理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

【雑記】ブログの良さ―「誰かが見てくれるかもしれない」という可能性

知り合いがfacebookで人生について一人語りをしていました。熱い熱い長文がいきなりTLにぶっこまれてきました。何に共感したか知らないけど「イイネ!」をしている友人がいる。それを見てると「ブログに書いときゃいいのにな」って思ってしまうのです。

 

自分の人生論をfacebookに投稿する人。気持ちはわからなくもないですよね。そういう気分になるときもあります。何かに触発されて、妙に思考が高ぶってしまう。自分が考えていることをひとりでも多くのひとに聞いて欲しくなります。わからなくもないのです。

そういうときにどうするのか。僕らのようなデジタルネイティブな世代の思考回路では、当然のようにSNSが第一の候補として挙げられます。Twitterは140字という制限があるのでfacebookを選ぶ。まぁわからなくもない。

じゃあ結果としてどうなる?暑苦しい自分語りがしたくなった。facebookに書く。どうせ深く読んだわけでもない友人からパラパラと「イイネ!」が来る。一晩寝て起きたら恥ずかしくなっちゃうパターンなんじゃないですか。これ。

 

そういうときこそブログを書けばいいんじゃないの?って思います。アルファさんを除けば、ブログってあんまり人に見られないですよね。僕のこの文章だって、誰にも閲覧されないかもしれない。「じゃあメモ帳にでも打ちこんで、気が済んだら削除してもいいんじゃないの」ってなるかもしれないのですが、そうじゃない。誰も見てくれなくてもかまわない。だけど誰かが見れくれるかもしれないし、見てくれたらうれしい。つまり可能性が0%じゃないところが肝なのです。

ブログにはいいところがたくさんあると思います。そのたくさんあるうちの1つの話をしています。簡単に言うと「誰かが見てくれる可能性があるところ」とでもいえるのではないでしょうか。自分の落書き帳に書いていては他人の目に触れることはありません。「誰かが見てくれるかもしれない」というその感覚だけでモチベーションとなりうる。(もちろんそれだけではモチベーションにならない日もあります。)そこが僕らのような一般人がブログを運営する1つの利点になるのではないでしょうか。

今回の知り合いの投稿は攻撃的な内容ではないのですが、どうしても暑苦しさを感じてしまいます。読まなければいいじゃんと言われたらそれまでの話なのですが、どうせ感情を垂れ流しにして吐き出したいものがあるのなら、ブログに書いた方がいいのになって思っただけです。「誰かが見てくれるかもしれない」。その可能性だけで十分だと思えるならばですが。