理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

仕事には意志が必要だ

 僕と同じくゲーム業界で働いている知人と飲んでいるとき、新人の教育に手を焼いているという愚痴を聞きました。よくある話なのですが、3年目の自分にとっても考えさせられる話だったのでここに書いておこうと思いました。

新人君の仕事の姿勢

 ゲームソフトのホームページに掲載するゲーム画面の撮影を、その新人君は依頼されたそうです。ゲームを魅力的に紹介できるものというオーダーで、自分が良いと思ったところをあげてきてくれという指示でした。新人君があげてきた成果物を見て、どのような意図でこの画面を選んだのかを尋ねたところ、上手く答えられなかったそうです。別のシチュエーションでも、そのようなことが続くのだと残念そうに知人は語っていました。

 知人はあっと驚くような回答を求めていたわけありません。「このゲームではこの機能が一番の推しポイントだと思ったから」「このキャラが一番カッコイイと思ったので映える場面を撮った」などなど、拙くてもいいから新人君が考えたことを教えてほしいと尋ねても、それすら返ってこないとのこと。撮影するのがラクなところを選んだのではないかと知人は暗いトーンで言っていました。

 新人君の上司の仕事の振り方が悪かったのかもしれません(ちなみに知人は直接の上司ではない)。まだ新人なわけだし、これから訓練していけばよいと楽観的に捉えることもできます。しかし、これはけっこう致命的なのではと話していました。どうにかせねばと知人は頭を抱えていました。仕事を与えられたときに、自分なりに考えて自分なりの意図をもって成果物を仕上げるという姿勢、そして自分の仕事にできるだけ大きな価値をのせたいという姿勢は、教えてもらって身に着くものなのだろうかと。

自分のやりたいことが大事

 仕事を与える側・作る側になれないよねという話がさらに続きました。他の業界のことは置いておいて、ゲーム会社というのはゼロから新しいものを生み出すことを生業としている組織です。ゲームそのものでなくても、広告やイベント、僕がいまやっているグッズ制作も、すべてがアイディア勝負の企画の世界。先ほどの新人君が活躍できるビジョンが見えないと知人は嘆いていました。

 新人君の話題から仕事論の話になったのですが、「仕事をする上で自分のやりたいことって大事だよね」という知人の言葉が頭に残りました。これはつながっていると。

 新しい企画を提案するとき、「インスタが流行っているから」「メインターゲットが30代男性だから」などの根拠をもとに有効性を説明していくわけですが、企画の根底には「自分がこういうものを見たい、やりたいから」という意志があるべきだと思うのです。自分の仕事に意図を乗せられない新人君がその領域に踏み込める見込みは薄いなと感じました。

研究室時代からの転換

 かくいう自分も、そういう考え方に賛同するようになったのは最近です。理系の大学・大学院で教えてもらったことが、僕の物事を考えるときのベースになっているので、最初は相入れなかったのです。研究はデータがすべてで、当時はとにかく数字を良くすることに懸命になっていました。自分がやりたいからやる、なんていう独りよがりな行為は成果につながりません。データを解析し、原因を検証して、改善を積み上げていく世界でした。

 しかし、ビジネスをするうえで、何が成功か、どうすれば数字が良くなるのかは、わからないことが多いです。当てになるものが何もない世界。自分がやりたいから、というのは実はとても大きな道しるべになるということに気づきました。

 仕事を進めていく上でも、周りの人に協力をあおぐときは順序立ててロジカルに説明をすることが大事ですが、誰かが本当にやりたがっているということが最終的に人を動かすこともあります。あいつがやりたがっているから手伝うことにした、と言う人を何人も見ました。

 研究の世界でも、根幹には自分はこれがしたいという意志が必要だったのかなと最近思うようになりました。学生のときは教授から与えられたテーマを掘り進んでいけばよかったのですが、そもそもテーマを立てるときは、自分は何がしたいのかを良く考える必要があるはずなのです。「通信技術を向上させることによって人々の暮らしをもっと便利に豊かにしたい」とか、そういう根幹の部分が自分の中で固まっていないと、モチベーションが保てないし、何かトラブルがあったときにブレてしまうなと。

仕事の起点

 自分はこれがしたいという意志を起点に、仕事を考えてみるべきなのだなと思うようになりました。「企業は利益を追求するための組織」という定義に矛盾するところがいまだに引っかかってはいるのですが、現場レベルではそちらの考え方の方が大切なのではと。

