理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

英語学習:All Ears Englishのオススメポイント

 英語学習教材は学生の頃から様々なものを試してきた。社会人生活に突入し、「All Ears English」が生活にフィットしてきているのでご紹介したい。 
 YouTube動画、Podcast、専用アプリなど様々な方法で聞けるので、自分に合った聞き方を選べる。自分はYouTube Musicで音楽を聴く感覚で使っている。

All Ears English Podcast • General Fluency | All Ears English


ネイティブ同士の会話

 学生の頃は英語で論文を読んだり、TOEICで良い点数を目指したりするためのリスニング教材を聞いていた。BBCニュースなどがちょうど良かった。サラリーマンになり、メールやSlackの読み書きはAI翻訳を頼れるので、必要とされる英語力が変わってきた。
 最近はもっぱら英会話の能力を伸ばしたいと思うようになった。対面で英語話者に出会った際に、簡単で良いから英語で話したい。AIの時代だからこそ、生身のコミュニケーションが大事になってきた感覚がある。あとは海外旅行で困らないようにしたいという想いもある。
 というわけで「All Ears English」のオススメポイント1つ目は、ネイティブスピーカー同士が親しげに会話している様子が聞けることだ。ある程度は台本を用意しているようだが、会話パートはアドリブでやっているようなので、ライブ感があって良い。返事の仕方、相槌の打ち方などの空気感が参考になる。
 ある程度手加減して喋ってくれているので、会話形式とはいえかなり聞きやすい。早口にならないし、スラングを使うこともない。初心者向けではないが、分かるようになると達成感がある。

英語で英語の学習をする

 英語のリスニング教材は、内容に興味を持てるかが重要だと思う。聞く目的が「英語を勉強すること」のみに寄りすぎると辛い。昔BBCニュースを聞いたときは、日本以外の目線から報道されるニュースが面白かったが、それはSNSでも代用できる。
 「All Ears English」のオススメポイント2つ目として、英語学習の話題に絞られていることを挙げたい。英語を学習する意欲があってリスニングをしているわけなので、単語や慣用句の使い方、発音などの話を聞いていると一石二鳥な感じがする。
 毎回テーマが1つに絞られており、丁寧な解説が入る。ロールプレイも含めてかなりこってり話してくれるので、消化不良になりにくい。英語で英単語の説明をしてくれるときは、英英辞典を読んでいるような感覚になる。
 究極的にはその人の英語レベルや好みの問題になるとは思うが、私のようにハマる人は多いのではないだろうか。

習慣化しやすいフォーマット

 テーマが1つに絞られているということもあり、1本の動画は15分程度にまとめられている。自分は駅までの徒歩がちょうどそのぐらいの時間なので、非常にちょうど良い。時間がブレないので、習慣化しやすい。
 広告などがなく、本題をすぐ聞けるので余計な手間がない。週5更新なので、平日に毎日聞くことでちょうど消化できる。時間を確保してガッツリ勉強したい人には向かないが、自分のようにとにかく英語に毎日触れて耳を慣らしたいという人にはちょうど良い。
 向き不向きはあるので、教材を探している方の参考になれば幸いである。


youtu.be

www.youtube.com

我が子が生まれて半年

 子供が生まれて半年ほど経過した。混沌とした日々の中で、もがきながら前へ進み、ようやく思考の整理をつける余裕が出てきた。将来見返すために、最近ぐるぐると考えていることを書きなぐりたい。

自分の時間

 子供が生まれると自分の時間がなくなる。あらゆる人から言われたし、自分でもわかっているつもりでいた。しかし適応するにはそれなりの時間がかかってしまった。ようやく自分の気持ちに整理がついてきた。
 子供が生まれるまでの自分の人生の時間は、当然ながら私がすべての制御権を握っていた。子供が生まれるとは、その制御権を手放すことだった。単に量や質だけの問題ではなかった。
 自分の時間はすべて子供のための時間になった。時間の従属先が子供になったとも言える。直接接触する時間だけでなく、お金を稼ぐための仕事の時間や、家事をする時間も最終的には子供のため。そういう考え方に切り替えることができた。
 子供が夜早く寝てくれたときは時間の主体が消失するので、自分のために使える時間が無から現れる。この時間は基本的にはないものとして考えておき、あらゆる時間を子供のために使う覚悟で生きることにした。
 趣味に使える時間の性質の変化は、趣味に生きがいを感じていたかつての私を苦しめた。自分の時間の制御権を手放し、気まぐれに出現する自分のための時間を享受するという考えを受け入れることで、ようやく納得感を持って向き合えるようになった。「今日は帰宅したらあれをやってからこれをしよう」みたいな時間割の考え方はなくなり、やりたいことのTODOリストだけを持つようになった。
 対戦ゲームをやめた。自分の時間がふいに現れたとして、それはいつでも中断される可能性を持つ。「いまやめられないから待って!」は通用しない。子供の具合に勝敗が左右されてストレスを感じるようでは、自分を不幸にしているだけだし、子供や妻にも申し訳ない。自分で中断タイミングを作れる1人用ゲームだけを遊ぶことにした。
 毎日確実に自分の時間を使える場所が1つだけ残された。それが通勤時間。通勤が短すぎても不幸を感じるというニュースを最近見たが、実感を持って同意できる。どんなに混雑が酷かろうと、自分で自分の時間をコントロールできることは他に代え難い。

