負けたら落ち込みます。でも、それがモチベーションに変わっていくことを僕は知っています。日々の練習へ臨む態度を、もう一度改めてみようと思えるのです。

日々に身を切られるようなシビアさを

 現在大学院2年生の僕は、研究と就職活動に追われてなかなかバスケをする時間がとれていませんでした。大会に出場しても足手まといになるだけかもしれないとの思いもありましたし、大けがをしたら就活に影響が出るかもしれないとの危惧もあった。でも、この雰囲気の中でバスケができて本当によかったです。

 研究の世界にはいろいろな土俵があります。世界No.1を目指す研究も多いとは思うのですが、僕が専攻する工学つまりエンジニアリングでは、社会の役に立てばいいとの見方もあるわけです。特定の環境下でのみ有用な方法であっても、役に立つことが実証できればそれは立派な研究成果です。小さなsomething newを積めればいいわけです。

 研究をこうやって捉えるのならば、たかが学生サークルのバスケ大会であっても、研究よりもシビアな一面もあるのではないか。今日はそんなことを考えました。例え相手の方が体格が大きかったとしても、やるしかない。相手チームよりも多く得点を決められなかったら負けです。負けたら、その大会は即終了なのです。

 そういう身を切られるようなシビアさ。最近の生活で不足していたものだなぁと感じています。当然緊張するのですが、それはなんとなく「生きているなぁ」という感覚につながるような気がしています。

 

 

そういえば会場にこれが転がってたので今日のイメージ画像はこれで。