理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

日本のe-sportsの現状 - Shadowverseのプレイヤーとして

 11月11日・12日にかけて行われたShadowverseの大型大会「RAGE」の予選に出場してきました。日本では数少ない、高額の賞金が掛かった大会を実施しているアプリゲームであるShadowverse のプレイヤーとして、また、ゲーム業界の末席でゲームのことを考えている人間として、日本のe-sportsについて書いてみようと思います。(ちなみに予選Day1は突破できました!)

 この文章の軸にしたいのはこちらの4点。

・日本のe-sportsはどのようなレベルにあるのか

・ゲームのプレイヤーたちはそれをどのように捉え、どのように参加しているのか

e-sportsの関係者たちの利害関係はどのようになっているか

・ゲーム業界に属していないビジネスマンや企業は、e-sportsをどのように活用できるか

 e-sportsへの関わり方は大きく分けると「出場する」と「観戦する」に分けられますが、僕はひとりのShadowverseプレイヤーとして、「出会う」という機能も重要視したいと考えています。長い文章になりますが、「1.概要」「2.出場する」「3.観戦する」「4.出会う」という風に章立てをして、上記の軸に沿って書いていきたいと思います。

1.概要

Shadowverseの概要、および大型大会の歴史

 Shadowverseとは、Cygamesが開発・運営を行っているiOS/Android/PC向けのデジタルカードゲームです。ゲームの基本は1対1の対人対戦で、オンラインを介してマッチングした相手とリアルタイムで戦うゲームです。

 配信が開始されたのは2016年6月。2017年11月現在のダウンロード数は1400万を超えます。賞金を懸けた大型の大会の開催を積極的に行っており、今回僕が出場した「RAGE」は6回目の開催でした。

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https://rage-esports.jp/event/ssl-higasi10-day1-repoより、10月の予選の様子

 

 今回の大会の予選は3会場で行われ、参加者の合計は 7000人。倍率は明らかになっていませんが予選への参加資格は応募・抽選によって決められます。予選参加費用は無料で、優勝賞金は400万円、賞金総額は1000万円となっています。前回大会までは18歳以上の参加に限られていましたが、今回からは16歳以上18歳未満も所定のステップを踏めば参加できるようになりました。

 「RAGE」とは、日本でのe-sportsの発展を目指して作られたCyberZという会社が運営している大会の総称です。Shadowverseの他にも格闘ゲームストリートファイター」やサッカーゲームウイニングイレブン」などの大会が開かれています。この中でもShadowverseは最も高額の賞金が掛けられています。

国外ゲームの大会の場合

 Blizzard社が提供するデジタルカードゲームHearthstoneの場合を見てみます。世界展開されているゲームであるため、大型の大会は世界各地で頻繁に行われていて、上位入賞者にはポイントが加算されていきます。多くのポイントを獲得した選手はそのシーズンのチャンピオンを決めるシーズンプレイオフへの出場権が与えられます。その賞金総額は100万ドル(1億円強)となっていて、Shadowverseよりも一ケタ多くなっています。おそらく参加人数も一回り大きくなっているでしょう。

 最も高額の賞金が掛かるタイトルはValve社が提供するストラテジーゲーム「Dota 2」であると言われています。こちらのredbull社の記事には以下の記載があります。

8月12日に終了したThe International 2017には、なんと2,400万ドル(約26億8,880万円)以上というとんでもない賞金総額が用意され、優勝したTeam Liquidは約108万ドル(約12億1,500万円)を獲得した。

 ざっと調べたところShadowverseを大きく上回る額の賞金が掛けられたゲームの大会は見つかりませんでした。確定的に日本一だとは思いませんが、高水準にはあるでしょう。(※参加人数だけ見ればShadowverseよりも多いゲーム大会はたくさんあると思います)しかし上述したように、Shadowverseの賞金総額は欧米の主要タイトルの10分の1から100分の1ぐらいだと概算されます。

 日本におけるe-sportsの大会の賞金額については法律上の制約がかかっていて、それを解説するのはこの文章の本旨ではないため割愛します。この文章は現状を整理したいと思って書いていますので。

 というわけで、日本の現状をざっと概説したところで、ここからはe-sportsへの関わり方を「出場する」「観戦する」「出会う」という切り口から見ていくことにします。

2.出場する

出場者の傾向

 Shadowverseの大会に参加している人の年齢層は18 – 24歳がメインです。データを見たわけではないですが会場を見渡した限り9割はここに当てはまっていると思います。

 e-sportsというと敷居が高そうに感じるかもしれませんが、参加費用が無料であること、サイドイベントを併催したり声優さんを呼んだりして参加しやすい雰囲気づくりがなされていることもあって、ライトな層が比較的多く参加しています。彼らは普段プレイしているゲームのイベントの1つとして、そのゲームの延長線上に自然と大会が存在していると捉えています。ライトな層もかなりいる、ということは認識を誤ってはいけないところだと思います。

 もちろん、コテコテのゲーマーもいますし、賞金稼ぎに来ている人たちもいます。Shadowverseはカードゲームなので、遊戯王magic the gatheringなどのトレーディングカードの経験者が多いのも特徴です。彼らは大会の賞金を目当てに複数のカードゲームを掛け持ちしていて、アプリゲームであるShadowverseにも進出してきています。賞金が魅力的であればあるほどそのゲームに集まってくる賞金稼ぎは大きくなりますから、多額の賞金を出せる体力のあるゲームほど大会を大きく設計することが可能になります。

マーケティングの場として

 e-sportsの大会会場は、それなりに多い人数が一か所に集まる場です。参加者の傾向は比較的絞られているため、狙っている層が合致していれば効率の良い宣伝を行うことができるのではないかと思います。

 大会に来るようなプレイヤーはそのゲームへの熱中度や貢献度が非常に高いのも見逃せないポイントです。そのゲームとのコラボ施策を展開する場合、コンバージョンレートが最も高くなると言っても過言ではないと思います。

 Shadowverseの大会では以下のような宣伝活動が行われているのを見ました。

格安SIM(LinksMate)

 特定のアプリゲームをプレイするときの通信データ量を割引でカウントする料金プランを用意し、ゲームし放題を謳っていました。アプリゲームの大会ならではの非常にダイレクトな繋がりの商品です。会場ではモバイルバッテリーの貸し出しを行うことで出場選手との接点作りを図っていました。

・カップ麺(日清)

 大会の会場に入るときにひとりひとつ手渡されました。まさにダイレクトマーケティング。ゲームが好きな若者とカップ麺の相性は抜群であることを知っているのでしょう。

・マリオオデッセイ(任天堂

 前回の大会のときは、なんと天下の任天堂が宣伝に来ていました。しかも無名タイトルではなく、誰もが知っているはずのマリオのSwitchの新作です。ゲーム好きが集まってくる場ということでターゲティングはばっちりということでの出展だったのでしょうか。

・クレジットカード(三井住友VISAカード

 こちらはかなり離れ業。ゲームのデザインをあしらったクレジットカードです。若者にクレジットカードをアピールするときに、いろいろな方法を模索して試しているのでしょうね。

 

 どの企業もまだまだ手探り状態だと思うのですが、大会に協賛してくれる企業が増えれば大会の規模をもっと大きくすることができ、より多くのプレイヤーが参加してくるようになります。

