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理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

ゲームにおけるサプライズ要素と、開発vs宣伝の戦い

 ゲームにはサプライズが必要だと最近思うようになりました。なぜサプライズが必要か、そしてサプライズをお客さんに届けるにあたっての課題について書いてみたいと思います。

エンターテインメントにはサプライズが必要だ

 僕は仕事でゲームの開発に関わっています。開発の会議で社内の取締役の意見を伺う機会がたびたびありまして、その方の持論が「エンターテインメントにはサプライズが必要だ」というものです。いろいろ考えた結果、ゲームの開発者として、そして一人のゲーマーとしてこの考えに同意するようになりました。

 「驚き」というのはエンターテインメントの根幹を成すものだと思います。自分の予期していなかったことが起きたとき、人は「ドキドキ」「わくわく」と興奮し、楽しいという感覚が生まれてくるのだと思います。次にどんな敵が待ち構えているかわからないRPGしかり、いつ怖いシーンが出てくるかわからないホラー映画しかり、知らされていなかったゲストが登場するライブイベントしかり。

 ゲームをプレイする過程にはユーザの知らないこと=サプライズがたくさん用意されているべきだと思います。ゲーム内で起こることをすべて知っていたら、ただ指を動かすだけの作業になってしまいます。そこに楽しさを見出せるでしょうか。(格ゲーや音ゲーなど当てはまらないジャンルもあると思いますが、そういうゲームでも何かしらのサプライズ要素があると楽しいですよね。シークレットキャラとか隠しステージとか。)

 アプリゲームで開催されるイベントを例にとってみると、自分で体験する前にイベント内容のすべてを知っている場合、用意されたイベントを楽しみつつも、その事前情報が正しいかどうか確認するという作業感や、運営にやらされている感を僕は心のどこかで感じてしまいます。告知に含まれないサプライズ要素が毎回のイベントに仕込まれるアプリゲームがあったとしたら、今回はどんな驚きが隠されているのだろうと積極的にゲームを遊びたくなる気がします。

サプライズの前借りはやめてほしい

 ゲームにはサプライズがないよりはあったほうがよい、ということには多くの方が同意してくれるのではないでしょうか。一方でその逆の働き、つまりサプライズをさらけ出してしまう役割もまた、ゲーム会社には存在します。それは宣伝・広告を担う人たちです。

 宣伝担当は一人でも多くのひとが自社のゲームを面白そうだと思ってもらえるように広告を展開していきます。多くの場合、広告には売り込もうとしているゲームの中身の情報を盛り込むことになるでしょう。アプリゲームのイベントも同様で、イベントが始まる前からそのイベントの情報を出して、ユーザの盛り上がりを作ろうとします。それだけでなく、休眠ユーザの呼び戻し、新規ユーザの獲得も同時に狙っていくことになるでしょう。

 広告を打つということもまたエンターテインメントの要素を含んでおり、そこにサプライズがあればあるほどユーザの反応は大きくなります。昔から趣向を凝らした面白い広告をたくさん目にしますが、広告に盛り込むサプライズ要素の中で一番手っ取り早く利用することができるものは、ゲーム開発者がゲームをプレイしてくれる人を驚かせようと仕込んだサプライズ要素です。今回のゲームではこんなにびっくりな演出があるんだよ、というタイプの広告です。このようなゲーム内のサプライズ要素を切り出して利用する広告は、購入者が体験するサプライズをいわば前借りする形で消費してしまっていると僕は捉えていて、あまり好きではありません。

 ドラクエのメインストーリーやモンスターハンターの新モンスターのような部分を告知に使うことには異論はありません。本筋の部分なので人を引き付けるために使っていけば良いと思います。でも、たとえば、ポケットモンスターサンムーンでシロナが登場するよ、なんて情報は告知に必要だったでしょうか。ゲーム開発者が長年のファンを喜ばせるために入れたサプライズ要素のはずだったのに、事前告知に使われてしまって可愛そうだなと思いました。

 ゲームの発売前やゲーム内イベントの開始前に大きなバズを生み出し、ゲームに良い影響を与えたいという考えはわからないでもありません。でも、僕はひとりのゲーム開発者として、実際にゲームをプレイしてくれている人をいかに驚かせ、楽しんでもらうかが最重要課題だと考えて日々働いています。そのためには意図的に情報を隠すことが必要なケースもあるのではないでしょうか。ここが開発側と宣伝側でどうしても重点がずれてしまうところなのかなと考えています。

宣伝効果の計測

 では、一切宣伝をしなくていいのかというとそういうわけにはいきません。宣伝担当には自社からこんなゲームが出ているということを多くの人に知らしめるという大切な使命があって、彼らなしにはゲームは作れないなと思っています。

 宣伝に使う媒体は、TVCMやゲーム雑誌だけだった時代から、自社のHP、ネットメディア、ソーシャルアカウントへと広がってきました。宣伝効果を計る手段がゲームの売れ行きを見るしかなかったころと違って、Webの世界ではPVやインプレッションを数値として簡単に計測することができ、宣伝効果を単体で測定することができます。

 求められるのは数字と、より大きなバズ。ある施策でそれが達成されなかった場合、次なる施策のためにさらにゲームのサプライズ要素を消費していく、なんていう悪いループにはまっていったとしても、ある意味しょうがないのではないかと思ってしまう自分もいます。いろいろな分野でPV至上主義の功罪が語られていますが、ゲーム開発にも間違いなく影響を及ぼしていると思います。

開発者、宣伝担当、そしてユーザができること

 ゲーム開発者と宣伝担当はお互いの立場を理解して協力しあっていかねばなりません。社内でいがみあっていてもマイナスにしかなりません。

 ゲームの内容をユーザが事前に知っていたとしても夢中になれるようなゲーム設計と、ある程度消費しても弾切れしないほどのサプライズを仕込めるよう、ゲーム開発者は努力していくべきだと思います。宣伝担当も、ゲームの内容にあまり触れずに話題を作れるような企画、企画自体が驚きのある広告を提案していくべきだと僕は思います。

 そして今まで一切触れてきませんでしたが、受け取る側であるユーザも考えるべきことがあると思います。ゲーム会社が発表する情報を一切受け取らなければ、プレイするゲームは驚きに満ちたものになるでしょう。他人と競争することをあえて放棄し、自分の力だけでマイペースにゲームと向き合っていくこともできるのです。ネタバレを極端に嫌うのなら、情報を意図的に遮断することも一案だと思うのです。ゲーム会社がそれをユーザに強いるのは何かが間違っている気はしますが。