妻との関係

 妻は自立した人間で、手に職を持っているし、趣味や友達も持っている。子供が生まれる前は、様々な面で対等な関係を築いていくことが健全な夫婦運営になるのではないかと考えていた。お金や時間については、なるべく平等性を意識して負担し合うのが良いと考えていた。
 上述の考え方は修正することにした。妊娠、出産、育児は女性の負担が明らかに重い。妻は何年にもわたって行動を制限され、命を失うリスクすらある。子育てを前に、夫婦は平等ではいられない。
 妻は産育休を取得した。自分も短い育休は取得したが、組織の人員的に長く休むのは難しい状況だった。無理やり休めば自分のキャリアが曲がる。妻には申し訳なかったが、これからの長い期間にわたっての収入を最大化するには、この選択肢が理想だった。わがままを通させてもらって本当に感謝している。
 自分がお金を稼げているのは妻のおかげであって、お金を稼いでいる自分が偉いわけではない。金銭負担が私に偏るのも当然。役割を分担しているに過ぎない。
 給与所得で家計を支えつつ、仕事以外の時間は育児に費やしている。しかし元来私は不器用で察しが悪く、妻の理想とする働きはできていない。私が悪いことは頭ではわかっているのだが、素直に受け入れることができず、妻に反発してしまう。素直に謝れない。自分は冷静でアンガーマネジメントができるタイプの男だという自負があったのだが、こんなに自分をコントロールすることが難しいのかと愕然とした。寝不足は言い訳の1つに過ぎず、すべては自分の未熟さに起因している。
 管理職に昇格し、仕事の上から下までの全体像も見えるようになってきた。人間としての自分の成熟を感じていた頃合いだったのだが、そうではないという現実を突きつけられた。知識の面でも育児については知らないことばかりだった。未熟な自分と向き合い、謙虚な姿勢で妻と接しなければならない。

子供へ

 子が生まれたての頃は刺激に対する反応が鈍く、私が何をしても無反応だった。これが自分の愛する子供だという実感も薄く、子供を前にしてどのようにあやしてあげればよいのかわからなかった。他者から与えられる言葉や接触によって成長していくものだというのは頭でわかっていても、何をしたらよいのかわからず立ちすくんでしまっていた。自分が情けなかった。
 妻の様子を真似したりしながら、手探りを続けていた。それと同時に子供も成長してきて、反応を返してくれるようになった。私が遊んであげることで子供が笑うようになった当初は本当にうれしかった。
 しばらくすると、子供は妻か妻以外かで人間を区別するようになった。私が寝かしつけようとすると泣き叫んでしまう。私の力不足で妻に頼らねばならないというのは苦しい体験だ。
 最近ようやく、子供が私のことを認識してくれているように感じる。寝返りができるようになり、見える世界も広がったようだ。こういう些細な成長の1つ1つに感動を覚えるし、私自身もこうやって両親に見守られながら育ったのだなと思うと感慨深い。
 子供を持って良かったと心から思える状態に至るには、まだまだ乗り越えるべき壁が多いように感じる。しかし子育てをやりきったとき、子供を持って良かったと思える確信はある。これからもっと大変になるらしいが、萎縮してばかりもいられない。
 自分という人間が緩やかに衰え、成し遂げられる物事の限界が見えてくる。そんな自分の横で、子供は無限の未来に向かって懸命に手を伸ばしている。この子が生きる未来をたくさん見たい。頑張るしかない。



最近の子供のお気に入り

My auのアプリによる2段階認証が通らない場合の対処

 公式のヘルプが当てにならなくて困ったので書いておきます。

症状

 auに登録している住所を変更する際はWebで完結できず、My auアプリを経由する二段階認証があります。ここが通らなくて住所変更ができませんでした。
 「ページが開けません。アドレスが無効です」と出続けます。