 他社との共同プロジェクトに参加したとき、これは誰がやりたいものなのだ?とみんなが疑問に思っていたことがありました。一緒に何かをやるというところが出発点になっているので、何を成し遂げたいか意志を持っている人がいない状況。プロジェクトチームは形になっているものの、軸がぐらぐらしている感覚でした。

 逆に、社長の鶴の一声で動き出す仕事というのは、良いか悪いかは置いておいて軸がしっかりしています。社長がやりたいと言っているから、部下はそれを実現するために奔走する。最終ジャッジは社長が行う。社長のビジョンに共感できていれば明快な仕事になります。

 最近自分はグッズの企画を担当しています。何が売れるかを考えているわけですが、消費者の行動というのは一筋縄では読めません。そんなとき、自分はどんな商品が欲しいかを起点に考えるようにしています。仕事のモチベーションを保つうえでも、それが一番良いのではと最近思っています。

 知人は、せっかく仲間になったのだから、もう少し新人君の面倒を頑張ってみてみると言っていました。

 

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その他仕事の話。 

 

 

 

世界は誰かの企画でできている  

 しばらくの間ゲームの開発に携わっていたのですが、グッズの商品企画の部署に異動しました。どんなキャラを起用してどんな商品を作るのか、自分で考えてメーカーさんと協力しながら作り上げる仕事です。

 ゲーム会社のメインストリームの仕事ではないですが、ゲームの世界観の素晴らしさを形に残るモノとしてこの世に生み出すことはとても楽しいです。自分で考えて実行したことの結果がダイレクトに数字で跳ね返ってくる仕事です。商品が売れれば自分の評価に直結しますし、売れなかったときは言い訳ができません。

 毎回新しいもの、面白いものを提供していかねばなりません。仕事をしていないときも、常に次の商品のネタを探し求める毎日です。興味のないものの中にもヒントが眠っているかもしれません。

あれもこれも誰かの企画

 この部署に移ってから、街の景色が違って見えてきました。新しい商品のネタが埋まっている宝の山であると同時に、僕と同じように戦っている企画職の方々の血と涙の結晶の展示会だなと思うようになりました。

 この世界は、誰かが悩んで悩んで悩んで生み出されたもので溢れています。牛丼屋の新メニューも、アイドルを起用したコンビニのキャンペーンも、ソーシャルゲームのイベントも、何もかもが誰かがひねり出した”企画”です。僕と同じように毎日必死でネタ探しをして、なんとか実現までこぎつけた企画に囲まれて、僕らは生きているのです。

 

 企画をする人は目立つスターではありません。プロ野球選手でも医者でもミュージシャンでもなく、サラリーマンであることが多いです。不勉強だったので学生のころ「企画職」という単語を聞いたときに、それが何を指しているのかイマイチ掴めませんでした。自分自身で企画の仕事をするようになってようやく、企画職とはどんなことをする職種なのか、どんな面白さがあるのかわかってきました。

 まだこの世にないものが、人の頭の中からにょきっと出てくること。当たり前のように見えて、これは実はすごいことなのだなと認識を改めました。素敵な企画を目にすると、こんなことをよく思いついたものだと畏敬の念を抱くようになりました。

 見たことも聞いたこともないアイディアを生み出すという行為は、きわめて人間的な活動だなと思いせんか。企画をする前は何もないのです。全くのゼロから、イチが生み出される神秘。なんと単純で、なんと奥深い仕事なのでしょうか。

今日も明日も悩む

 自分で企画を担当してみると、楽しいと同時に恐ろしく苦しい作業でもあることを知りました。採用される企画の裏には、その10倍ぐらいの没案が沈んでいることがザラです。いざ採用されたとしても、この内容で本当に良いのだろうかという産みの苦しみと戦い、実施した結果が悪ければ自責の念で押しつぶされそうになります。

 いまはSNSで数多くの赤の他人の心の声を検索できるようになりました。自分の企画に対する反応を、よりダイレクトに聞ける時代です。結果が悪くても、自分の企画意図がずばり刺さったたった1つのツイートだけで、救われることもあります。(なのでエゴサで引っかかるようにつぶやいてくれると本当にありがたいです...)