 知りたい人だけが情報にアクセスすればよい、「嫌なら見るな」という考え方は正論ではあるものの、今の時代実行することは難しいのもまた事実です。SNSで多くの他人とネット空間を共有している現代人にとって、公式がバズらせようと企んで発表する情報を回避することは非常に難しいことです。自分が購入を考えているゲームの情報を発信するアカウントを片っ端からブロックしていくことは現実的ではありません。できる範囲でルールを決めて、たとえば自分からは公式のHPにアクセスしないなど、ストレスをためずにゲームを楽しんでいけたらいいなと一人のゲーマーとして思います。

おわりに

 ゲーム会社の人間であると同時に一人のゲーマーとして、この問題には一生付き合っていく必要があると思います。また他のエンターテインメントにも同じ議論が通用すると思います。シンゴジラの細かいシーンにも徹底的なこだわりが隠されていたということを知って、あれもある種の制作者からのサプライズだなと思った覚えがあります。他のエンターテインメントはこの問題にどのように対処しているのか、興味を持って観察してければと思います。

 

その他ゲームについて考えたこと

 

 

 

 

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【映画評】期待と希望を繋ぐ ローグ・ワン/スターウォーズストーリー

映画

 ローグ・ワンスターウォーズストーリーを見てきました。大好きなスターウォーズシリーズですので、感想を書いておこうと思います。

 総評をネタバレなしで書いてみると、スターウォーズシリーズ全体のストーリーに破たんを起こすことなく、時系列的に次に控えるエピソード4への期待・希望をにじませつつ、一本の映画としてきちんとまとめあげるという綱渡りをやってのけた作品だと僕は思います。

 

 

 

 

 

 

 ネタバレをしながら詳しく感想を書きますので、気にする方はバックしてください。

 

 

 

 

 

 

 本作で気になった要素は4つあります。「なぜエピソード3とエピソード4の間だったか」「ジェダイのいないスターウォーズ」「反乱軍の葛藤」「そして誰もいなくなった」。この4点について考えたことをいろいろと書いていきます。

なぜエピソード3とエピソード4の間だったか

 まずは本作の立ち位置について。この映画は、物語中の時系列で言うとエピソード3とエピソード4の間のストーリーを描いています。エピソード4が起きる直前と言っても良いですね。

 スターウォーズシリーズは各作品の間に当たる時間に何が起きたのかも膨大な資料によって詳細に設定されています。エピソード3とエピソード4の間ではなくとも、ローグワンのような派生作品を作ることは可能なはずです。

 数ある選択肢の中からここを選んだのはやはりエピソード4がシリーズ最初の作品であるということに関係があるのではないかと思います。1977年の公開から時間が経過し、エピソード4を知らない人たちが増えてきました。あの作品こそスターウォーズシリーズの原点であって、今後公開されていくエピソード8や9の下敷きにもなっていることは間違いなく、何かきっかけを作ることでエピソード4を、もっと言えばエピソード4,5,6を見てほしかったというのが、ローグワン公開の狙いの1つにあるのではないかと思いました。

 メインシリーズから派生した作品というのはどうしてもファン向けになりがちです。しかし、良い派生作品を作れば、スターウォーズとディズニーの圧倒的知名度も相まって、多くの新規層をスターウォーズシリーズの沼に引きずり込むことができるのではないか。そう考えたスタッフがいても不思議ではないかなと思いました。

 ただ、最も古い作品に直結する最新作を作るというのは非常に難しいことです。俳優さんを再登場させることができませんし、撮影技術やCGのレベルも違います。最新作のエピソード7に繋がる話の方が断然作りやすかったでしょう。でも、あえてここを狙ってくる。そこがカッコいいなと思いました。

 エピソード4と同じキャラはCGで出演していました。本物の俳優さんと並んでもほとんど違和感がなく、技術の進歩に驚かされました。この技術に確信を持てたからこそ、この企画が動き出したのかもしれませんね。

ジェダイのいないスターウォーズ

 ローグワンの「Rogue」というのはならず者という意味です。ジェダイのような正統派ヒーローではなく、少し曲がった部分もある人物たちが活躍する物語。派生作品にはよくある設定ですが、これが吉と出るか凶と出るかは賭けだったのではないでしょうか。

 スターウォーズスターウォーズたらしめる要素の1つがジェダイの存在です。フォースの力を駆使したジェダイの戦闘シーンはスターウォーズシリーズの大きな見どころであると同時に、力に溺れてしまうと暗黒面に落ちてしまうという危うさもストーリーを引き立てる要素です。

 しかし、この作品にはジェダイの騎士がひとりも出てきません。時系列を遡って、エピソード1とエピソード2の間などにしておけば違和感なく新キャラのジェダイを登場させられたのだと思いますが、ローグワンはそもそもジェダイがほとんど残っていない時代のお話になっています。

 ジェダイがいないことによって、映画としてのわかりやすい見栄えの良さが失われることは否定できません。正義側のジェダイの騎士と、悪役側のシスの騎士がライトセーバーでチャンバラをするのがこのシリーズのアイデンティティと言っても過言ではないはずです。そのシーンをどうあがいても作ることができません。

 映画の見栄えとは別に、観客の物語の理解度にも影響してくるでしょう。今作の登場人物はきっと、「こんなときにジェダイがいれば…」と心の中で何度も思ったはずなのです。長年のスターウォーズファンはその気持ちを自然に感じ取って共感することができます。ジェダイのいない絶望感。しかし、それを新規層に伝えるすべは、この作品の中にはないように思えました。

 1つフックになるとすれば盲目の戦士チアルートの存在でしょうか。彼の初回の戦闘シーンでは度肝を抜かれました。目が見えていないのにあそこまで強いだなんて、さてはフォースの使い手かと思わされましたが、どうやら違う様子。フォースの存在を信じ、ジェダイにあこがれているだけのただの人間が、あんなに強い。であれば、フォースを使うこなずジェダイは一体どれだけ強いのだろう。彼の強さは間接的にジェダイの強さを物語っているのかなと思いました。

 だから、新規のお客さんに与えることができるのは期待だけだと思うのです。ジェダイはきっと強いのだろう、という期待。

 また、フォースがいかに強い力であるかということも、中盤でダースベイダーが見せてくれるだけでした。フォースって一体なんなの?という疑問が沸いてもおかしくありません。

 それに加えて、今作はフォースを使う人がいないにも関わらず、「ただの一般人がフォースの力を信じている」という旨の描写が多かったように思います。半分はチルアートがぶつぶつ言っていたせいなのですが、主人公のジンがローグワンに乗り込んだ団員にかける「フォースとともにあらんことを」は印象的なカットでしたし、反乱軍の管内アナウンスでもわざわざ最後に同じセリフを付け加えたりしていました。フォースの力がよくわからないのにも関わらず、やたらとフォースが存在感を帯びているわけです。

 ジェダイへの期待。フォースとは何かという疑問。新規層がそれらの受け皿を求めて、本編のシリーズを見てくれることになれば、ジェダイを出さなかったことがプラスに働きます。さて、新規層にはジェダイやフォースがどのように映ったでしょうか。

