Nintendo Switchの同発タイトル、1-2-Switchを同僚と遊ぶ機会がありました。Nintendo Switchというゲーム機がどのような新しい体験を提供してくれるのか、その試金石となるゲームという位置づけで注目していました。
このゲームは積極的に広報されていたため、発売前から多くの情報が明らかになっていましたが、ゲームは体験してみないと何もわかっていないのと同じです。自分が体験して思ったことを残しておくことには意味があると思うので、書いておきます。
新しいゲーム体験
いくつかの側面から1-2-Switchが提供してくれる新しいゲーム体験を書いていこうと思います。
① 画面ではなく相手を見る
これは一番強く宣伝されていた要素でした。そして、まさしくその通り、今までのゲームにはない体験でした。画面をほとんど見ずにゲームが進行していきます。画面がおまけというわけではなくて、相手を見ないとゲームにならない、という感じでしょうか。
1-2 Switchでは、対戦相手その人を強く意識するゲームでした。そのことが意外なほど新鮮に映りました。スマッシュブラザーズでは田中君が操作するキャプテンファルコンと戦っている感じがするのですが、1-2 Switchでは田中君その人と戦っているのです。これが当たり前のようでけっこう感覚が変わりました。ゲームがより原始的な体験に進化(退化?)したと言えるでしょう。
② 画面とボタンを使わず、振動を使う
相手を見ながらゲームをするということは、画面を使わないということの裏返しです。それに加えて1-2-Switchでは、ボタンをほぼ使いません。コントローラーを振ったり、コントローラーを持った手を大きく動かしたりすることがゲームに対する入力になります。
コントローラーを使っているとき、向かいあった相手からはどのボタンを押したのかあまり見えません。せっかく画面ではなく相手を見てプレイするゲームなのだから、隠し事をせずにいろいろな情報をお互いが見える形でテーブルに載せていくのがこのゲームの基本でした。
基本的に勝ち負けのつくゲームは情報を公開せずに自分だけのものとした方が有利です。だから、ボタンを押すという操作が入るとお互いは情報を出さないように殻にこもりがちになります。それを全くさせないゲーム設計になっていて、あくまでも1対1のコミュニケーションをしていこうよ、という設計者の意図を感じました。
ただ、このゲームで唯一非公開情報になっているのが振動です。自分が握っているコントローラーがどのように振動しているのかは、相手にはわかりません。Nintendo Switch売りの1つであるHD振動を、ゲームのカギにしているというのがニクイ発想だなと思いました。
例えば、「ライアーダイス/Liar Dice」というミニゲームが収録されています。平たく言えばインディアンポーカーのサイコロバージョンです。お互いがサイコロを2つ振り、出た目の合計の大小を競うのですが、お互いのサイコロの様子はどちらからも見えないようになっています。相手のサイコロの出た目の合計が振動でわかるようになっていて、それをもとに、勝負すべきか、自分のサイコロを振り直すかを決めていくゲームです。
ここで相手の情報が振動を介して伝わってくるというのがニクイ演出で、相手が振動を感じている時間が長いほど出た目が大きいわけですから、相手が長く振動を感じ取っているように見えた場合は自分に強い目が来ている可能性が高くなるのです。振動という非公開情報は、使い方によっては公開情報にもなり得る、非常に面白いツールなんだよというメッセージを感じるゲームです。(それにプラスしてぞろ目になったときにブーストがかかるという仕様が駆け引きに奥深さを出します)
コントローラが振動するというのはそれこそNITENDO 64のころからあった機能ですが、大半はゲーム内の演出を盛り上げる賑やかしの要素でした。Nintendo Switchは20年ぶりにこの機能をゲームの主たる構成要素に昇華したといってもいいと思います。
③ 2人用ゲームなのに2人では盛り上がらない
6人ほどでワイワイと1-2-Switchをプレイしたのですが、これが2人だけだったらあまり盛り上がらなかったのではないかと思いました。プレイできない人が重要な役割を果たすのです。今までのゲームでこんなことはなくて、あぶれてしまった人は退屈な思いをするだけでした。
