理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー感想 - 諦めないこと・勇気を持つこと

 評判が良くて期待して見に行ったマリオの映画が、その期待のさらに遥か上を行く体験だったため、興奮冷めやらぬうちにこれを書いている。



ネタバレします。


ストーリーではなく過程

 マリオが映画化するらしい。それを聞いたときからもうすでにオチはわかっていた。マリオがクッパを倒して終わりだろう。誰にだってわかる。
 この映画は予告の時点でクッパの狼藉を描いた。アレが悪役であり倒されるべき存在。とてもわかりやすい。
 観客がこの映画に期待しているのは、クッパを倒すまでの過程だ。制作側はそれを完全に理解している。そして制作側が見せたいのも過程なのだ。今作が見ていて最高に気持ちいいのはそこだと思う。
 複雑な人間関係はない。解決されるべき謎もない。観客が期待する過程、制作側が見せたい過程。両者が毎シーンごとにすり合って、面白さを生み出していく。いままでに味わったことのない映画体験だった。

音楽と映像

 ノコノコを踏んだらこの音がする。ピーチ城に入ったらこの音楽が流れる。我々にはゲーム体験に紐づいた五感の記憶がある。それをこの映画は美しく拾ってくれる。
 クライマックスのスーパースターのシーンは圧巻だった。よく考えればこれしかないのだが、あの音楽が流れ始めたときに全身にたった鳥肌は何だったのだろう。スーパースターにノスタルジーを感じているわけではないと思う。私はそこまでマリオに思い入れはない。
 上述したことに重なるが、私があの音楽を期待したとき、一番気持ちいの良い形でそれが叶えられる。それが感動の正体なのかもしれない。制作側と会話をしているような気にすらなった。「アレを流してくれるよね?」「もちろんだとも!」

テーマ

 マリオというコンテンツに哲学はないと思っていた。彼自身にも、ストーリーにもそれはないはずだと。だから映画のテーマを設定することには工夫が必要だったのではないか。
 違った。任天堂は分かっていた。マリオには哲学がある。初代のマリオからずっとずっと貫かれていたソレが、今作でも見事にテーマとして描かれていた。「諦めないこと」「勇気をもつこと」。
 マリオというコンテンツはゲーム体験が根底にある。任天堂がこの映画に直接携わることで、そこがブレなかった。本当に見事なディレクションとしかいいようがない。
 マリオというゲームをクリアするには「諦めないこと」と「勇気を持つこと」が必要だ。映画でマリオというキャラを描くとき、この映画はそれを強みにした。我々プレイヤーが諦めなかったあから、映画でもマリオは諦めなかったし、勇気を持って未知に飛び込んだ。
 任天堂は映画を通じて、すべてのゲーマーにエールを送ったのだ。よくぞゲームをクリアしてくれたと。諦めずに何度もリトライし、勇気をもってジャンプをしたと。映画でもゲームでも彼らの姿勢は全く変わらなかった。諦めないこと、勇気を持つことは尊い
 この映画を作るまでには相当長い年月がかかったらしいという話を聞いた。途中で困難にぶつかったこともあったのかもしれない。だけど、諦めずにやり切ってくれて本当に嬉しい。感動をありがとう。