反乱軍の葛藤

 エピソード4,5,6を通して、ただの正義の味方としか描かれてこなかった反乱軍の面々。しかし今作でジンと行動を共にするキャシアン・アンドーは後ろ暗い任務を専門にしているような描写がいくつかありました。また、ローグワンに乗り込む反乱軍のメンバーも、スパイなどの汚れ仕事を担当していると言っていました。

 この設定は僕にとってはなかなか新鮮でした。戦争なのだからそういう裏の仕事が必要なのは考えてみれば当たり前なのですが、反乱軍はいつも真正面から馬鹿正直に戦いを挑んでいるのだという思い込みがあったのです。

 そしてそのような汚れ仕事を黙々とこなすキャシアンを、奇異な目で見つめるジンという構図もなかなか面白かったです。結局最後は反乱軍の正義を理解してくれるに至るのですが、「命じられたまま任務をこなすなんてトルーパーと一緒じゃない?」みたいな質問をキャシアンにぶつけた場面は印象的でした。反乱軍のために身を粉にして働いてきたつもりが、思考停止のトルーパーと同じだなんて言われたのだから、キャシアンは相当頭にきたでしょうね。この二人は仲良くなれるのかななんて心配しました。

 このトルーパー発言を聞くと、どうしてもエピソード7の展開を思い出さざるを得ませんでした。トルーパーとしての役目に疑問を感じて組織を裏切りレジスタンスの一因になったフィンは、命じられたまま任務をこなす存在ではありませんでした。単なる偶然かもしれませんが、最新作へのフックを狙って入れているのならすごいなあと思うばかりです。

 1人の人間としての反乱軍メンバーの葛藤とは別に、1つの組織としての葛藤が垣間見えるストーリーでもありました。このシリーズで度々描かれていることだと思いますが、民主主義を原則とする共和政は、時に何も決められない衆愚政治に陥ってしまいます。今作でも、ジンの証言だけを頼りにデススターの設計図強奪計画には賛成できないとする議員の存在により、評議会は紛糾。キャシアンたちが勝手に行動を起こすことになりました。

 これはもう、仕方のないことなのだと、諦めの匂いを僕は感じました。民主的に何かを決めようとすると、どうしてもこのような衝突は起こります。それが嫌ならば帝国のように上司からの命令は絶対、というシステムにするしかありません。余計な会議の必要がないので迅速に行動を起こせるとともに、恐怖による支配で高いコミットメントを要求できる素晴らしいシステムです。上司が優秀である限り、こちらの方が戦争には強い組織であることは間違いがありません。

 それでもなお民主主義を愛し、帝国のやり方に立ち向かいたいならば、勇気ある個々人が立ち上がるしかないのだと、この物語は言っているように思えます。たとえジェダイではなくても、勇気をもって行動を起こすことでしか現状は変わりません。

 個々人の葛藤と、組織としての葛藤をはらみながらも、反乱軍は民主的な正義を追い求める。危うげな儚さを感じてしまいます。

そして誰もいなくなった

 今作は主人公チームが全員死んでしまうというのも印象的でした。バッドエンドというわけではないのですが、こういう悲惨さを嫌うお客さんは一定数いることはわかっていたはずです。どういういきさつでこのようなラストにすることが決定したのかが気になりました。

 ファン目線で見ると、エピソード4との整合性をとったのかなという考えが浮かびます。この戦いで生き残った人物がもしいたなら、エピソード4でのデススター撃破の立役者として英雄視されているはずです。しかしエピソード4にはそのような描写は一切出てこないため、少し引っ掛かりを感じる部分になります。全員が亡くなってしまったのだとしたら、適当な表現ではないかもしれませんが、おさまりがよくなります。

 無名の戦士の尊い犠牲、という概念がそもそも美しいのだという考え方もあるのかもしれません。ジェダイの騎士が光だとすれば、ローグワンのチームは陰。対照的であればあるほど、どちらも存在感を増します。スターウォーズシリーズ全体を見渡す視点に立ったとき、鮮やかな陰影が見て取れる気がします。

 一本の映画としても、胸をうつものがあります。ビーチでジンとキャシアンが抱き合いながら、デススターの爆風に飲まれるシーン。ため息をついてしまいそうなほど、美しいと感じました。単純に映画としての完成度を最大化しようとしたとき、彼らが助からなかった方が良かったのかもしれません。

 そして、彼らが全員亡くなってしまったからこそ、一番最後のレイア姫のシーンが印象的になります。デススターの設計図が入ったディスクを受け取り、「これは希望です」と答えるその顔は、明るさに満ち溢れていました。多くの人命を犠牲にしてあの小さなディスクが彼女の手元に渡ったわけですが、当の本人は何も知らないかのようにほほ笑むのです。

 反乱軍は希望を糧に戦うという表現が印象付けられていましたが、レイア姫があの表情をするほどの希望があの手には握られているということになります。登場人物は全員亡くなったのになぜあのような笑みが出るのか、という違和感を感じるほど。だからこそ、いったいエピソード4では何が起きるのだと気になってしまう人もいるでしょう。

 こうして書いてみると、作品全体を通してエピソード4への期待や希望を繋ぐ作品になっているのだなと思いますね。

終わりに

 制作陣のインタビューなどは一切見ていないので、たぶん全く的外れなことも書いてきたと思います。単に映画だけを見て、僕が妄想したことを書きなぐりました。派生作品ですら、こんなにいろいろと考える余地を与えてくれるこのシリーズはやはり偉大だなと思いました。今後もこのような派生作品を撮ってくれると嬉しいですね。

 

エピソード7を見たときも同じように感想を書きました。

 

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー  オリジナル・サウンドトラック

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー オリジナル・サウンドトラック

 

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「エリートは筋トレと投資をする」と思い込むというライフハック

雑記

 エリートビジネスマン。彼らは仕事に全力で打ち込み、トレーニングジムに通って丈夫な体を作り、給料の一部を投資に回すことで手堅く資産を増やしていきます。そういう生き物なのです、あの人たちは。僕はそう思い込むことにしました。

何かを始めるにはエネルギーが必要

 僕はゲーム関連の企業に勤めています。ゲームをすることが趣味であると同時に、仕事にも繋がるという口実があるので、土日はもっぱらゲームをして過ごしています。長々とゲームで遊んでいるときにふと、このままでいいのだろうかという心配性な自分が顔を出すことがあります。

 学生のころは部活やサークル活動で日常的に運動をしていましたが、今はめっきり。また、ゲームというものは生活必需品ではありませんから、業界全体として比較的将来は不安定。こんな状況の中で、ゲームばかりして過ごしていてもいいのでしょうか。ジリジリと焦りが湧くことがあります。