1段階目:サファリのプライベートモード

 ここは公式にもちゃんと書いてあるので私が悪い案件なのですが、サファリがプライベートモードになっていると機能しません。Chromeのシークレットモードのようなものなのですが、一度切り替えるとずっとこっちでブラウジングされるので、気づいていませんでした。
 iphoneを使っている場合、この処理はサファリじゃないと動きません。私のように普段サファリを使っていないと、勘違いが起きる部分かなと思いました。


2段階目:不明

 プライベートモードで1回引っ掛かると内部ステートがおかしくなるらしく、その後何をやってもダメでした。挙動を観察するに、サファリからMy auアプリを呼び出すところがダメになっているようなので、My auアプリをアンインストールして、インストールし直したら動きました。
 住所を変えたいだけなのに、なんでこんな四苦八苦しなきゃならんのだというイライラだけが貯まりましたとさ。めでたしめでたし。

Switch2がテレビに映らない問題

 結論、ACアダプターの使い回しがダメだった。
 Switch2の初回起動時チュートリアルのところでテレビに出力しようと思ったのだが映らなかった。Switch2はちゃんと充電されるが、緑色のランプが一瞬しか点灯しない状態だった。
 SwitchのACアダプターがそのまま刺さっていたので使いまわそうとしていたのだが、これをSwitch2に同梱されていたものに変えたら上手くいった。パワー不足だったということだろうか。単なるアダプターだと思ったのだが。

オーストラリアETAのパスポート読み取り

 Australian ETA アプリからのパスポート読み取りが上手くいかなかったが、何回かやっていたら通った。インターネットの至る所に困っている人の形跡があったので、同様に困っている人が多いんだなと。
 自分の場合、写真読み取りは毎回クリアできて、ICチップ読み取りも成功した素振りを見せるのだが、その後" failed to capture passport information"と出てエラーになった。どっちが悪いのか分からずかなりストレスだった。
 パスポートの裏面から読み取るようにガイダンスが出ていたが、1枚めくってICチップが埋め込まれているページに直接スマホを当てたらクリアできた。なので自分の場合ICチップ読み取りが上手くいっていなかったっぽかった。ICチップ読み取りはかなりデリケートっぽいため、スマホを完全固定した方が良さそう。
 原因は色々あると思うので何度も挑戦するしかないんじゃないかなと思った。諦めずにリトライするしかないかと。



※自分のスマホ:iPhone13, iOS18.3.1


AustralianETA

AustralianETA

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  • 無料
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管理職1年目のフィードバックにて

はじめに

 昨年度に昇格し、管理職としての最初の1年が経過した。自分の能力が足りておらず、明確に壁を感じる1年だった。この感覚はいま書き残しておいた方がいいと思ったので、恥ずかしいが勢いのまま書きなぐっておく。10年後ぐらいに振り返ってどう思うだろうか。

評価面談にて

 昨年は業務内容が大きく変わった。現場で手を動かすのではなく、管理者としてチームの方針を決め、人員をまとめる立場になった。この業務に慣れるのでいっぱいいっぱいになった。
 役員からの私の評価は厳しいものだった。人を管理するのが全くできていないと。ただ、1年目だからしょうがないとも言ってくれつつ、要点を教えてくれた。

人を見ること

 サラリーマン1人でできる仕事の量には限界がある。そのため人はチームを作り、役割分担をして大きな仕事に立ち向かう。管理職はチームをまとめていく。
 私がやらねばならないこと、やれていないことが、個々人のモチベーションを管理していくこと。そしてそのために、ちょうど良い目標を提示すること。
 チームメンバーに良い仕事をしてもらうには、個々人の向かうべき方向を提示するのが大事。これをやってほしい、この数字を達成してほしい、これができる人になってほしい、そういう方向感を示さねばならない。
 全員について一律で定めるのは難しい。個々人のキャリアやスキルを見て、適切に調整していかねばならない。これが本当に難しい。結局、密にコミュニケーションをするしかない。
 私が管理しているメンバーは、自分の手駒ではない。会社の大切な人的資産である。社長がすべての人員を細かく見れるわけがないので、その役務の一部を自分が肩代わりしているだけ。あくまで代打なのだ。

今後

 上長に伝えられたときはものすごくショックを受けたので書き残しておこうと思ったのだが、冷静にこの文章を書いてみると当たり前のことしか言っていないじゃないかという気分になってしまった。とても恥ずかしい。だが、壁だと感じたのは間違いないので、ここに残しておこうと思う。

プロセカ映画が意外と良かったので感想文を書く

 軽い気持ちで見に行ったプロセカの映画「劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク」が予想外に良かったので、舐めていた謝罪の意を込めて感想を書かせていただく。