3.観戦する

e-sportsの弱点

 e-sportsを他のプロスポーツと同等の地位まで引き上げたいのならば、観戦するだけでも面白くなければなりません。ここはe-sportsにとってネックなところだなと考えています。

 サッカーや野球を観戦して楽しんでいる人は多いです。日本シリーズやワールドカップは非常に盛り上がります。しかしプレイしたことのない格闘ゲームの大会はどうでしょうか?コンマ何秒を争う駆け引き、超人的な反射神経を駆使したカウンターなどと言われても、そのすごさが可視化されずプレイしていない人にはすごさが理解できません。

 ですので、e-sportsは大衆向けのショーとしては機能していません。観戦する人はそのゲームのプレイヤーに限られています。オリンピックはショーではないのでe-sportsを正式競技にしたいというムーブメントは筋の悪いものではないと思います。一方で、ゲームをしない人からの理解は永久に得られない恐れがあり、それはどこかで発展の妨げになるのではないかと僕は危惧しています。

スタープレイヤー

 上述の弱点があることはe-sportsの運営側もわかっていることでしょう。Shadowverseが目指している方針の1つに、スタープレイヤーの発掘・育成が挙げられます。

 ゲームの中でどのような奥深い駆け引きが起きているかは、そのゲームに精通している人ではないとわかりません。しかし、そのプレイヤーそのものに興味を持ち、ファンになってもらえれば、楽しんで見てくれるかもしれないというわけです。

 例えばこちらのCM。選手にスポットライトを当てているのが分かると思います。

 試合前にも、気合いの入った選手紹介動画がひとりひとり流れます。そのプレイヤーがどんな人で、これまでの大会でどのようなドラマがあったか等を見せるわけです。e-sportsを観戦していて楽しいものにするという目標に対して、根本的な解決策ではないのですが、プレイヤーにも注目してもらうことは重要なことだと思います。

 スタープレイヤーを作ることは副次的な効果があって、他のコンテンツにも彼らを起用することができます。何かイベントをやるときに有名プレイヤーを呼ぶことで、低コストの客寄せパンダを作ることができます。彼らがSNS上で発信する情報は、多くのプレイヤーにとって貴重な情報源になるので自然とフォロワー数が膨らんでいきます。ネット上のインフルエンサーとして、ゲームの動向を拡散してもらうことができます。

芸能人・声優・コスプレイヤー

 芸能人をe-sportsの会場にゲストとして登場させて、その大会に興味を持ってもらうと同時に、観戦している人たちを楽しませるという工夫もよく行われています。古典的な盛り上げ方法ではありますが、e-sportsの場合はそのゲームをプレイしてくれていないと効果が出ないという意味では特殊です。Shadowverseでは武井壮氏がよく起用されますが、彼はかなりしっかりゲームをプレイしてくれているので、プレイヤーも好意的に受け止めています。

 声優を呼ぶのもよく採られる方法です。最近のゲームはボイスつきのものが多く、ゲームの中のキャラの声を担当している声優さんが出演するとなると、プレイヤーの食いつきは良くなります。ゲームが好きな人はアニメが好きな人も多いので、親和性が高いと言えます。

 コスプレイヤーが登場することも多いです。ゲームのキャラクターというのは特徴的な格好をしていますのでこちらも親和性は高いと言えます。

 逆に、芸能人・声優・コスプレイヤーの側から見てみると、自分が好きでプレイしているゲームをきっかけにして仕事が舞い込むことになるとともに、テレビに出演するのとは全然違った層に対して自分を売り込んでいくことができるでしょう。声優さんにしても、アニメではなくゲームから有名になっていく新たな道が拓かれているのだともいえます。コスプレイヤーも、最近は有名になって活躍の場を広げていっている人を多く見るようになりました。その足掛かりとしてゲームのイベントを活用していくことができます。

 大会を観戦している人たちを楽しませるという目標に対して、大会の運営側と有名になりたい人たちがwin-winの関係を築けているのではないかと思います。

動画配信のプラットフォーム

 野球を観戦するとき、テレビ中継で見るのも楽しいですし、球場に足を運ぶのも楽しいですよね。一定の視聴者数を見込めるのでプロ野球のテレビ中継はゴールデンタイムにも放送できますし、球場はそこそこの入場料を取ることができています。

 e-sportsも、会場に行って観戦するスタイルと、行かないで観戦するスタイルを確立することはできています。観戦するという側面は弱点を抱えている部分ではあるものの、この点はポジティブに捉えることができます。

 会場に行かずにe-sportsの観戦を可能にしているのは、動画配信のプラットフォーマーの存在のおかげです。ゲームをプレイしている様子を一般ユーザが配信する「ゲーム実況」というスタイルは日本にもきちんと根付きました。他の人がゲームをしている様子を見るのを楽しんでいる人は多いです。e-sportsの大会の中継は、見ている分にはゲーム実況動画とあまり違いがありません。

 ゲーム実況にはコメント機能があって、これが独特の空間を作ります。リアルタイムでその動画にコメントを入れることができ、実況しているプレイヤーと、同時に見ている人に語り掛けることができるので、ゲームをプレイしている人と見ている人の間に相互のコミュニケーションが発生します。

 e-sportsの場合、プレイヤーは勝負に集中していますから、コメント機能は主に大会の解説席と観戦している人の間のコミュニケーションを生みます。解説者と同じ目線で大会の様子を見守る人、自分の知り合いを応援する人、大会の出場者のプレイにケチをつける人などが同じ場を共有していくあの空間は、e-sports独特の空間と言えるのではないでしょうか。

 動画配信のプラットフォーマーはこの意味でe-sportsの片翼を担う存在です。日本ではニコニコ動画の不調が報じられ、Shadowverseの大会はOPENREC.tvという新参のプラットフォームで配信が行われています。海外ではTwitchが一大勢力となってゲーム配信を支えています。覇権争いはまだまだ続きそうです。

 動画配信ですから、動画広告を入れることができるのですが、e-sportsの大会の配信中に広告が入ってくる事例はあまり見たことがありません。大会の配信を見ているひとは、大会に出場するひとと同等のセグメンテーションをされているので、ターゲットを絞った広告を撃つことができるはずです。試合と試合の間には準備時間がつきものですから広告は入れやすいはず。今後開拓されてほしい側面です。

4.出会う

ゲームのために作ったSNSアカウント

 アプリゲームはオンライン上で動くものですから、ゲームの中で対戦する人は遠くの見知らぬ誰かである可能性の方が高いです。その特性上、SNSがちょうどよい距離のコミュニケーションを促進しています。

 「ゲーム内のランキングで上位にいるあのひとのTwitterアカウントをフォローすることで、その人が発信する情報をキャッチアップする」「身近にこのゲームをプレイしている人はいないので、ゲームのことに関して話せる知り合いを求めて」こんなようなニーズから、特定のゲーム専用のアカウントを持っている人は多いです。

 e-sportsに目線を移します。とっておきの戦術のアイディアをひらめいたとき、それをSNSで発信したら大勢のプレイヤーにバレてしまいます。トレーディングカードでもよく見る光景ですが、自分と目指すところを同じとするプレイヤーに声をかけてチームを結成し、そのメンバーの中でとっておきの作戦に磨きをかけるという動きがよく見られます。Twitterは複数人で話し合うためのツールではないので、LINEのようなものへと媒体を変え、より親密なコミュニケーションをとるようになります。

e-sportsという巨大なオフ会の会場

 ゲーム専用アカウントでのコミュニケーションは、親密なものに発展する可能性があるのですが、あくまでオンライン上の接触です。相手の年齢や顔、本名を知らないのは当たり前で、性別が分からなくても気にされないこともあります。この辺はもう、ネットに慣れた方には当たり前ですね。しかし目的を同じとする彼らが必ず集まる場所があります。それが大会の会場です。