 状況を打破するために、筋トレと投資を始めようと思い立ちました。思い立ったはいいものの、何か新しいことを始めるということにはエネルギーが必要です。「来週からでいいや」とついつい先延ばしにしてしまいます。また、途中でモチベーションが続かずにやめてしまうかもしれません。そう思うとますます始められません。

自己暗示をかける

 今まで二十数年生きてきて、こういうときにどうすればいいのか、大体分かってきました。僕自身のミーハーで見栄っ張りなところを利用して自分を動かせばいいのです。

 筋トレと投資をしていると、なんだかエリートビジネスマンっぽくてカッコいいと思いませんか。少なくとも僕はそう思います。

 僕は何かにつけてコンプレックスを抱えやすく見栄っ張りなので、エリートという存在にあこがれ、その仲間に入りたいと常々思っているタイプの人間です。筋トレと投資をすればエリートになれると思えば、それが不思議とモチベーションになってしまいます。「こういう服装が今風!」というファッション誌のうたい文句に踊らされる感覚に近いのかもしれません。

 全く無根拠にエリートになれると思い込んでやる気を出すのはさすがに難しいですが、今回はTwitterでフォローしているエリートな人たちが筋トレや投資について言及しているのを発見したのでやる気に火がつけやすかったです。

 そのエリートな人たちというのは、僕が勝手にエリートだと認定しているだけです。厳密な定義など必要ありません。この人たちみたいになりたいなと思えればそれでOK。彼らが筋トレと投資をしているのだから、世の中の他のエリートたちも当然実践しているわけであって、自分のその仲間に入りたいなという気分になったのです。こうなればしめたものです。

モチベーションを実利の外に置く

 これをちょっとカッコよく解説すると、モチベーションを実利の外に置いたと言うことができるのではないかと思います。

 通常、筋トレをする目的は、「痩せる」「健康増進」「ボディメイクしてモテたい」みたいなところだと思うのですが、掲げた目標が達成できなかったら辛いですよね。投資も同じで、資産を増やしたいと思っているのに、現実は資産が目減りしてしまうことさえあります。

 実利を目的として行動を起こす場合、それが得られなかったときにモチベーションが低下しがちです。目標が達成されない可能性があるというだけで、一歩踏み出すことにも迷いが生じてしまう。少なくとも僕はそういう経験をしたことがあります。

 一方で、筋トレと投資を(形だけでも)していればエリートの仲間入りができると考えると、始めることに対するハードルが低くなります。家で10回腕立て伏せをするだけでも筋トレですし、ジムに行って腹筋台で腹筋するだけでも筋トレをしていると言えます。

 実利が上がらなくても気にしません。日常的に筋トレをしていればエリートになれるので、体重が減らなくても関係ありません。とにかく筋トレをある程度継続的に行っていさえすればOK。エリートです。続けることに対するハードルも低くなるのです。

始めてみて見えるもの

 実際、僕は近所の市営のスポーツセンターに通うようになりました。結果にコミットする必要はないので月額数千円の会費を払う必要もなければ、専属のトレーナーさんも必要ありません。週に一回、マシンで適当にトレーニングをしています。 自分の中では、これでも立派に筋トレをしている状態なので、エリートになるための条件を満たしているということになります。

 最近では、ムキムキのお兄さんがフリーウエイトでせっせと鍛えているところを見て、僕もやってみたくなってきました。トレーニングの動画を見ながら、手探りで挑戦しているところです。自分で考えながら自分の体を鍛えていくというのは予想外に面白いですね。ちょっとだけ筋肉がついてくるとなお嬉しい。鏡を見るのが楽しくなってしまいます。

 いざ何かをやってみるといろいろ手を出してみたくなるのが僕の性格なので、とりあえず初めてみると良い方向に転がっていくことが多いです。今までも、そういう経験を度々してきました。

 投資についても同様に、まずは積み立て型の投資信託で始めることにしました。毎月毎月機械的に一定額を投資していきますので、申し込みさえクリアすれば勝手に投資が行えます。つまりエリートになれます。買うタイミングが自然と分散されるのでリスクも抑えめです。これを足掛かりに、いろいろと手を広げていきたいなと思っています。

 ただ、実際に調べてみると考えることはたくさんあるので、今はまだ勉強をしている段階です。いざ勉強を始めてみると投資というのはなかなか面白い世界ですね。経済についての知識も増えて嬉しいです。少し興味を持てば割と熱心に勉強できるというのも自分の性格なのです。

おわりに

 というわけで、投資はまだ実現していませんので、半人前のエリートビジネスマンになることはできました。投資もなるべく早く開始したいと思っています。もちろんエリートたるもの、仕事に本気で打ち込むのは大前提ですが。

 自分のミーハーで見栄っ張りな性格を使って、始めるのが億劫なことに挑戦することができましたよ、というお話でした。四半世紀ぐらい自分という人間と付き合ってみて、こういうやり方がいいだろうなというのがなんとなくわかってきたということです。

 じゃあ原点に立ち戻って、運動不足や将来の不安定さに対する回答になっているのか、というところは今後やりながら検証していく必要があります。実際に取り組んでみて初めてわかることは多いはずですので、始めることができてまずはひと段落越えたという段階だと思っています。

 

 

 以前こちらの本を読みました。書店にたくさん並んでいる自己啓発本の域を出ない内容でしたが、「欧米のエリートは筋トレをしているよ」という主張が展開されていました。こういうビジネス書もうまく使いながら自分に暗示をかけていけるといいと思います。

世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか?

世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか?

 

 

 

その他、お仕事について考えたこと

 

 

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北方大水滸伝51冊を読破した感想 - 今わの際に何を想うか

読書

 北方謙三作、岳飛伝17巻を読み終えました。これにて、水滸伝全19巻、楊令伝全15巻、岳飛伝全17巻から成る「北方大水滸伝シリーズ」をすべて読破したことになりました。

 高校1年生のころ、父に「これ面白いから読んでみろ」と勧められて読み始めたこのシリーズ。あれから10年以上の時が流れ、私は大学院を卒業して社会人1年目となりました。物語の中でも途方もない時間が流れ、たくさんの登場人物が現れては消えていきました。

 この作品から「影響を受けたか」と問われたら、流石に「受けた」と答えるしかないでしょう。すべて合わせると50巻以上の超大作をコツコツと読み続けてきたわけですから。ただ、膨大な文章の中でこれぞと思う1節に出会ったとか、何百人もいる登場人物の中でこれぞという1人に出会ったとか、そういう影響の受け方ではありません。この北方水滸伝の世界そのものが、私の価値観に影響を与えたのだと思います。