 世界は誰かの企画ででてきています。今日も明日も全力で悩み、この世に新しいものを生み出していこうと思います。

 

 

けっこう前なのですが感動した企画はこれですかね。スプラトゥーンというゲームそのものもすごい企画ですし、バーチャルアイドルがライブを行うという企画もすごかったです。

 

  

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その他仕事のこと

 

 

この本にはお世話になっています 

アイデア大全

アイデア大全

 

 

異様に忙しかった期間を乗り切ってほっと一息

 6月末が納期の仕事を抱えていて、ここ1か月ぐらい非常に忙しい毎日を送っていました。その仕事が一段落して、ほっと一息つきながらこの文章を書いています。

 振り返ってみると働き過ぎで危険な領域に足を踏み入れていたように思います。自分はこういう風になってしまうのだなというのが興味深かったので、書いておこうかなと思います。会社に不満があるわけではないので、訴訟の材料にしたいわけではありません。 


 

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 業務量が多くて退社が深夜になる日が続きました。朝から晩まで仕事に追われ、次から次へとやるべきことをこなし、気付いたらお昼ご飯を食べるタイミングを見失っていることもしばしばでした。

 春に異動したばかりなので、仕事のやり方がしっかりと理解できておらず、知らないことにぶつかることも多かったです。そのたびに上司に聞きにいかねばならず、時間をとられましたし、誰かに教えを乞うことによる多少の心理的負担が積み重なりました。

 納期に間に合わせるために社内の手続きを短縮しなければならず、関係部署には多大なる迷惑をかけました。部署間に溝があるわけではなく事情を察して調整してくれる職場ではあるのですが、迷惑をかけていることには変わりはなく、怒られることもありました。とにかくぺこぺこ謝るしか僕にできることはありませんでした。

 休日出勤だけはしませんでした。ただ、結婚式や遊びの予定がたまたま多く入ってしまって、気が休まる時間があまり取れなかったのも良くなかったように思います。趣味に回せる時間が極端に減りました。

 上司が自分のことを気遣って心配してくれているのは心の支えでした。業務を進める上でもかなり守ってもらいました。この状態で上司に厳しく当たられていたら、さすがに折れていたかもしれません。

 

 

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 7月に入って一区切りついてみると、緊急事態だったのだなと思うことがいくつかあります。

 まず、忙しいころは食欲が落ちていたのだなと気づきました。最近やたらとお腹がすくので、昼ごはんも夕食もきちんと取るようにしているのですが、忙しい時期は食べなくても平気でしたし、そもそも何かを食べたいという欲求自体が減退していたように思います。一日の摂取カロリーが明らかに基礎代謝を下回っているような日もありましたが、短期間なら意外となんとかなってしまうのだなと、いまになって驚いています。

 睡眠時間を減らしても、短期間なら仕事に支障が出ないのだなというのも発見でした。帰宅時間が遅くなっていたため、眠りにつく時間が遅くなっていました。しかし朝起きたときに、眠気よりも納期が迫ってくる焦りが勝ってしまい、目がしっかり覚めてしまっていました。最近はやたらと眠いです。朝起きたくないし、昼に居眠りしそうになることもあります。張りつめていたものが緩んでいるのでしょうね。ついでにですが性欲も落ちているようでした。

 

 

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 重い仕事の納期が重なっているタイミングがあるので、今後さらなる山場がくることが確定しています。ここでこうやって振り返っておくことで、無事に乗り切るための糧にしたいところです。

 体のいろいろな部分で異常が出ていたのは、ストレスが主要因だったと思います。忙しい中でも運動をしっかりして、ストレスを発散するべきだなと思いました。6月は一回もジムにいけなかったので。

食事にも気を付けたいです。ただでさえ実家から出てきて食事の栄養バランスが崩れているのに、食べる量も減ってしまっているのが本当によくなかったと思います。お金がかかったとしても、健康的な食事をとるようにしたいです。

そして良く眠ること。睡眠時間が減ってしまうのなら、せめて寝る前はスマホやPCを見ないようにして、睡眠の質を上げたいです。

 

 

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  最近この本を読みました。人間の幸せとはなんなのだろうと考えさせられました。今回書いたみたいに社畜的に過ごすよりは、狩猟採集の時代の方が幸せだったのではないかと。。。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

  

 

 こういう文章を4月に書いていましたね。このころは多少余裕がありました。 

 

 自分は内向型人間なので他部署の人に迷惑をかけてまで謝るということがかなりストレスなのです。 

 

 