 大型の大会の後はこのようなツイートをよく目にすることがあります。「あの人は(ネット上では)変なひとだとだと思っていたけど、(会ってみたら)ものすごくさわやかな好青年だった」。彼らはお互いへ認識を改め、そこで仲たがいも多少はあるのかもしれませんが、基本的には親交をより深めてお互いの生活圏へと帰っていきます。ネットだけでのつながりが、リアルな繋がりへと変貌する場所。それがe-sportsの会場だったりするのです。

 もちろん、オンライン上の関わりが全くなかったとしても、その場で友好関係が生まれることだってあります。特にe-sportsは相手との真剣勝負をするので単なるオフ会よりも相手と深くかかわります。負けた相手を憎むことも当然あるのですが。

 また、自分と同じぐらいこのゲームが好きなひとがこんなにいるんだと、身をもって実感する場所でもあります。このゲームをまだまだ続けようと、エンゲージメントを高める役割もあります。

 こういう側面をビジネスにするのは難しいのかもしれません。しかし、e-sportsの会場は殺伐とした戦いの場であると同時に、多くの出会いが生まれる場所であることを、そしてその出会い方はいささか特殊であることを認識しておいてほしいと思います。

終わりに

 以上、僕が普段から経験していることから、日本でのe-sportsの現状と、主要な関係者たちを俯瞰してみました。

 「e-sportsはゲームが生き残るただ一つの道」だとは全く思いませんが、「ゲームにスポットが当たる良い機会」だとは思います。途中で少し書きましたが、賞金が大きくなるほど参加人数は当然増え、巻き込まれる人の数がさらに増えていきます。

 僕はゲームが1つの文化として、どんな年代の人にも認められる社会が来るといいなと考えています。e-sportsのムーブメントをきっかけに、ゲームに関わる人生を歩むことになる人が増えれば、その一助になると思っています。これからの発展に期待しています。

 

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その他、ゲームについて考えたこと。

TwitchCon2017に参加してきました

2017年10月20日~22日にかけて開催されたTwitchCon2017に参加してきました。ゲーム専用の動画配信プラットフォームであるTwitchが開催しているカンファレンスで、ニコニコ超会議のようなものと言えばピンとくる方も多いと思います。

概要

開催場所はアメリカ、カルフォルニアロングビーチで、会場はLong Beach Convention and Entertainment Centerでした。

ニコニコ超会議のように、ゲーム会社がブースを出して大会を開催したり、有名人を呼んだり、参加型のイベントをやったりしていました。Twitchを使ってゲームの配信を行っている配信者同士のコミュニティを大事にしているようで、イベントのホームページには「Creating Community」の文字が大きく表示されています。ゲームキャラのコスプレをしている人が登場するブースもありましたが、参加者がコスプレをする文化はないようでした。

例えば、こちらはアリーナを1つまるごと会場に使用したH1Z1というFPSゲームのブース。観客席の上の方までびっしりとお客さんが座っています。すごい盛り上がりでした。

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入場料は3日間のパスで179ドル(2万円ほど)。ちなみにニコニコ超会議の入場料は2日で2500円です。

チケットを買うときは必ず自分のTwitchのIDと紐づける必要があるのがユニークなところです。Twitchには、配信を積極的に行っていて視聴者数の多い配信者を「Partner」として公認するシステムがあり、Partnerの入場パスを持っていると様々な特典を受けられます。

驚いたこと

2点ほど。 

1.ブランドとしての人気

Twitchの公式Tシャツやパーカーを着て参加している人をたくさん見かけました。Twitchのロゴが大きくプリントされたシンプルなものです。これはニコニコ超会議には見られない光景でした。

Twitchというブランドがクールなものとして認知され、自分がTwitchのコミュニティに参加していることを誇らしく感じている、そんなような雰囲気を参加者から感じました。このようなムードが醸成で来ていると、ユーザのTwitchに対する貢献度も高まりますし、コミュニティ外の人へのアピールにもなるので上手くブランドが作れているのだなと思いました。

会場限定グッズの販売ブースには長蛇の列ができていて、僕は購入を諦めたほどでした。 

2.お金のかけ方、かかり方

入場料が比較的高めであるにもかかわらず、多くの人が来場していました。強気の値段設定は自信の顕れですね。

また、中日の10/21の夜には大規模なパーティが開催されました。パスを持っている人は誰でも入場可能なイベントです。目玉は大きな客船を一艘まるごと貸し切り。船の中でパーティを行うのかと思いきや、船の中に7つのお化け屋敷が作られていました。お金のかけ方の方向性がよくわからない…。

船の外の広場にはたくさんのテントが立ち並び、参加者は飲み食いを楽しんでいました。即席の遊園地アトラクションなんかもありました。

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お金の匂いをまき散らすというのはプラットフォーマーにとっては大事なことでしょう。匂いにつられてたくさんの人や企業が寄ってきていることだと思います。

日本のゲーム配信プラットフォーム

ニコニコ動画の不振が伝えられるこのご時世、日本でのゲーム配信プラットフォームの主導権争いは熾烈を極めています。ニコ生、ツイキャス、YoutubeLiveから新興勢力のOPENRECやMirrativなど、それぞれが個性を活かしてユーザの拡大に躍起です。Twitchの個性はゲーム配信に特化しているというところ。今後の展開から目が離せません。

配信プラットフォームを分析する上で、配信者がお金を稼げるかどうかは、ゲームという文化そのものに大きく影響をしてくると僕は考えています。職業:ゲーム配信者が成立するかどうか、そこまでいかなくても、ゲームが好きな人がゲームをプレイすることで小銭が稼げるようになれば、ゲームというものの社会的地位は変容してきます。

また、e-sportsという文脈もゲーム配信プラットフォームには絡んできます。Twitchは多額の賞金がかかる大会を主催していて、e-sports文化の発展に一役買っている存在です。日本では法律によって賞金額が制限されるなど、まだまだe-sportsが普及しているとはいいがたい状況ですが、これが当たり前の存在になれば、対人ゲームが主流になるのかもしれません。

おわりに

まとまりがなくなってきたのでこの辺で。今回TwitchConに参加してみて、ゲーム配信プラットフォームがどのように使われていくかは、ゲームという文化の今後を左右していくものだなと改めて感じました。

 

その他、ゲームについて。 

 

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ラブプラスVRが本当のVR時代を切り拓く予感がしたTGS2017

東京ゲームショウ2017(以下TGS)のビジネスデーに行ってきました。今年一番の衝撃はコナミのブースのラブプラスeveryでした。ポケモンGOがARという技術を大衆化させたように、ラブプラスはVRを大衆化させるかもしれない、とさえ思った話をします。