 108人のヒーロー

 水滸伝は中国を舞台にした小説です。実在の話ではなく、明のころに書かれた伝奇歴史小説で、中国四大奇書の1つです(残りは「『三国志演義』『西遊記』『金瓶梅』)。

 12世紀の初め、北宋が支配する時代。役人の不正がはびこり、民は苦しい生活を余儀なくされていました。この状況を打破すべく、梁山泊という砦に108人の英雄が集い、巨大な国を相手に戦いを繰り広げていく痛快なお話です。

 北方先生は独自の解釈のもと水滸伝を再構成し、オリジナルの水滸伝の後の世界をも巻き込んで北方大水滸伝シリーズを書きあげました。敵味方合わせると何百人と出てくる登場人物の視点を章ごとに切り替えながら、物語が紡がれていきます。

 水滸伝のうたい文句は108人の英雄が革命を起こすということで、108人の中に序列はあるものの、特定の主人公が存在するわけではありません。北方水滸伝でも主人公という役目は存在せず、敵方の登場人物にさえもきちんと見せ場を用意します。

見せ場=死亡フラグ

 ここが肝となる部分なのですが、登場人物の1番の見せ場は、たいていが死に際のシーンです。章が切り替わり、今まであまり光が当たってこなかったキャラクターの視点が始まったら、多くの場合そのキャラクターは命を落としてしまいます。

 読み進めていくと、「その人物の視点になる」=死亡フラグだということに気づいてしまうため、自分の好きなキャラの視点になると嬉しい反面、そのキャラの退場を覚悟せねばなりませんでした。数々の英雄の雄々しい死とともにこの物語は行進を続けていきます。もちろん敵側の人間も味わい深い活躍をして死んでいきますので、一巻を読み切る間に何人も登場人物の死に際に立ち会うことになります。

 何百通りのもの今わの際が描かれるこの作品をずっと読んでいると、人が死に際に何を想うかということを常に考えさせられるのです。北方先生は、それぞれの登場人物の死に真正面から向き合い、ひとり英雄が物語から退場するたびに、弔いの酒を飲んでいたそうです(※)。それぞれのキャラが死に際に何を想うのかということを真摯に突き詰め、彼らが最期まで力強く生き切る様が切々と描かれます。

(※)参考:北方謙三『水滸伝』

死に際に何を想うか 

 登場人物が今わの際に考えることは様々です。家族や愛する人を想う人、戦友や師匠に思いをはせる人、自らの剣が届かなかった敵のことを考える人、全然関係ないことを考えている人などなど、性格や状況によって様々なことを思い浮かべながら息を引き取っていきます。

 翻って、自分が死に際に何を想うのだろうと嫌でも考えさせられるのです。どんなことを考えながら死にたいのかをイメージしてしまうのです。20歳にも満たない若造がそんなことを真剣に考えるわけないだろうと思うかもしれませんが、本当に考えてしまうのです。あまりにも見事な英雄たちの死を、何度も何度も見る羽目になるので。

 今のところ、自分の死に際をイメージしてみたところで確たる像を結ぶことはできないのですが、でも1点だけ、後悔はなるべく残さずに死にたいということは確実に言えます。

英雄たちの最期

 梁山泊の英雄たちは、自らの死に直面したとき、「いやだ」「死にたくない」といったような感想を漏らすことはほとんどないです。「戦わなければよかった」なんていう後ろ向きな考え方を持つ者もいません。彼らは、自身の役目を堂々と果たし、戦うべき相手に全身全霊でぶつかり、たとえ負けたとしてもやりきった満足感の中で死んでいきます。

 戦いの末の死を肯定するつもりはないのですが、避けられない運命としての死が自分に迫ったとき、今までの人生の中で何かをやらずに逃げるということをしなかったからこそ、曇りのないある種晴れやかな気持ちで最期の時を迎えているのでしょう。

 そして雄々しく戦った末の立派な死は、他の仲間によって広められ、子供の代まで連綿と語り継がれていきます。楊令伝や岳飛伝では108人の子供の代が活躍するのですが、彼らの中にも確かに受け継がれ、英雄たちは次の世代の記憶の中で生き続けることになります。

 このシリーズで一番最初に命を落とす「楊志」という武将は、妻と子の3人で団らんしているときに100人以上の敵方の集団に囲まれながらも、2人を守り抜き命を落とします。彼の意志は子の楊令へと受け継がれ、楊令は「楊令伝」における最強の頭領として成長していきます。

 そして、シリーズにおいて最後に命を落とすのが「岳飛」です。「楊令伝」の時代から戦いにまみれた人生を送ってきた彼は、驚くほど安らかに息を引き取ります。最後の最後まで徹底的に戦い抜いた末の彼の死は、北方水滸伝の戦いの歴史を終わらせる終止符となり、読者に物語の終幕を悟らせました。

「あれをやっておけばよかった」なんて

 私も、水滸伝の英雄たちのように、後悔を残さずに死ねるでしょうか。大きな挑戦のチャンスが自分に巡ってきたとき、失敗することを恐れてチャレンジしなかったら、きっと後悔するでしょう。でも、挑戦することはやはり怖いものです。

 しかしちょっとおおげさに考えてみると、挑戦しなかったという後悔は今わの際まで引きずられるものになるのかもしれません。死ぬ瞬間になって、「あれをやっておけばよかった」なんて思いながら逝くのは避けたいものです。

 それを考えれば、ちょっとぐらい失敗することが何だというのでしょうか。その挑戦で大成功を収めることができれば、死後も語り継がれる功績になるかもしれない。梁山泊の英雄たちは、いつも死と隣り合わせの無謀な戦いをしていたというのに、少しばかり恥ずかしい思いをすることさえ、私は耐えられないのでしょうか。そんなわけはないはずです。

 人生の選択肢に迷ったとき、私はなるべく後悔しなさそうな方を選ぶということを続けています。怖いこともありますが、北方水滸伝の何百人もの登場人物が、そっと背中を押してくれていると思って、勇気を振り絞っています。

 51巻からなるこの大水滸伝シリーズを読破することができて本当に良かったと思っています。何かアクシデントがあって途中で連載が止まってしまうことも十分にありうる世の中で、ほぼ一定のペースで刊行を続けてくれたことに感謝します。北方先生、ありがとうございます。

 

 

そのほか、本について書いたこと。

  

水滸伝 1 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44)

水滸伝 1 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44)

 

 

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【クラロワ】無課金Lv.7でアリーナ7到達のジャイネクロデッキ

ゲーム

 スマホアプリ「クラッシュロワイヤル」を無課金でほどほどに楽しくプレイしています。先日、トロフィーが2000を突破しロイヤルアリーナに到達しました。キングレベルが8や9の相手ばかりで、カードのレベルにも差があるなか、キングレベル7でトロフィー2000越えを達成できました。そのときのデッキを紹介します。

