理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

ゲームにおけるサプライズ要素と、開発vs宣伝の戦い

 ゲームにはサプライズが必要だと最近思うようになりました。なぜサプライズが必要か、そしてサプライズをお客さんに届けるにあたっての課題について書いてみたいと思います。

エンターテインメントにはサプライズが必要だ

 僕は仕事でゲームの開発に関わっています。開発の会議で社内の取締役の意見を伺う機会がたびたびありまして、その方の持論が「エンターテインメントにはサプライズが必要だ」というものです。いろいろ考えた結果、ゲームの開発者として、そして一人のゲーマーとしてこの考えに同意するようになりました。

 「驚き」というのはエンターテインメントの根幹を成すものだと思います。自分の予期していなかったことが起きたとき、人は「ドキドキ」「わくわく」と興奮し、楽しいという感覚が生まれてくるのだと思います。次にどんな敵が待ち構えているかわからないRPGしかり、いつ怖いシーンが出てくるかわからないホラー映画しかり、知らされていなかったゲストが登場するライブイベントしかり。

 ゲームをプレイする過程にはユーザの知らないこと=サプライズがたくさん用意されているべきだと思います。ゲーム内で起こることをすべて知っていたら、ただ指を動かすだけの作業になってしまいます。そこに楽しさを見出せるでしょうか。(格ゲーや音ゲーなど当てはまらないジャンルもあると思いますが、そういうゲームでも何かしらのサプライズ要素があると楽しいですよね。シークレットキャラとか隠しステージとか。)

 アプリゲームで開催されるイベントを例にとってみると、自分で体験する前にイベント内容のすべてを知っている場合、用意されたイベントを楽しみつつも、その事前情報が正しいかどうか確認するという作業感や、運営にやらされている感を僕は心のどこかで感じてしまいます。告知に含まれないサプライズ要素が毎回のイベントに仕込まれるアプリゲームがあったとしたら、今回はどんな驚きが隠されているのだろうと積極的にゲームを遊びたくなる気がします。

サプライズの前借りはやめてほしい

 ゲームにはサプライズがないよりはあったほうがよい、ということには多くの方が同意してくれるのではないでしょうか。一方でその逆の働き、つまりサプライズをさらけ出してしまう役割もまた、ゲーム会社には存在します。それは宣伝・広告を担う人たちです。

 宣伝担当は一人でも多くのひとが自社のゲームを面白そうだと思ってもらえるように広告を展開していきます。多くの場合、広告には売り込もうとしているゲームの中身の情報を盛り込むことになるでしょう。アプリゲームのイベントも同様で、イベントが始まる前からそのイベントの情報を出して、ユーザの盛り上がりを作ろうとします。それだけでなく、休眠ユーザの呼び戻し、新規ユーザの獲得も同時に狙っていくことになるでしょう。

 広告を打つということもまたエンターテインメントの要素を含んでおり、そこにサプライズがあればあるほどユーザの反応は大きくなります。昔から趣向を凝らした面白い広告をたくさん目にしますが、広告に盛り込むサプライズ要素の中で一番手っ取り早く利用することができるものは、ゲーム開発者がゲームをプレイしてくれる人を驚かせようと仕込んだサプライズ要素です。今回のゲームではこんなにびっくりな演出があるんだよ、というタイプの広告です。このようなゲーム内のサプライズ要素を切り出して利用する広告は、購入者が体験するサプライズをいわば前借りする形で消費してしまっていると僕は捉えていて、あまり好きではありません。

 ドラクエのメインストーリーやモンスターハンターの新モンスターのような部分を告知に使うことには異論はありません。本筋の部分なので人を引き付けるために使っていけば良いと思います。でも、たとえば、ポケットモンスターサンムーンでシロナが登場するよ、なんて情報は告知に必要だったでしょうか。ゲーム開発者が長年のファンを喜ばせるために入れたサプライズ要素のはずだったのに、事前告知に使われてしまって可愛そうだなと思いました。

 ゲームの発売前やゲーム内イベントの開始前に大きなバズを生み出し、ゲームに良い影響を与えたいという考えはわからないでもありません。でも、僕はひとりのゲーム開発者として、実際にゲームをプレイしてくれている人をいかに驚かせ、楽しんでもらうかが最重要課題だと考えて日々働いています。そのためには意図的に情報を隠すことが必要なケースもあるのではないでしょうか。ここが開発側と宣伝側でどうしても重点がずれてしまうところなのかなと考えています。

宣伝効果の計測

 では、一切宣伝をしなくていいのかというとそういうわけにはいきません。宣伝担当には自社からこんなゲームが出ているということを多くの人に知らしめるという大切な使命があって、彼らなしにはゲームは作れないなと思っています。

 宣伝に使う媒体は、TVCMやゲーム雑誌だけだった時代から、自社のHP、ネットメディア、ソーシャルアカウントへと広がってきました。宣伝効果を計る手段がゲームの売れ行きを見るしかなかったころと違って、Webの世界ではPVやインプレッションを数値として簡単に計測することができ、宣伝効果を単体で測定することができます。

 求められるのは数字と、より大きなバズ。ある施策でそれが達成されなかった場合、次なる施策のためにさらにゲームのサプライズ要素を消費していく、なんていう悪いループにはまっていったとしても、ある意味しょうがないのではないかと思ってしまう自分もいます。いろいろな分野でPV至上主義の功罪が語られていますが、ゲーム開発にも間違いなく影響を及ぼしていると思います。

開発者、宣伝担当、そしてユーザができること

 ゲーム開発者と宣伝担当はお互いの立場を理解して協力しあっていかねばなりません。社内でいがみあっていてもマイナスにしかなりません。

 ゲームの内容をユーザが事前に知っていたとしても夢中になれるようなゲーム設計と、ある程度消費しても弾切れしないほどのサプライズを仕込めるよう、ゲーム開発者は努力していくべきだと思います。宣伝担当も、ゲームの内容にあまり触れずに話題を作れるような企画、企画自体が驚きのある広告を提案していくべきだと僕は思います。

 そして今まで一切触れてきませんでしたが、受け取る側であるユーザも考えるべきことがあると思います。ゲーム会社が発表する情報を一切受け取らなければ、プレイするゲームは驚きに満ちたものになるでしょう。他人と競争することをあえて放棄し、自分の力だけでマイペースにゲームと向き合っていくこともできるのです。ネタバレを極端に嫌うのなら、情報を意図的に遮断することも一案だと思うのです。ゲーム会社がそれをユーザに強いるのは何かが間違っている気はしますが。

 知りたい人だけが情報にアクセスすればよい、「嫌なら見るな」という考え方は正論ではあるものの、今の時代実行することは難しいのもまた事実です。SNSで多くの他人とネット空間を共有している現代人にとって、公式がバズらせようと企んで発表する情報を回避することは非常に難しいことです。自分が購入を考えているゲームの情報を発信するアカウントを片っ端からブロックしていくことは現実的ではありません。できる範囲でルールを決めて、たとえば自分からは公式のHPにアクセスしないなど、ストレスをためずにゲームを楽しんでいけたらいいなと一人のゲーマーとして思います。

おわりに

 ゲーム会社の人間であると同時に一人のゲーマーとして、この問題には一生付き合っていく必要があると思います。また他のエンターテインメントにも同じ議論が通用すると思います。シンゴジラの細かいシーンにも徹底的なこだわりが隠されていたということを知って、あれもある種の制作者からのサプライズだなと思った覚えがあります。他のエンターテインメントはこの問題にどのように対処しているのか、興味を持って観察してければと思います。

 

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