ラブプラスeveryとは

ラブプラスは、もともとニンテンドーDSで発売された恋愛シミュレーションゲームのシリーズです。女の子を一人選び、その子と最初からずっと恋人同士で、その日常が続いていくという設定。女の子を「攻略していく」一般的な恋愛シミュレーションとは一風変わったシステムが話題を呼びました。

今回のTGSで展示されていたのでは、今年の冬にリリース予定のスマホアプリ版。最大の特徴はモバイルVRに対応している点です。普通のスマホアプリとしても遊べるのですが、一部モードではスマホをVRゴーグルに装着することで、お手軽にVR体験を楽しむことができます。

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TGSブースでの体験

TGSラブプラスブースでは、参加者は個室に通され、スマホ、VRゴーグル、ヘッドホンを用いてラブプラスeveryのVR部分を体験できます。個室には学校で使っているような一人用の机が置いてあります。高校生の恋人同士という設定のラブプラスを盛り上げるためのただの演出だと思ったらそれだけではありません。

VRゴーグルを装着した瞬間、自分は高校の教室にワープします。現実世界で自分が座っていたものと同じ机に、仮想世界の自分も座っている。たったこれだけの工夫で、一気にこの世界に引き込まれてしまいました。

また、ブース設計も一工夫されていて、どの個室においても机に座ると右側に出口があるように作られています。これもゲーム内での教室の配置と一緒。主人公は黒板の方を向いていて、向かって右手に教室の出入り口があり、女の子もそこから出入りするのです。

VRの操作に慣れるためのチュートリアルが少しだけあって、女の子が登場。「まるで現実世界と見間違うような」とまで言うと誇張になるのですが、音響効果も相まってそこに人がいるかのような臨場感は味わえました。女の子が顔をぐっと近づけてくるシーンでは本当に息遣いが感じられるかのようでドキドキしました

あっという間に体験時間が終わってしまったのは、体験版が短かったからか、それとも没入しすぎて名残惜しかったからか。最後では女の子が教室から出て行ってしまってシーン終了となるのですが、それが本当に残念に感じられてしまいました。その日一日しあわせな気分で過ごすことができたぐらい、衝撃の体験でした。

僕はゲームで酔いやすい人間なのですが、全く問題ありませんでした。景色が激しく動くものではないからなのかもしれないですね。

何がすごいのか

ここで僕が強調しておきたいのは、VRのクオリティではありません。(さっきまでさんざん女の子との触れ合いが楽しかった話を書いておきながらこんなことを言うと説得力がないかもしれませんが)この製品がすごいのは、VR体験の手軽さです。クオリティの面では当然プレイステーションVRには勝てません。あれはVR専用のゲーム機ですから。価格も雲泥の差です。

だれもが持っているスマートフォン、一枚の段ボールから組み立てられるゴーグル、量産可能なレンズ2枚、どこにでもあるヘッドホン(またはイヤホン)で、すべての男をにやけさせる体験が提供可能な時代になったのです。革命的だと思います。

TGSのブースでは、自分が使用したVRゴーグルはそのまま持って帰ることができます。無料プレゼント。多少コストはかかっていると思いますが、逆に言えばそのぐらいのコストしかかからないものであるということです。一般流通での大量展開が可能でしょうし、PRキャンペーンの無料配布だって可能です。VRを一般に普及させていく過程で一番ネックとなる専用デバイスの普及をどのように行うかという課題を、簡単にクリアできる。

そこに、いままでコナミが積み上げてきたスマホアプリゲーム運営のノウハウが加わります。公式発表の中に記載がないのでどうなるかわからないですが、基本プレイ無料にした方が稼げそうな感触を僕は持っています。多くの人にこのゲームを体験してもらい、お金を投入できる余裕と情熱がある人をターゲットにしていく。女の子にプレゼントできるものを課金アイテムとして売れば、貢いでしまう男性はきっといるはず。VRという点は特殊ですが、普通のスマホアプリとして運営できるでしょう。

そして何よりコンテンツがわかりやすい。彼女といちゃいちゃするだけ。こういうわかりやすさは黎明期には重要で、どんなに機械に疎いひとにもこのゲームでどんなことができるのかが理解できる。そしてVRがどのような技術なのかを身をもって知ることができるのです。

PSVRが発売された2016年がVR元年だと言われるようですが、個人的には大衆に普及した年をVR元年だとした方が良いと思いますし、今年の冬がそれにあたるかもしれないなと考えています。

課題と今後

さて、ここまでさんざんラブプラスによってVRが爆発的に普及するという話を書いてきたのですが、ラブプラスだけではこれを達成することができないと考える理由が1つあります。それは女性を取り込めないということです。ポケモンGOによってARが世間に認知されたのは、男性も女性もプレイしたからだと思うのです。

もちろん、ゲーム業界はその課題をきちんと認識していて、女性を取り込めるコンテンツの開発には余念がありません。TGSでも様々な女性向けVRコンテンツの展示がありました。欲を言えば、ラブプラスと同じタイミングで女性向けのゲームも同発させて、VRゴーグルをどちらにも使えるような形で売り出せると強いなと思います。単純掲載でターゲットが2倍ですから。

ゲーム業界は、次世代を切り開くコンテンツが1つ現れると、各社がそれを模倣して発展してきた歴史があります。パズドラが流行った後にパズルゲームが大量につくられたように、ラブライブがヒットしてから各社がアイドル音ゲーに参入してきたように。ラブプラスが、本当のVR時代を切り拓く存在になる。そんな予感を強く頂いた今年の東京ゲームショウでした。

理系院卒でゲーム関連企業に就職した身としては、このようなムーブメントは冥利に尽きますね。エンターテインメントが技術を発展させていくこともあるわけです。

 

 

その他、ゲームについて考えたこと。

  

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ゲーム会社の人間が生まれてはじめてディズニーシーへ行って感じたこと

 生まれてこのかた東京ディズニーリゾートに足を踏み入れたことがなかったのですが、先日ついに行く機会を得まして、数人の友人と東京ディズニーシーへ行ってきました。朝から晩まで歩き回って、ショーを見たりアトラクションに乗ったりとへとへとになるまで遊びました。単純に楽しむだけでなく、自分の仕事に繋がっているように見える点も多く、ディズニーが長年をかけて培ってきたノウハウに関心しきりの1日となりました。忘れないうちに書き残しておきたいと思います。

 

① 目に飛び込んでくる景色の作り方

 初っ端から感動したことがありました。シーに入場して広場を抜け、メディテレーニアンハーバーに足を踏み入れた瞬間のことです。アーケードをくぐるとともにぱっと視界が開けて、手前に水面がきらめく港、奥に赤く光る火山、奥には大きな船、異国情緒あふれる街並…と異世界の景色が一気に展開されました。あの景色は圧巻で、今でも目に焼き付いています。

 余計なものを配置して奥の景色を邪魔しないように注意深くデザインされているのが伝わってきました。ディズニーシーの世界を特徴づける要素をそこここに散りばめながらも、全体として統一感がとれている。まるで一枚の絵のようでした。足を踏み入れる手前にはあえてアーケードを用意し、視界を遮ってから一気に開放するのもニクイ演出です。