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デッキ紹介

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ケルトン Lv. 8

ボンバー LV. 8

ネクロマンサー Lv.4

ジャイアント Lv.6

ザップ Lv.8

ガーゴイルの群れ Lv8

大砲 Lv.8

バルキリー Lv.6

 巷では「ジャイネクロ」と呼ばれる、ジャイアントとネクロマンサーが主軸のデッキです。どちらも訓練キャンプ時代から手に入るカードであり、誰にでも組みやすいお手軽デッキとして紹介されることが多いです。

基本戦術

 ジャイアントを壁にして、ネクロマンサーを進軍させるのが基本戦術です。

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 ①ネクロマンサーを自陣タワーの近くに出し、スケルトンを稼ぎます。②ジャイアントの前にも後ろにもスケルトンが来るようにジャイアントを置きます。ネクロマンサーとの距離は少し開けておきます。 ③相手はプリンスを出して来ましたが、プリンスの攻撃をスケルトンが受けることになるので、ジャイアントのHPが削られにくくなります。ネクロマンサーの攻撃は遠距離攻撃なので、ジャイアントを盾にして攻撃することができます。

 上のケースでは相手がプリンスとネクロマンサーを使ってジャイアントを倒す方針で防衛してきましたが、ジャイネクロに対する守り方にはいくつかのパターンがあります。相手の出方に応じて、次の一手を決めます。

1.ジャイアントをユニットで攻撃してくる場合

相手使用カード:スケルトン、スケルトン軍団、ゴブリン、槍ゴブリン、バーバリアン

 複数ユニットでジャイアントを取り囲んでくる場合です。ネクロマンサーの攻撃は範囲攻撃なので、バーバリアン以外はまとめて倒してくれます。ジャイネクロ側はあまり痛くはありません。追撃をするなら、ジャイアントにまとわりついているユニットと相手のタワーが入るようにザップを撃つか、ボンバーを送り込みます。

相手使用カード:プリンス、ネクロマンサー、ミニP.E.K.K.A、 バルキリーマスケット銃士、ボンバー

 攻撃力の高い単体ユニットで防衛してくる場合です。こちらもザップで少し足止めをしたり、ボンバーを送り込みます。ネクロマンサーが生成したものにプラスしてスケルトンをさらに追加しておくのも効果的です。

相手使用カード:ガーゴイルガーゴイルの群れ、ミニドラゴン

 空中ユニットで防衛してくることもあります。ボンバーの攻撃は届かないので無意味になってしまいます。ネクロマンサーの攻撃は空中にも届くので、ザップで足止めをするのが効果的です。

2.ネクロマンサーをユニットや呪文で攻撃してくる場合

相手使用カード:バーバリアン、バルキリー、ミニP.E.K.K.A、ボンバー

 相手がジャイアントを無視してネクロマンサーの周りにこれらのユニットを出してくることもあります。この場合、ネクロマンサーの後ろにボンバーを置いておくのが有効です。ネクロマンサーは倒されてしまっても、そのあとでジャイアントに向かうのをボンバーが防いでくれます。

相手使用カード:ファイアボール、ロケット

 自陣タワーの後ろからネクロマンサーを出すと、タワーごと呪文で攻撃してくる相手もいます。その場合、自陣タワーの横のあたりからネクロマンサーを歩かせると相手は間に合いません。ですが、ファイアボールではネクロマンサーは倒れませんし、ロケットを使うと相手はエリクサーを損するので、どっちみちジャイネクロ側はあまり痛くありません。

3.建物を使って防衛してくる場合

相手使用カード:大砲、テスラ、ボムタワー、インフェルノタワー

 建物を置いてジャイアントを誘導してくる場合です。大砲はHPが高くなく、ジャイアントの前を進むスケルトンにターゲットが向いていれば最小限のダメージで壊すことができます。しかし他の建物はHPが高く、スケルトンやネクロマンサーもろとも攻撃してくるボムタワーや、ジャイアントを一瞬で焼き切り、高耐久を持つインフェルノタワーは天敵です。ガーゴイル軍団を追加することで建物は壊すことができますが、相手は木の矢やファイアボールを持っていることが多く、ネクロマンサーも巻き込んで呪文で攻撃されるとかなりエリクサーを損してしまいます。

試合運び

 ジャイネクロは強力なコンボですが、エリクサーをかければ十分ノーダメージで守れます。単にジャイネクロを出せば勝てるほど甘くはありません。攻撃と防御のバランスが大事です。

 クラッシュロワイヤルというゲームは、相手の攻撃を省エリクサーで守り、防衛に使ったユニットと追加のユニットで反撃していくのが基本です。ジャイネクロデッキの場合、ネクロマンサーとボンバーを使って攻めてきた相手のユニットを倒し、ジャイアントを壁に置いて反撃するというのが基本の流れだと僕は考えています。忠実に、愚直に、この攻めを繰り返します。

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 ①相手のガーゴイルをネクロマンサーで迎え撃つ②ネクロマンサーの前にジャイアントを出して反撃。

 しかし、相手によってはジャイネクロボンバーの攻撃を完璧に防いできて、埒が明かないこともあります。この場合、僕はガーゴイル軍団でリズムを変えます。ガーゴイル軍団は呪文などで簡単に守れるユニットですが、高い攻撃力を持っているので対応を怠るとタワーを大きく削ることができます。ジャイネクロを投入しているサイドとは逆側にこいつを出したり、ガーゴイルの群れ+ジャイアントという攻め方を試すこともあります。

 相手がボムタワー・インフェルノタワーで守ってくる場合や、巨大スケルトンを使ってこられるとなかなか相手のタワーに攻撃が届きません。その場合は引き分けを狙います。攻める姿勢は見せつつも、エリクサーを多めに確保しながら相手の攻撃をさばくことに集中します。

 相手のレベルが高かったり、苦手なカードを持っていても、諦めて負けてしまうとなかなか上に進めません。なんとか引き分けに持ち込む力というのも非常に重要だと思います。

各カードの役割

ケルト

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 主に防衛に使い、相手の地上単体ユニットを相手にします。エリクサーコスト1ながら、コイツの役割は非常に重要です。特に、P.E.K.K.A、ミニP.E.K.K.A、プリンス、巨大スケルトンなどはスケルトンでいかに引き付けられるかで、タワーに入るダメージに雲泥の差が生まれます。

 お目当てのカードを手札に持ってくるための潤滑油にもなります。例えば、ホグライダーデッキを相手にするときは常に手札に大砲を構えていないと対処できないですよね。早めにスケルトンを切って、大砲が手札に来るようにしておきます。できるだけ使い捨てにならないように、ジャイアントの周りに出したりできるとよいです。