※ネタバレを含みます。


削ぎ落す勇気

 正直、期待をしていなかった。大きな理由としては、プロセカが映画化に向いていないコンテンツだと思っていたからだ。オリジナルキャラが20人いる。バーチャルシンガー6人は5ユニット分の姿がある。ざっと数えるだけで登場人物が50人いる。1人1分尺を与えただけで50分潰れてしまう。
 どうやってこの難題を解決したのか?
 この映画では登場人物の紹介が行われない。わざわざ名乗ることもしない。ゲーム内で知っている前提で話を作っている。思い切った割り切り方によって、映画としてストーリーを展開するだけの尺を確保している。
 また、重要な要素である「セカイ」の説明が行われない。これも観客が分かっている前提に頼り切っている。あくまでゲーム内で展開されているシナリオの延長のストーリーが映画になっているという形だった。
 プロセカは音楽コンテンツである。たくさんライブシーンを用意して、歌で観客を引き込む手法が採られると思っていた。しかし後述するように肝心なシーンだけに絞ることによって、尺を節約しつつ、クライマックスに見事な盛り上がりを作った。既存楽曲が効きたいなら3Dライブに来てね、という感じなのだろう。
 映画は多くの人に届く可能性がある媒体である。プロセカを全く知らない人にも見てほしいという邪念が芽生えても不思議ではない。しかし製作陣は勇気をもって上記を切り捨てた。それが映画を面白くすることに大きく貢献していた。


一貫した思想

 5ユニット20人の群像劇を、1本の映画にするのは至難の業だ。実現できたのはシンプルで美しい物語の構成のおかげだと思った。壊れたセカイのミクの1つの想いを、5ユニットがそれぞれの形で歌にするという手法だ。本当にこれしかないぐらいの正解を導き出しているように思う。
 プロセカは4周年を迎え、5ユニットの物語も大きく進展したし、ゲームの外での展開も増えた。しかし根幹にある作品の思想は徹底してブラさないように心掛けているように見える。それは、想いを歌に込めて届けるということ。
 プロセカの登場人物は1人1人がとても魅力的だが、彼らはスーパーマンではない。等身大の高校生だ。だからそれなりの尺を使って物語を作ろうとしても、世界の危機を救うような壮大なものは作れない。
 この映画のストーリーは、プロセカがずっと紡いできた物語の延長上にあり、いつもやっていることを舞台を変えてやったにすぎない。歌で想いを届けること。それが登場人物たちができる唯一のことなので、ライブシーンは日常ではなくクライマックス。ここぞという場面にしか使われていない。
 中盤までは物語がどのような構造をしているかわからず、どういう着地を目指しているのかイメージできなかった。ステージのセカイでみのりが、壊れたセカイのミクの想いを私たちで形にしようと言い出した時、ようやく展開を見通すことができた。ああ、ちゃんと"プロセカ"を貫いてくれるんだと。
 物語の方に不安がなくなると同時に、これからやってくるであろう見せ場の歌唱シーンに向けて期待が積み上がり始めた。期待のさせ方が上手だった。そしてその期待を見事に超えてくる歌唱シーンは、見ていて本当に気持ちが良かった。

ボカロへの愛

 リリース当初から感じていることではあるが、プロセカというコンテンツはボカロミュージックの歴史にきちんと敬意を払っている。というより、コンテンツ制作に関わっている人たちが本当にボカロが好きなんだなと伝わってくる。映画にもそれがにじみ出ていてよかった。
 「#初音ミクの消失」のシーンがもっとも印象的だった。「すごい!」というよりも、同じボカロオタクとして「それやりたいよね~」というような共感の思いの方が強く感じられた。思いついてしまったのならしょうがない。やるしかないだろう。
 この映画の街中にはボカロミュージックが溢れている。一方で、壊れたセカイのミクは歌えない。対比を作る意図もあったと思うが、前者は制作陣の願望のようにも見えた。そういう世界を目指して、彼らは日々仕事に当たっているのだろう。
 挿入歌として使われる楽曲が、誰もが知っているであろう超有名曲ではなかったのも、ボカロオタクらしいなと感じられた。再生数でドライに評価される世界ではあるが、まだ世界に見つかっていない名曲を自分だけが知っている優越感もまた、ボカロカルチャーを構成する要素だろう。
 ボカロを愛するすべての人に届いてほしいが、残念ながらこの映画はプロセカをちゃんと知っていないと楽しめないと思う。そういう意味では惜しい作品と言えるのかもしれないが、やりたいことを貫くならこれしかないのだという、制作陣の熱い思いが伝わってくる作品だった。劇場で見られてよかった。