 景色が見えた瞬間、思わず「うわー!」という声が漏れてしまいます。違う世界に来たんだということを五感全体で感じられて、一気にこのディズニーの世界に没入し、ワクワク感が高まっていきました。テーマパークでお客さんに真っ先に体験させるべきことを、景色だけでやってのけるわけです。恐れ入りました。

 他にも、エリアの切り替えのときに目に飛び込んでくる景色はどこもお見事で、ミステリアスアイランドに入ったときや、アラビアンコーストに入ったときに飛び込んできた景色がとくに印象に残っています。

 

 RPGを作るときに大いに参考にすべき事例だと思いました。いかにプレイヤーをその世界に没入させワクワク感を与えられるかという要素は、ユーザ体験の深いところに効いてくるでしょう。新しい街やダンジョンに到着したときに、最初にどんな景色を画面に広げるか。マップを作るときにはそこにもきちんと意識を向けながら作るべきだと思いました。

 新しい街に入ったとき、システム側が勝手にカメラを動かして、ここにはこんなものがあるよ、と教えるゲームもありますね。それは自由自在に視点を動かせるゲームだからことできる技で、もちろん悪いことでは全くないと思うのですが、人間の目の動きではありません。パッと目に入る全景というものにも注意を払っていきたいなと思いました。特に、VRのゲームは「自分自身の等身大の視点」というものを意識させられることになると思うので、ディズニーで味わえる実体験は大いに参考になりそうです。

 ゼルダの伝説BoWでは、遠くに見えているタワーや山に実際に登ることができてしまうので、景色の作り方も慎重にならざるをえなかったという話を開発者インタビュー記事の中で読んだ覚えがあります。今までは、奥に広がる景色はハリボテというゲームも多かったですが、オープンワールドのゲームでは誤魔化せなくなります。景色のデザインはますます重要になってきそうです。

 

② 背景知識とコアユーザ・ライトユーザ

 それぞれのエリアや1つ1つのアトラクションにはしっかりとしたバックボーンとなるストーリーがあって、目を凝らすとその要素が随所に散りばめられているという話を聞きました。ディズニーに詳しい友人が一緒にいたので、そのうんちくを聞いているだけで待ち時間があっという間に過ぎていきました。

 大部分のゲームは起承転結のあるストーリーをベースに作られているわけですが、そのストーリーの見せ方、およびライトユーザとコアユーザへ向けてどのようなコンテンツを用意していくかというところを考えさせられました。

 ディズニーリゾートにはアトラクションの背後にあるストーリーを理解できない小さな子供もお客さんとしてたくさん来場します。大人であっても、テーマパークには小難しい話など求めていなくて、単純にアトラクションを楽しめれば良いと思っている人もいるでしょう。そういう人たちに、「このアトラクションの背景にはこれこれこういうお話があって…」と講釈を垂れるのは悪手だと思うのです。彼らにとってはノイズにしかならず、満足度は低下してしまいます。アトラクションだけではなくショーの中でもストーリーは最小限に抑えられていました。

 ディズニーは、背景知識を持っていない人には無理にそれを求めず、身に着けさせる努力もせず、単純にテーマパークの雰囲気を肌で感じてもらい、アトラクションを楽しんでもらえる場所になっていると思いました。そういう楽しみ方で満足してくれるのならそれでいいし、もっと知りたいと思った人が深堀りしてみると意外といろんな発見がある。そういう構造になっているのかなと僕なりに考えました。

 

 ゲームっぽく捉えるならば、バックボーンとなるストーリーをあえて引き算してコンテンツを作り、コアユーザ向けにはそのバックボーンをやり込み要素として用意している構図とでも言えるでしょうか。ゲームに限らず、エンターテインメントの世界におけるコンテンツを作る際には、無理に足し算をするよりも、何かを引き算している方がすっきりとしてわかりやすいものになります。映画の作り方に似ていて、大量の設定を用意してお話を形作るものの、実際に映画のシーンとして映るのはその一部になる、みたいな感じです。

 このストーリーを引き算してしまうディズニーのやり方は、ゲームにはなかなか取り入れられないなと思いました。そのゲームのストーリーが100あったとしたら、プレイする人全員に100を見てほしいと思い導線を作るのが普通です。ライトユーザのために何かを引き算するということはせず、コアユーザのためにやり込み要素を足し算する。そのためライトユーザにとってはやり込み要素がノイズだと捉えられてしまうこともあるでしょう。コアユーザにとっても、やり込み要素は付け足しで作られるため本筋とは関係のない要素になりがちで、どうしても作業感が強くなってしまう。そうではないゲームもたくさんありますが、意識せずに作るとこういう事態に陥る可能性があるなと思います。

 またまたゼルダBoWの話になってしまって恐縮ですが、このゲームではストーリーがあまり明示されない代わりに、ウツシエの場所を巡ってリンクが自分の失われた記憶を集めていくという要素があります。ストーリーを「集める」という感覚でゲームがデザインされており、ストーリーのムービー自体をユーザのご褒美とするという、今までになかったゲームデザインに挑戦されています。こちらのファミ通のインタビュー記事に詳しいです。

 一方でこれはディズニーだからこそできる離れ業だと考えることもできます。来場者がだいたいの話の流れを知っている前提でコンテンツを組み立てることができるのはディズニーの大きな強みです。ゼロからスタートするIPには真似できるものではないでしょうね。

 

③ 関連商品の展開

 お揃いのTシャツを着て来場しているお客さんをたくさん見ました。せっかくディズニーに来たのだから、何かグッズを身に着けていこう。そういう動機はよく理解ができるところです。

 ゲームがある程度人気を博してくると、そのキャラを使った関連商品を展開するパターンは多いです。しかしゲーム会社がやっている商品の横展開と、ディズニーのやっていることは似て非なるものだなと思いましたし、ゲーム会社は安易にディズニーの真似をしようとしてはいけないなとも思いました。

 ディズニーの場合、テーマパークに行くという行為を中心にして商品を作ることができるので、来場するときに持っていきたくなる商品を作ればシナジーを得ることができます。これが本当に強力なビジネスモデルだなと思いました。Tシャツが可愛くて思わず買ってしまったので、ディズニーランドに遊びにいく計画を立てよう、という風にお客さんを動かすことができます。パーク外のディズニーストアなどで商品を購入させたことを、そのまま来場したいという動機につなげることができるというわけです。

 一方ゲームのキャラクターが描かれたTシャツはなかなか着ていく機会がないですよね。ゲームのオフラインイベントだとか大会などには来て行けますが、それ以外ではパジャマになりがち。ゲームをプレイするというシーンに結び付けられないので、Tシャツを買ったことをビジネスの根幹には繋げることができません。Tシャツを例に挙げましたが、それ以外のものについても同様で、ディズニーランドに持っていくために関連商品を買うということはあっても、ゲームをプレイするために関連商品を買うということは稀です。

 ビジネスモデルの違いという大きな溝が横たわっていることを理解し、「ディズニーみたいに横展開しようよ!」なんていう甘い考えは捨てた方がいいなと改めて思いました。

 

終わりに

 ディズニーに詳しい方からするともっと違ったものが見えているのかもしれませんが、この間初めてディズニーに行った自分からするとこれだけのものが浮かびました。異業種から参考にするというのは重要なことなので、これからも機会があれば通って発見を続けたいですね。誘ってくれた友人に感謝です。

 

 ゲームとは関係がないのですが、素晴らしいプロ意識でおもてなしをしてくださるスタッフさんがほぼ全員バイトだというのも驚きましたね。昔この本を読みましたが、人材育成の面でもディズニーが積み重ねてきたものの偉大さを思い知りました。

プロローグ 人は育つ なぜ、バイトが9割でも最高のサービスを提供できるのか?