ボンバー

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 そこそこの射程でそこそこの攻撃力の範囲攻撃を繰り出します。ジャイアントにまとわりつく小型ユニットを一掃しつつ、タワーにもダメージを与えられるということでジャイアントの良きパートナーです。

 防衛にも貢献できますが、相手の攻撃を受けるとすぐに倒されてしまうので、僕はタワーの後ろに出すか、バルキリーと合わせて出すことが多いです。

ネクロマンサー

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 攻防のかなめです。スケルトンを生成する能力がとにかく強くて、攻撃に回っても防御に回っても予想以上の粘りを見せてくれます。攻撃頻度も高いためギリギリまで攻撃を続けてくれます。僕の一番好きなカードです。

 HPが削れていてもジャイアントを前に置けばきちんと攻撃に貢献してくれます。ファイアボールを撃たれることが多いですが、個人的にはあまり痛くないのになあと思っています。

ジャイアン

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 わかりやすい強さを持っているカードです。真正面からHPを削るか建物で誘導するしか対策がないのが強いです。しかし訓練キャンプのころから登場しているだけあって、コイツの対処には慣れている相手が多く、単純な攻撃では勝てません。

 このデッキではミニドラゴンやウィザードなどの範囲攻撃を持っている相手が対処しにくいので、自陣タワーの近くに出して壁役になってもらうこともあります。

ザップ

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 ガーゴイルの群れやコブリンバレルを対策するために入れてあります。ジャイアントをスケルトンの群れやゴブリンで削りにくる相手にも有効です。

 ファイアボールを使っていた時期もあったのですが、コストの関係でザップが適当だという結論に至りました。発動が早いのもグッド。

 2016年8月24日のアップデートで、麻痺時間が1秒から0.5秒に縮んでしまい、攻撃を補佐する役目や相手を足止めする役目は弱くなってしまいました。

ガーゴイルの群れ

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 主に防衛を担当させています。エアバルーンやラヴァハウンドに対する生命線です。空中ユニットを攻撃できない地上ユニットをノーダメージで防衛することができるのも強いです。

 5体残っていれば攻撃力は目を見張るものがあります。相手の手札やエリクサーの状況を読み切ってここぞという場面で出せると、一気に相手のタワーを崩せます。

大砲

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 vs. ホグライダーの生命線です。ホグデッキと戦うときはすぐに反応できるように構えておきます。どこに置けばノーダメージでホグライダーを倒せるか、試行錯誤しておきましょう。

 相手のジャイネクロに対しても僕は大砲で守る派です。大砲でジャイアントを引き付けて、ネクロマンサーを出してジャイアントをさらに削ります。エリクサーに余裕があれば相手のネクロマンサーをバルキリーで打ち取ります。

バルキリー

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 主に防衛に使います。ジャイアントの後ろから進軍させても、ジャイアントの前側にいる敵ユニットには攻撃が届かないので、ちょっとシナジーが薄いです。もちろん小型ユニットで囲んでくる相手には有効です。

 HPが高く防御面では優秀です。一撃が重いP.E.K.K.A等はきついので、スケルトンと連携させます。

 他のユニットに”押される”ので、バルキリーの後ろにスケルトンを出すとスケルトンのスピードで相手タワーに近づくことができ、思わぬダメージを与えることがあります。

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 思わぬスピードで進軍してきたバルキリーがタワーをみるみるうちに削っています。能動的にこれを狙うときはゴブリンを使うらしいです。

終わりに

ジャイネクロデッキは組みやすくて、クラロワの基本が学べる良い構成だと思います。使ったことのない方はぜひお試しあれ。

 

 

そのほか、ゲームについて

 

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シン・ゴジラと社会人一年目の僕

映画

 

 

シン・ゴジラの内容に触れている部分があります。

 

 

ネタバレを気にする方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 どうやら、シン・ゴジラはすごいらしい。普段映画館に足を運ぶことは少ないのですが、周囲のざわつきが相当大きかったので見に行ってきました。

 僕は映画に詳しいわけではありませんし、ゴジラに思い入れがある人間でもないです。映画のレビューを書こうという気持ちなどさらさらありません。ここで僕が書きたいのは、社会人一年目の今この映画を見ることができて本当によかったという心の叫びです。

日本的組織 

 社会人生活が始まって4か月ほどが経ちました。企業の一員として働くというのがどういうことか、なんとなく実感として掴めてきました。たくさんの人が集まり、組織として意思決定をしていくことが、どれだけ難しいことかを痛感する毎日です。

 シン・ゴジラの序盤、時間を大きく割いて描かれるのは、内閣総理大臣を中心とした日本政府の動きです。「会見を1つ開くのにも会議が必要だなんて」という意のぼやきが誰かの口から洩れていましたが、ぼやいている間にもゴジラが街を蹂躙している様子を見せられている僕からしたら、たまったものではありませんでした。おいおい、早く手を打ってくれよと。

 学生の時にこのシーンを見たら、「やっぱりお役所仕事はダメダメだな」と思って憤慨しただけだったでしょう。でも、今の僕の目には違った映り方をします。

 最近、「こんな小さなことなのに関係各所の許諾がないと前に進まないのか」と、歯がゆい気持ちになる業務をいくつかこなしました。リアルタイムでお客様が困っていることに対しても、僕だけの判断では事態を動かしていくことができませんでした。しかし、組織が規律を保ちながら意思決定を重ね、今後の関係性も含めてリスクを最小化するためには、必要なプロセスなのだと徐々に理解が進んできました。

 日本政府というのはこの国における究極の組織です。ザ・日本的組織である日本政府と、急速に進化を続ける巨大不明生物の戦い。それは、難局に対処する日本企業の姿と重なって見えました。

 1回目の襲撃時、政府はこれでもかと醜態をさらしました。意思決定に時間を要して被害が拡大。ようやく武力行使に踏み切れるかと思いきやトップが保身に走って1発の反撃すらできませんでした。

矢口蘭堂の活躍

 この映画を今見ることができて良かったなと思う理由は、矢口の活躍の仕方が非常に日本的だったことです。上述したような絶望的な状況の中で、スーパーマンが表れてゴジラを撃退するのではなく、あくまでも日本の官僚組織がゴジラをやっつけるところまでを描いてくれたこと。これは本当に素晴らしかったです。

 矢口は非常に優秀な男ですが、稀有なスキルを持っているわけではありません。矢口の周りにいる人たちが自分の得意な分野で力を発揮することで小さなパワーが集まっていき、それが最後にヤシオリ作戦としてゴジラに炸裂するのです。

 今後、何かのリーダーを務めて人を束ねるときは、矢口の活躍が頭をよぎるようになるだろうなと思うのです。日本的組織の中でどうやって自分の信念を貫くか。反発するだけでは物事を前には進めていけません。あらゆる手段を使って、あくまでも組織の規律の中で結果を出して行くことが僕にも求められるでしょう。夢を語るだけではダメなのです。実際に行動に移していかないといけない。血液凝固剤があったらいいな、ではなく、どうやって作るかを考え、プランを着実に実行していく力が必要です。

