理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

この眼が二つ以上あってつらい世界 - 狭心症に寄せて

 自分の眼が二つ以上あったらと考えたことはありますか。SNSはそれを叶えてくれるかもしれないツールですが、それで本当に僕らは幸せになれるでしょうか。

シリアの難民の悲しみが見えるか

 先日、友人がふと僕に尋ねてきました。「シリアの難民問題って最近聞かないけど、解決したのかな?」と。そんなわけないだろうと答えた僕でしたが、難民のニュースをあまり聞かなくなったのは確かで、少し考え込んでしまいました。難民の人数が膨大な数に上ろうとも、彼らがひどく辛い思いをしていようとも、結局僕らは見えていることにしか興味を持てません。

 RADWIMPSというバンドが作った「狭心症」という曲があります。聞いていて息苦しくなるという珍しい曲で、ミュージックビデオを見るのはさらにしんどいです。下に貼っておくので気になったら全部聞いてみてほしいのですが、ここでこの曲を持ち出したのはその始まりの一節を思い出したからです。

この眼が二つだけでよかったなぁ

世界の悲しみがすべて見えてしまったら

僕は到底生きていけはしないから

うまいことできた世界だ いやになるほど

 シリアから逃れてくる難民たちに限らず、世界の至るところで起きている悲しい事件の被害をいちいち目に焼き付けてなければならないとしたら、僕はきっと耐えられません。うまいことできた世界です。ヨーロッパだけで対処できない難民の問題は、先進国が率先して受け入れ態勢を作っていくべきなのに、日本でのほほんと暮らす僕らは彼らの現状さえまともに把握していません。

有名人の思考回路が見えるか

 一方、自分の二つの眼で見える世界だけを生きているのかと考えた時、最近の僕はそうではないなと思うのです。Twitterで積極的に呟く著名人たちをリストに入れ、彼らの言動を僕は追っています。彼らの見ている景色が見たくて、実際に見えるはずのない彼らの思考回路を追っています。それはまるで物理的距離を超越する第三の眼を使って、どこか遠くにいる彼らを監視しているかのようです。意識を高く持ち、いつか追いつけると信じて、まるでテキストデータのフローを世界だと混同しているかのように、僕はタイムラインを追います。

 毎日毎日彼らのつぶやきを見ていると、まるで彼らと同じ世界を生きているかのような気分になってきます。もちろん、物理的には彼らと同じ世界に生きているのですが、精神的に彼らと同じ境地に立っているかといえばきっとそうではありません。彼らのよろこびも悲しみも呟きを見て理解した気分になりますが、Twitterで呟くことがすべてであるはずはないですし、ほんの数%が見えているにすぎないのでしょう。しかしネットの世界はフラットすぎて、そこに入り浸ってしまうと、まるで彼らの隣りに立って肩を組み、同じ景色をみているかのような気分になってしまいます。

 厄介なのが、彼らから反応が返ってくる可能性があることです。本を読んだ旨をつぶやいたらその本の作者にリツイートされたりしますし、毎週テレビに出ているような芸能人に誰彼構わず話しかければ数人は反応してくれるんじゃないでしょうか。そうなるとますます相手と自分の距離感を勘違いしてしまいます。有名な人がなぜ有名なのかといえば凡人にない何かを持っているからなのに、何もかもが平凡な僕らが彼らから反応をもらうと、なぜだか自分と相手が同じ目線に立っているかのように勘違いしてしまいます。

彼我の距離をきちんと認識すること

 繰り返しますがネットはフラットすぎます。有名人とは物理的にも精神的にも距離があるはずなのに、自分のタイムラインに顔写真付きのつぶやきが現れるものだから、すごく近くにいるように感じてしまいます。「うそはうそであると見抜ける人でないと掲示板を使うのは難しい」と2ちゃんねるの元管理人さんは言ったそうですが、「彼我の距離をきちんと認識できる人でないとSNSを使うのは難しい」と、僕はそう思います。

 彼我の距離を勘違いすると、ものすごく遠い距離にいて本来自分と比べてもなんら意味のないぐらい優秀な他人を、身近に感じてしまいます。不毛な嫉妬心を抱いてしまうのです。あふれんばかりの才能とチャンスをつかむ強運でのし上がった人たちの生き様を見せつけられ、彼らのようにならなければならないと、じりじりとした焦りを感じるのです。自分と同い年ぐらいの若者が夢をつかみ、大きなステージで戦っている。その一方で自分はどうだ。Twitterで彼らの発言を追いかけることしかできない自分は、なんてみじめなんだ。暗い嫉妬心が心の中に湧き出します。

 湧き出した嫉妬心はうまく扱えないと毒です。きちんと精製してエンジンに投入すれば、車輪を回す動力になってくれるかもしれません。でも、湧き出したそれをそのまま口に入れるのは間違いなく毒なのです。胸の中にたまった不毛な嫉妬心をきちんと毒だと認識することが、ネットと付き合っていくには欠かせないのだと思います。目標とする人物を作るなら、リアルな知り合いの方がよっぽど健全です。実際に会って話して感じるものを大事にすべきです。ネットの人格はどこに嘘が紛れているかわかりませんし、会ったこともない人を崇拝するのってなんとなく怖くないですか。

瞳を閉じるべきか見開くべきか

 「狭心症」のミュージックビデオに登場するアイマスクと耳栓をした女の子は、まぶたを縫われていて眼が開きません。この世の悲しみをその瞳に映させないために。

閉じてあげるから 塞いであげるから

僕が君を守ってあげるから

逃がしたげるから その瞳から

涙が零れることはないから

 逆に僕は二つの眼だけじゃ足りないと、たくさんたくさん眼を見開いて、いったい何をしているんでしょう。自分の二つの眼だけを使って生きてみたいと思ったりもします。でも、情報弱者になってしまうことが何よりも怖い臆病者の僕には、それは決してできないのです。今日も、第3の眼、第4の眼・・・第nの眼をきょろきょろギョロギョロさせながら、僕は生きていきます。ああ。たまには休ませてやらなきゃな。眼精疲労だ。間違いなく。

 

 

 

 

 

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狭心症

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