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その他ゲームのこと


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ARの覇権争いで日本のコンテンツよ輝け

 次に来るのはARかVRか。ゲーム業界に身を置く一人として、この論争はいつも興味深く眺めています。FacebookがARに参入することを表明したことで、ARの覇権争いが先に本格化することが予想されます。その中で、日本がどのようにかかわっていくべきか考えてみました。

ARという舞台に役者が揃ってきた

 2017年4月18日、Facebookによる開発者向けカンファレンスF8にて、マークザッカーバーグ氏本人がプレゼンを行い、ARのプラットフォーマーを目指す戦略が高らかに宣言されました。プレゼンには20分ほどの時間がかけられ、Facebookの本気が伝わってくる内容でした。

 FacebookとARという話題は、競合SNSであるスナップチャットの存在を無視して語ることはできません(参考:Forbes JAPANTechCrunch Japan)。スナップチャットは自社をカメラの企業だと位置づけており、ARカメラは彼らのアイデンティティの根幹を成すものです。Facebookはその領域でスナップチャットに優位を取ることで、新興勢力を叩き潰そうという構えなのでしょう。

 ARのハードウェア面の動きも見られます。GoogleのAR技術であるTangoを搭載したZenfone ARが発売されたり(Engadget 日本版)、AppleがARデバイスを開発中とのうわさが流れたり(ITpro)と、ARという舞台に役者が揃ってきました。

 ARが次の時代のメインストリームになるかどうかは別にして、大きなお金がこの分野で動くことは確実になったと言ってよいでしょう。しかし悲しいことに、この舞台に躍り出るこのできる日本企業はありません。国内ではLINEが頑張るかもしれませんが、グローバルな技術開発の覇権争いには踏み込めないでしょう。(だからこそSONYのVRには頑張ってほしいですね)

 もったいないことだと思います。なぜなら、日本にはARと相性の良いコンテンツ(IP)がたくさんあるからです。

先行するARのエンターテインメント応用

 ARの普及段階を考えると、最初に「ARのエンターテインメント応用」が進み、「ARの実用的な応用」が遅れてやってくることになると思います。

 服をARで自分に重ねて疑似試着をしたり(VR Inside)、家具をAR上で部屋に置いてみてイメージしやすくしたり(日流ウェブ)といったものは実現していますが、まだまだ違和感が残るのであくまで参考程度に利用するクオリティ。ARで手術を補佐したり(日刊工業新聞 電子版)、工場のオペレーションを補佐したり(TechFactory)といった分野はまだまだ研究段階。こちらはゴーグル型デバイスが必要で、かつ正確性・安全性が問われる分野なので実現はまだ先になりそうです。

 一方、ARのエンターテインメント応用はすでに実用化と大衆への浸透が進んでいます。言うまでもなくポケモンGOを筆頭とするゲーム、SNOWを筆頭とするカメラはほとんどの人がどういうものかを理解してくれる段階にまで普及しました。

 エンターテインメント応用でカギを握るのはずばりコンテンツとアイディアだと思います。それはポケモンGOのヒットを見れば明らかですし、スナップチャットはポケモンGOがヒットする以前に、ハローキティとコラボして話題を集めていました(Daily Mail Online)。空間にデジタルオブジェクトを置くことや、カメラで顔を認識してフィルタをかけることに大きな技術的な差は生まれにくいからです。あっと驚くコラボレーション。覇権争いで競合をリードするためにはそれが必要だと思います。有名なコンテンツとコラボすればネットでバズる話題性ととっつきやすさを獲得できます。(ポケモンGOGoogle MapとIngressで蓄積した膨大なデータをもとにゲームを作っているのでおいそれと真似できるものではなかったりしますが)

 というわけで、日本のコンテンツホルダーにとっては、ARプラットフォームの覇権争いというのは1つの勝負どころなのではないでしょうか。

世界に挑戦できるプラットフォーム

 日本生まれのコンテンツがグローバルにお金をかけて勝負を挑むプラットフォームと言うと、ゲームと映画が思い浮かびます。

 ゲームについては、日本でだけ流行っているタイトルもありますが、世界中でヒットを飛ばしてきたシリーズも多々あって、良い勝負ができていると思います。一方、ハリウッド映画化された日本のコンテンツは、ドラゴンボールの印象が強すぎるのかもしれませんが、ことごとく爆死している気がします。アメコミヒーローやディズニーキャラクターの映画が世界でしっかりとした興行成績を挙げているのとは対照的です。

 アメコミと比べると、日本のコンテンツは現実離れした世界を描くことが多く、実写がメインのハリウッド映画の世界とは相性が悪いのかもしれません。この先ワンピースやNARUTOが実写映画化されたとして、全世界で大ヒットするイメージはあまり持てません。(とは言いつつ、ディズニーの実写映画も上手くいっているので、プラットフォーマーとの地理的距離や日本的コンテキストなど問題は別にあるのかもしれませんが)

 ではゲーム・映画と並べてみて、ARというプラットフォームはどうでしょうか。AR技術を使い、現実世界に対して現実世界に近いものをオーバーレイさせても面白味が出ません。せっかくARを使って遊ぶのならば、現実離れしたものを重ねることで現実が拡張され面白さが出るのではないでしょうか。

 例えばF8のプレゼンで、コーヒーカップをカメラでとらえるとそこが防衛軍の基地となり、襲い来る敵から自分の体を使って守るというゲームが紹介されました。ここで敵の姿に注目してみると、それはリアルな戦闘機ではなくちょっと面白味のあるロボットになっていて、現実離れしているのです。この辺に僕は日本発のコンテンツの勝機を感じます。

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Facebook F8 2017 - YouTubeより

日本のコンテンツよ存在感を示せ

 最近、中国の技術発展がすさまじく、日本はすでに技術的な優位性を失っているとの論調が多く聞こえます。人口およびかけているお金に差がありすぎるので、やむなしでしょう。ですが、中国発で世界に通用しているコンテンツというのは聞いたことがありません(三国志が好きなのはたぶん日本人だけ)。ARという大きなお金が流れこんでくる分野で、相性の良いコンテンツを多数有する日本は、必ずや存在感を示せると思うのです。

 AR自体がこけるかもしれません。それでも良いと思います。コンテンツに傷はつきません。むしろ、Facebookという巨大企業が自社の命運をかけて放つ次の矢の先端に、日本のコンテンツが載っている。これが実現すればデカイと思います。日本のクリエイターは賃金的な面で過小評価されていると言われていますが、外国資本の流入によって一気に流れが変わるかも、というのは夢物語すぎるでしょうか。

 ポケモンGOGoogleとの協業だという事実はすでに知れ渡っています。もうすでに声がかかっているコンテンツがあったりするのかもしれません。目が離せないですね。

 

 

その他ゲームについて考えたこと 

 

 