「ゴリラ/Gorrila」というミニゲームがあります。指示された通りのリズムでゴリラのドラミングの動きをするリズムゲームです。リズムゲームで対戦するならば、プレイヤーが安定して操作ができて、なおかつゲーム側の読み取りミスも少ないという理由でボタン入力がベストなはずです。しかしこのゲームではあえて腕をウホウホ動かすことでリズムをとらせるのです。
何が楽しいのかと言うと、いつもクールなアイツとかオフィスのマドンナとかが必死にウホウホポーズをし合っているのが面白いのです。つまり、明らかにこのゲームは第3者の視線を意識して作られています。ヤジを飛ばしているだけで楽しくて、プレイしている側も、恥ずかしいけどやっぱり周りが盛り上がってくれているのは楽しいと感じる。これは新しいなと思いました。そのほかにも「モデルウォーク/Runway」や「エアギター/Air Guitar」なんかも同じようにプレイしていない第3者も巻き込んだ内容になっていました。
どういうシーンで遊ばれるのだろう
さて、1-2 Switchが新しい体験を提供してくれたという話をしてきました。新しくて、面白いゲーム体験だと思います。では、このゲームは売れるでしょうか。そうとは限らないですよね。一番気になったのは、誰に、どういうシーンで遊んで欲しかったのだろうということです。
1-2-Switchと同じような立ち位置のゲームとしてWii Sportsを挙げることができると思います。Wiiのローンチタイトルで、コントローラーを振って体を動かすことでゲームができるという新しいゲーム体験を作りました。
Wii Sportsの場合、「家族みんなでプレイしてね」というメッセージが宣伝物などに強烈に出ていたと思います。子ども、両親そして祖父母がテレビの前で一緒に体を動かしているCMを今でも思い出すことができます。
1-2-Switchはどうでしょうか。任天堂はそういう強烈なイメージづくりをしていないように思います。僕の印象に残っている宣伝物は、パーティ会場にNintendo Switchを持って行ってテーブルに本体を置き、その前で男女が向かい合っているイメージ。持ち運ぶことができる据え置き機というNintendo Switchの特徴を紹介しつつ、1-2-Switchの遊び方を提示している広告だと思います。ですが、パーティなんて普段なかなか行かないじゃないですか。そういう特別な場で遊ぶことを想定して作られたゲームというのはあまりピンときません。
「誰でもどこででもできるゲームなのだ。だから、特定の使用例はないのだ」ということなのかもしれません。だから特定の強烈なイメージを作る必要はなかった、と。その場合はみんなの定番となるゲームを目指しているのかもしれませんが、僕が遊んだ印象ではどのミニゲームも要素が極端に絞られていて、一度プレイしたもういいかなと思ってしまうほどあっさりとした作りになっています。何度も何度もやりたいという気持ちになるかと言われると、そんなことはないかなという感じでした。
ただのメッセージでいいの?
任天堂が1-2 Switchに与えた使命を僕が予想するならば、Nintendo Switchではこんなゲーム体験ができるんだよということを手軽に知らしめることかなと思います。「こんな単純なルールのミニゲームでも、けっこうおもしろいでしょ?」「本気でゲームを作ったら、もっともっと面白いゲームができると思わない?」とこのハードウェアの可能性を提示することが1-2-Switchの役目なんだ、ということかなと。
だから、ゲーム制作者に向けたメッセージが一番強く込められているのかもしれません。こんな使い方ができるハードウェアだから、何かゲームを作ってくれないだろうか、という問いかけなのかもしれないなと思いました。だとしたら、これはいろいろな人が指摘していた陳腐な意見ですが、1-2-SwitchはすべてのNintendo Switchにあらかじめインストールすべきだったと思います。1個か2個のミニゲームでも十分だったでしょう。ひとりでも多くのひとに届いた方が得策ですから。
せっかく任天堂が1つの新しいゲーム体験を込めたゲームを作り上げたのに、ただのメッセージだと割り切ってしまう自分に対して少しさびしさを感じてしまうのもまた一人の自分だったりします。さて、1-2-SwitchはNintendo Switch普及の起爆剤となるのか、それとも。
その他ゲームについて考えたこと
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