理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

元少年Aの存在証明 ― クローズアップ現代「絶歌」特集を見て

 昨日、7月2日のNHKクローズアップ現代で「絶歌」が取り上げられていました。表現の自由を盾にして、被害者家族をこれ以上苦しめていいのか、というようなことが議論されていました。ここでその議論に乗っかりたいわけではないです。そもそも僕は「絶歌」を読んではいませんから。

 なんでわざわざ手記を出版することになったのだろうという疑問を持っていました。その理由が、昨日のクロ現を見てなんとなくわかった気分になりました。本当のところは元A少年本人しか分からないことでしょうけどね。

 真の社会復帰とは

 逮捕された元A少年は更生施設で教育を受けた後、無事に社会に復帰しました。あれだけ大きな衝撃を世間に与えた人間でも、数年で出てこれるんですね。でも、ちょっと想像力を働かせるとわかることかもしれませんが、「復帰する」ことと「馴染む」ことは別物。会社を転々とし、最近は無職だったようです。

 更生施設できちんと面倒を見てもらっていたころと違って、誰にも自分の心情を打ち明けられない生活。自分が酒鬼薔薇聖斗だったなんて、どんなに仲良くなった人であっても、絶対にいえないでしょうね。自分の思いを押し殺して、この先も生き続けなければならない。同情するつもりはないのですが、想像を絶する辛さでしょう。

 東野圭吾さんの「手紙」という作品が思い起こさせられます。この作品の主人公は兄が殺人を犯してしまった青年。つまり、犯罪加害者家族にスポットを当てた物語です。少しでも兄のことがバレてしまったら、瞬く間に現在の居場所を失ってしまう弟。苦難に満ちた人生が描かれていました。元A少年は加害者本人なのですから、比べ物にならないのかもしれません。

 存在証明としての書く力

 その辛い境遇の中で、なぜ手記を出版するということになるのか。クロ現を見る前は、目的は単にお金なのだろうと思っていました。本人がお金を欲したのかもしれないし、出版社がお金儲けをするために書かせたのかな、と思っていました。

 しかし、そうではないのかもしれないのです。番組に出ていた、更生に関わっていた精神科の先生の言葉が印象的でした。誰にも自分の本心を打ち明けられない状態は、自分のことを真に理解してくれている人間がいないことと等価です。それは、自分がこの世に存在していないのと変わらない。すごく追い詰められた状態です。

 そこで彼が選んだ「書く」という行為。精神科の先生は、書くことはすごくパワーを秘めている行為だと言っていました。書くことによって元A少年は自分の存在を証明しようとしてたのかもしれない。死刑囚や軍人も手記を書きたがるが、それと同じようなことだろう。自分が生きた証をこの世に刻みたいのではないか。うろ覚えですが、そんなようなことを仰っていました。

 この話がクロ現のメインテーマではなかったのですが、思わず考えさせられてしまいました。自分に引きつけて考えてみると、自分がブログで文章を書いている理由も、存在証明なのかなぁなんて思います。「なぜブログを書くか」みたいなブログ論になってしまいそうなのでこれ以上は突っ込みませんが、元A少年と自分、根底にあるものは同じなのかもしれないと考えると、興味深い話ですよね。「書く」とは、人間の奥深くに刻まれた、根源的な欲求なのかなぁと思いました。

消してリライトして

 存在の証明。なんて厨二臭い言葉でしょうか。でも、馬鹿にできないもんだなと思うわけです。アジカンのリライトの冒頭は、元A少年の心理に近いのかもしれないです。

軋んだ想いを吐き出したいのは

存在の証明が他にないから

  自分の想いを吐き出すことでしか、己の存在を証明できない。そんな状態に、陥りたくないなと思います。存在証明の方法なんて、他にもいろいろあるでしょう。きっと。

 

 

 

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リライト

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