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ラ・ラ・ランドと一億総批評家時代

 ラ・ラ・ランドはどうも感想が書きたくなる映画のようです。たくさんの人がいろいろなことを語っているのを見て、僕も書きたくなってむずむずしてきたので感想を書くことにします。この「感想が書きたくなる」というのが実はこの映画のすごいところなのではないかと思うようになり、それについても後半で触れることにします。

 

 

 

 

ネタバレを含みますので、気にする人はここでバックしてください

 

 

 

 

どストレートな序盤中盤

 女優を目指すミア(エマ・ストーン)と古き良きジャズのお店を開きたいと思っているセブ(ライアン・ゴスリング)のラブストーリーである本作。ミュージカルが途中で挟まる形式になっており、2人が夢に向かって奮闘する様子や熱いラブロマンスを、歌とダンスで盛り上げます。

 とにかくストレートな映画だなと思い、安心して見ていました。わかりやすい夢があり、そこに至るまでの努力と葛藤があり、そして恋愛に第三者はいません。大きな波乱もなく、予想できる範囲のラストシーンまで一直線に進んでいくのだろうと、ある種の退屈をも感じながらスクリーンを眺めていました。

 ただ、ミュージカル初心者の僕は、歌とダンスの持つパワーに圧倒され、夢に向かって頑張る2人の姿勢にポジティブなメッセージを感じ、くるくる変わるエマ・ストーンの豊かな表情を見ているだけで幸せな気分になりました。わかりやすすぎるお話しではあるけど、とにかく今日はこの映画に元気をもらって帰ろう。途中で集中力が途切れた時間帯もありましたが、そんなふうに好意的な目線で鑑賞していました。

少し考えさせられるラストシーン

 ラストシーンもありきたりだなと最初は思いました。夢を叶えるために別々の道を選択した2人は、一切連絡も取らぬまま交わらぬ人生を歩んでいる。セブの夢であったジャズのお店を偶然訪れることになったミアと、ステージ上のセブの視線が交差する。そして、昔と変わらぬセブのピアノにのせて「もしも二人が別れていなかったら」というifの世界がミュージカルで描かれるのです。

 このミュージカルは途中からどうも様子が変で、二人が分かれるきっかけとなったミアのパリ渡航にセブも同行しているようで、いったいどの選択肢をやり直したifの世界なのか分からず混乱しました。僕の予想の斜め上をいく、考えさせられるラストシーンでした。

トータルで見ると味わい深い

 帰り道で考えた結果、あのifの世界はセブが抱き続けた気持ち悪い妄想の世界だったのかなという結論が僕の中で出ました。

 「女の恋は上書き保存、男の恋は名前をつけて保存」とよく言われるように、男は終わった恋愛に対していつまでも未練を残し、ありえもしない何かを期待しがちな生き物。ラストシーンでセブは、想い続けたミアと偶然再会してしまったものだから、勢い余ってその妄想の世界をピアノの旋律にのせて表現してしまった。

 セブはもともと何かに固執する変なヤツだったことを知っているミアはそれに気づき、1曲聞いただけでお店を後にする。そのとき2人が目を合わせるシーンで、ミアの視線にはある種の哀れみが含まれていたのではないかと僕は思います。

 「男性諸君、いつまでも終わった恋を引きずるのは気持ち悪いぞ」というメッセージ。ラストシーンの手前までポジティブ100%で進行してきたこの映画は、ミュージカルを隠れ蓑にしながら、最後の最後で世の中の多くの男性の心を抉る。鑑賞中は退屈だなと感じる時間帯もあったのですが、トータルで見ると味わい深い映画だなと思いました。

何か大きな見落としがあった?

 ここまでが映画を見た直後の僕の感想でした。家に帰ってネットを見てみると、この映画について多種多様な批判が寄せられていて、自分が何か大事な要素を見落としていたのではないかと焦りました。

 ネットにあふれているいろいろな人のラ・ラ・ランド批評。僕とは違う解釈をしている人はたくさんいましたが、僕が明らかに見落としている要素はなかったのではないかと思いほっとしました。むしろ、僕が見落としていたのは「この映画の脚本に、見落としがあるほどの深さはない」という視点の存在。第89回アカデミー賞最多部門ノミネート・最多部門受賞の超話題作が、そんなふうにぶった切られていていいのかと逆にびっくりでした。名作と呼ばれる映画には深い洞察に耐えられるだけの奥行と耐久力があるものだと思っていたからです。

 指摘されていた脚本の薄さというのは、「ミアとセブが恋に落ちる過程が描ききれていない」とか、「ミアがオーディションに受かって大女優になれたのは素質があったからなのか偶然だったからなのかわからない」とか、「2人は別れたあと連絡を取り合ったりしなかったのかという単純な問いに答えられない詰めの甘さ」などなど、様々な点から言及されていました。僕がショックを受けたラストシーンを、「よくわからない」と切り捨てている人さえいました。

 思い返せば見ている最中に違和感を覚えた場面もあったのですが、「あえてやっている」という人工的なにおいを僕は感じて、むしろ受け取る側の自分に問題があるのかもしれないと思って保留していました。

1億総批評家時代

 結局、監督が意図的にツッコミどころを用意した作品なのか、彼に隙のない脚本を作る能力がなかったのかは僕にはわかりません。ここで僕が1つだけ確かに言えるのは、この映画は批評したくなる出来栄えに仕上がっているよね、ということです。

 完全に脚本が破たんしているわけではないけど、突っ込んでみるとあらが目立つ。許されるギリギリのライン。見る人によって様々な受け取り方がなされ、声の大きな人たちが大声で批判することによって燃え広がり、より多くの人の関心を引いていく様はまるでネットの炎上芸だなと思いました。

 SNSの浸透によって、ネットというオープンな空間にたくさんの人が自分の想いを公開するのが当たり前という時代になりました。圧倒的な深みのある作品を、一部のコアなファンがくみ取る時代は終わり、誰もが気軽にツッコミをいれることのできるスキのあるコンテンツこそが主役となる時代の到来を感じます。一億総批評家時代とでも言うべきこのご時世、常人が理解できないぶっ飛んだ感性よりも、適度に炎上する優れたバランス感覚が求められるのかもしれません。映画の中身だけでなく、世間への受け取られ方も含めて、非常に楽しめた映画でした。

 

 

その他、映画の感想

 

 

 

Ost: La La Land

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1-2-Switchは確かに新しいゲーム体験だ。しかし。

 Nintendo Switchの同発タイトル、1-2-Switchを同僚と遊ぶ機会がありました。Nintendo Switchというゲーム機がどのような新しい体験を提供してくれるのか、その試金石となるゲームという位置づけで注目していました。

 このゲームは積極的に広報されていたため、発売前から多くの情報が明らかになっていましたが、ゲームは体験してみないと何もわかっていないのと同じです。自分が体験して思ったことを残しておくことには意味があると思うので、書いておきます。

新しいゲーム体験

 いくつかの側面から1-2-Switchが提供してくれる新しいゲーム体験を書いていこうと思います。

① 画面ではなく相手を見る

 これは一番強く宣伝されていた要素でした。そして、まさしくその通り、今までのゲームにはない体験でした。画面をほとんど見ずにゲームが進行していきます。画面がおまけというわけではなくて、相手を見ないとゲームにならない、という感じでしょうか。