 彼は自分が首切り要員であることを自覚し、保身など微塵も考えずにゴジラを倒すことだけを考え続けました。冷静沈着を装いながらも、必要に応じて強い感情を露わにできる人物。本当にかっこよかったです。あんな風になりたいと思いました。

 一方で、フォロワーたちの活躍もよかったです。巨災対の面々は奇人変人の集まりということでしたが、自分の担当分野をきっちりとわきまえ、積極的にチームにコミットしていきます。矢口がきちんとわかるように丁寧な報告も欠かしませんでした。

 あのチームは日本的組織の中でしばしばつくられる、組織横断的な特別チームの理想形なのだと思います。僕の会社にもそういうチームがありますが、自分の部署の利益になるかどうかをみんなが考えてしまっているような雰囲気があると聞いています。危機感の度合いが違いますので同じ次元で捉えることはできないとは思いますが。

映画のしがらみ

 会社が映画事業に一部関連を持っているため、映画製作について少しレクチャーを受けたことがあります。俗に言う制作委員会方式がどのようなものかを聞いたとき、最初は合理的なシステムだなと思いました。

 ですが、「あの会社が絡んでいるからあんな演出になっているんだよ」などと細かい裏話をいくつか聞くと、このやり方で面白い映画を作ることが至難の業なのではないかと考えるようになりました。むしろ、様々な方面の関係者から口出しを受けながら作られた邦画が、筋の通った映像作品として成立しているのは逆にすごいことだなと思ったほどです。

 映画制作会社そのものの力が衰え、テレビ局が持っているコンテンツを使って映画がつくられるいまの時代、映画というのは様々なしがらみにとらわれた悲しき産物なのだと知りました。これも、学生のころには実感を持って理解できなかった映画の側面です。映画はエンターテインメントでもなく、芸術作品でもなく、生々しい企業活動の一環である。レクチャーを受けて以来、僕は映画をそのように捉えていました。

 そんな折の大ヒットでした。シン・ゴジラは制作委員会方式を採らず、東宝単独で制作した映画だそうです。経済的合理性を捨ててまで、監督が作りたい映画を作らせる。とにかく面白い映画を作る。こういう決断を日本組織はできるのだなと感動すると同時に、しがらみに縛られない映画はこうも人々を熱狂させるパワーを持ちうるのかと、映画の底力に感動を覚えました。

映画ってやっぱりすごい

 映画に詳しくないから、ゴジラの歴史を知らないからといって、僕はそういう知識を取り込むことを諦めているわけではありません。ネットには複雑なことをわかりやすく説明してくれる人、細かいところだけど大事な部分を力いっぱい説明してくれる人であふれています。

 皆さんの考察を読むのはすごく楽しいです。映画には、こんなにいろいろ考えることがあるのだなとその奥深さを知り、深い井戸のへりに立っている気分です。覗き込むと真っ暗で底が見えません。そして、それだけ考察する余地を作った庵野秀明監督の力量に脱帽です。

 一人だけ浮いているなと思っていた石原さとみさんの演技さえ、解釈によっては非常に味わい深いものになる。映画ってこんなにすごいものなんだと、20年以上生きてきてようやく気づきました。シン・ゴジラ、いま見ることができてよかった。幸せです。ありがとうございます。

 

 

そのほか、映画やエンタメについて。

 

 

 

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何かを批判する文章を書くことは簡単だと思った

雑記

 ポケモンGOのブームがひと段落してきた印象です。このゲームに関する意見や批評もあらかた出尽くしたのではないでしょうか。

批判の嵐の中で輝いていたもの

 ネットでポケモンGO関連のニュースを漁ってみると、否定派の言動が目立ちます。氾濫するニュース記事やブログを全部分析したら、8割がぐらいが否定派なのではないかなと勝手に思っております。8割とはいかずとも、否定派が多いということが仮に正しいとすると、その理由を解説するにはいくつかの切り口が挙げられます。

 このゲームのシステムそのものが問題だらけであるという切り口。日本人は新しいものを受け入れる寛容さに欠けた民族だという切り口。批判した方がお金になるという人間が声高に批判しているという切り口。

 最近僕が思いついたのは、批判する方が簡単だからという切り口です。きっかけは、少し前に書かれたものですが、以下の文章を読んだことです。ポケモンGOを純粋に楽しみ、技術の進歩に感動したことが綴られています(もうちょっと深いメッセージが込められているのでぜひ読んでみてください)。

 こちらの文章のように、何かを褒めることを主旨として文章を書くのはすごく難しいと思います。一歩間違えればただただ「楽しい!」とか「すごい!」と叫んで終わってしまいます。僕にはこれは書けないし、こういう内容で拡散されている文章はほかにはあまり見受けられませんでした。

なぜ批判するのは簡単か

 この文章を読んでしばらく経ってから改めて考えてみると、批判するのって簡単だなと思ってしまうのです。特に、何か新しいモノについての批判を展開するのはものすごく簡単。「新しいモノは既存のモノとは違うからこういうことが起こる可能性がある!」と書けば一丁上がりです。

 ポケモンGOは今までのゲームとは違って外でプレイするゲームだ。だから夢中になって川に転落する恐れがある。危険だ。プレイヤーが川に落ちないように何らかの対策が必要だ。

 意味がないとは思いません。誰も思いつかなかった大問題に光があてられるかもしれません。だから止めてくれとは思いません。でも、あまりにもネガティブな反応ばかりを見ているのはあまり気分が良いものではないですよね。

褒める文章が読みたい、書きたい

 ポケモンGOに限らず、何かを褒める内容の文章が公開される割合は、批判するものよりも少ないと思います。もちろん媒体や扱う内容によりけりだとは思うのですが、価値がないと考えられている節があるのかもしれません。

 僕はそんなことはないと思っています。例えばポケモンGOに関することでしたら、こういう楽しみ方があるんだという発見や、こういうユーザにこういう楽しさを届けたからヒットしたんだという学びがあるはずです。

 堅めのニュース記事でも、褒める記事を出してみれば目立つのになと思います。本来はバランスのとれた中立的な内容を掲載すべきはずのメディアには、なぜかネガティブな方に振れたものを書かないとダメだという暗黙の了解があるようにみえます。賛否両論あることはきちんと伝えつつ、ポジティブな面を押し出した文章が読みたいです。気分が良いですから。

 僕も何かを手放しに褒めるちぎる文章が書きたいです。結局、ここまで書いてきたこの文章も、「批判すること」を批判する内容で展開してきたにすぎないのです。

 

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純粋理性批判 1 (光文社古典新訳文庫)

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