 1-2 Switchでは、対戦相手その人を強く意識するゲームでした。そのことが意外なほど新鮮に映りました。スマッシュブラザーズでは田中君が操作するキャプテンファルコンと戦っている感じがするのですが、1-2 Switchでは田中君その人と戦っているのです。これが当たり前のようでけっこう感覚が変わりました。ゲームがより原始的な体験に進化(退化?)したと言えるでしょう。

② 画面とボタンを使わず、振動を使う

 相手を見ながらゲームをするということは、画面を使わないということの裏返しです。それに加えて1-2-Switchでは、ボタンをほぼ使いません。コントローラーを振ったり、コントローラーを持った手を大きく動かしたりすることがゲームに対する入力になります。

 コントローラーを使っているとき、向かいあった相手からはどのボタンを押したのかあまり見えません。せっかく画面ではなく相手を見てプレイするゲームなのだから、隠し事をせずにいろいろな情報をお互いが見える形でテーブルに載せていくのがこのゲームの基本でした。

 基本的に勝ち負けのつくゲームは情報を公開せずに自分だけのものとした方が有利です。だから、ボタンを押すという操作が入るとお互いは情報を出さないように殻にこもりがちになります。それを全くさせないゲーム設計になっていて、あくまでも1対1のコミュニケーションをしていこうよ、という設計者の意図を感じました。

 ただ、このゲームで唯一非公開情報になっているのが振動です。自分が握っているコントローラーがどのように振動しているのかは、相手にはわかりません。Nintendo Switch売りの1つであるHD振動を、ゲームのカギにしているというのがニクイ発想だなと思いました。

 例えば、「ライアーダイス/Liar Dice」というミニゲームが収録されています。平たく言えばインディアンポーカーのサイコロバージョンです。お互いがサイコロを2つ振り、出た目の合計の大小を競うのですが、お互いのサイコロの様子はどちらからも見えないようになっています。相手のサイコロの出た目の合計が振動でわかるようになっていて、それをもとに、勝負すべきか、自分のサイコロを振り直すかを決めていくゲームです。

 ここで相手の情報が振動を介して伝わってくるというのがニクイ演出で、相手が振動を感じている時間が長いほど出た目が大きいわけですから、相手が長く振動を感じ取っているように見えた場合は自分に強い目が来ている可能性が高くなるのです。振動という非公開情報は、使い方によっては公開情報にもなり得る、非常に面白いツールなんだよというメッセージを感じるゲームです。(それにプラスしてぞろ目になったときにブーストがかかるという仕様が駆け引きに奥深さを出します)

 コントローラが振動するというのはそれこそNITENDO 64のころからあった機能ですが、大半はゲーム内の演出を盛り上げる賑やかしの要素でした。Nintendo Switchは20年ぶりにこの機能をゲームの主たる構成要素に昇華したといってもいいと思います。

③ 2人用ゲームなのに2人では盛り上がらない

 6人ほどでワイワイと1-2-Switchをプレイしたのですが、これが2人だけだったらあまり盛り上がらなかったのではないかと思いました。プレイできない人が重要な役割を果たすのです。今までのゲームでこんなことはなくて、あぶれてしまった人は退屈な思いをするだけでした。

 「ゴリラ/Gorrila」というミニゲームがあります。指示された通りのリズムでゴリラのドラミングの動きをするリズムゲームです。リズムゲームで対戦するならば、プレイヤーが安定して操作ができて、なおかつゲーム側の読み取りミスも少ないという理由でボタン入力がベストなはずです。しかしこのゲームではあえて腕をウホウホ動かすことでリズムをとらせるのです。

 何が楽しいのかと言うと、いつもクールなアイツとかオフィスのマドンナとかが必死にウホウホポーズをし合っているのが面白いのです。つまり、明らかにこのゲームは第3者の視線を意識して作られています。ヤジを飛ばしているだけで楽しくて、プレイしている側も、恥ずかしいけどやっぱり周りが盛り上がってくれているのは楽しいと感じる。これは新しいなと思いました。そのほかにも「モデルウォーク/Runway」や「エアギター/Air Guitar」なんかも同じようにプレイしていない第3者も巻き込んだ内容になっていました。

どういうシーンで遊ばれるのだろう

 さて、1-2 Switchが新しい体験を提供してくれたという話をしてきました。新しくて、面白いゲーム体験だと思います。では、このゲームは売れるでしょうか。そうとは限らないですよね。一番気になったのは、誰に、どういうシーンで遊んで欲しかったのだろうということです。

 1-2-Switchと同じような立ち位置のゲームとしてWii Sportsを挙げることができると思います。Wiiのローンチタイトルで、コントローラーを振って体を動かすことでゲームができるという新しいゲーム体験を作りました。

 Wii Sportsの場合、「家族みんなでプレイしてね」というメッセージが宣伝物などに強烈に出ていたと思います。子ども、両親そして祖父母がテレビの前で一緒に体を動かしているCMを今でも思い出すことができます。

 1-2-Switchはどうでしょうか。任天堂はそういう強烈なイメージづくりをしていないように思います。僕の印象に残っている宣伝物は、パーティ会場にNintendo Switchを持って行ってテーブルに本体を置き、その前で男女が向かい合っているイメージ。持ち運ぶことができる据え置き機というNintendo Switchの特徴を紹介しつつ、1-2-Switchの遊び方を提示している広告だと思います。ですが、パーティなんて普段なかなか行かないじゃないですか。そういう特別な場で遊ぶことを想定して作られたゲームというのはあまりピンときません。

 「誰でもどこででもできるゲームなのだ。だから、特定の使用例はないのだ」ということなのかもしれません。だから特定の強烈なイメージを作る必要はなかった、と。その場合はみんなの定番となるゲームを目指しているのかもしれませんが、僕が遊んだ印象ではどのミニゲームも要素が極端に絞られていて、一度プレイしたもういいかなと思ってしまうほどあっさりとした作りになっています。何度も何度もやりたいという気持ちになるかと言われると、そんなことはないかなという感じでした。

ただのメッセージでいいの?

 任天堂が1-2 Switchに与えた使命を僕が予想するならば、Nintendo Switchではこんなゲーム体験ができるんだよということを手軽に知らしめることかなと思います。「こんな単純なルールのミニゲームでも、けっこうおもしろいでしょ?」「本気でゲームを作ったら、もっともっと面白いゲームができると思わない?」とこのハードウェアの可能性を提示することが1-2-Switchの役目なんだ、ということかなと。

 だから、ゲーム制作者に向けたメッセージが一番強く込められているのかもしれません。こんな使い方ができるハードウェアだから、何かゲームを作ってくれないだろうか、という問いかけなのかもしれないなと思いました。だとしたら、これはいろいろな人が指摘していた陳腐な意見ですが、1-2-SwitchはすべてのNintendo Switchにあらかじめインストールすべきだったと思います。1個か2個のミニゲームでも十分だったでしょう。ひとりでも多くのひとに届いた方が得策ですから。

 せっかく任天堂が1つの新しいゲーム体験を込めたゲームを作り上げたのに、ただのメッセージだと割り切ってしまう自分に対して少しさびしさを感じてしまうのもまた一人の自分だったりします。さて、1-2-SwitchNintendo Switch普及の起爆剤となるのか、それとも。

 

 

その他ゲームについて考えたこと 

 

 

 

 

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