【支配から自由へ】映画評:ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー

  ハン・ソロスターウォーズ・ストーリーズを観てきました。本国アメリカでは興行成績が振るわず、評判は芳しくありません。

 僕個人としても、同じスピンアウト作品である「ローグワン」比べると見劣りしてしまう作品だなというのが正直な印象です。スターウォーズ作品の1つであるということと、ローグワンがすごく気に入ったことが相まって、期待をしすぎたかなと思いました。迫力のアクションシーンと最後まで気が抜けない展開は、映画としては一級品だと感じました。キーラさんがとても美しかったです。

 以降ではネタバレをしながら思ったことを書いていきます。

 

 

 

 

 

以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

支配から自由になること

 今作にテーマを1つ設けるなら、「支配から脱出して自由になること」なのかなと思いました。終盤でキーラが言う「人はみな誰かに従っている・支配されている」というような趣旨の発言が一番印象に残っています。ソロがチューバッカに自由になりたいかと尋ねるシーンも印象的でした。

 作中において、主人公のハン・ソロの行動の動機は、劣悪な環境の惑星コレリアから脱出することでした。脱出の途中で恋人のキーラと離れ離れになってしまったせいで、彼女を助け出すことに変わり、さらにキーラと偶然再会したのちは、キーラを自由にすることに変わります。自由になりたい、自由にしたいと願う若者の物語でした。

 この作品の時間軸は、エピソード3と4の間。ジェダイがほぼ全滅し、帝国の力が強まっている時代です。いたるところに搾取と抑圧がはびこり、支配を受ける者がたくさん描かれています。

 故郷にいるときのソロはレディ・プロクシマに支配されていました。彼は帝国軍に入ると軍律に支配されるようになり、奴隷として支配を受けているチューバッカに出会います。ケッセルで鉱石採掘をしている作業員たちはソロたちの活躍で自由の身になり、L3-37はドロイドの自由と権利を主張します。盗賊団エンフィス・ネストは帝国の抑圧に反乱を企てていました。支配と自由が繰り返し描かれていきました。

 支配を受けていることに対して諦めて折り合いをつけているキーラと、そこから助け出したいと思っているソロのすれ違いは見ていて悲しいものがありました。エピソード4,5,6では自由で気ままな宇宙の荒くれものとして活躍したハン・ソロにこんな過去があったとは皮肉なものです。逆に、この経験があったからこそ、彼は何にも属さず一匹狼として賞金稼ぎをしていたのかもしれません。彼の原点を知れる物語でした。

ソロは勝ったのか、負けたのか

 キーラを助け出したい、一緒になりたいと願って一生懸命になっている若き日のハン・ソロ。最終的に彼の願いは届かず、彼は負けたことになります。

 しかしこの作品では、その敗北に対して打ちひしがれたり、涙を流すソロが描かれることはありませんでした。ましてや、ラストはミレニアムファルコンを手に入れて、意気揚々ジャバザハットのもとに向かうシーンで幕を閉じます。いかにもハッピーエンドのような終わり方。それで良いんだっけ?という違和感が残りました。

 もちろん、原作を見てきたファンは知っています。ソロはレイアという新しい恋人を手に入れ、そこにキーラの姿も影も一切ありません。この作品では、ソロはミレニアムファルコンとチューバッカという相棒を手に入れるということ以外に、エピソード4に繋がる事実はないので、最後のシーンはアレで完璧です。でもでも、1つの映画作品としてそれで良いのかという疑問が残りました。

 キーラはソロを裏切ったものの、彼のことを想って何度も助けてくれています。そんな彼女がなぜ最後に船をひとりで発進させてしまったのか、それをソロは深く考えるべきではなかったのか、と。

映画として分かりやすい構造ではない

 上で書いたようにソロの行動原理はキーラを助けたいということだったので、この作品での敵キャラはキーラが使えているドライデン・ヴォスということになります。だけどドライデンはソロに仕事を与えた雇い主であるため、明確に主人公と対立する悪役キャラにはなりません。しかもドライデン自身も大きな組織の一員であることが再三語られるため、何が真の敵なのか直観的につかみにくい構造になっています。

 ローグワンも含め、スターウォーズシリーズでは帝国が倒すべき悪としてわかりやすく描かれるため、正義と悪の関係性を掴みやすいです。この作品はその点が異質で、今までと違う印象を受けました。

 敵がはっきりしないため、起承転結も明快ではありません。アクションで一番すごいなと思ったのは氷の惑星の列車の上での戦いだったのですが、ストーリーラインで言えばあのシーンはそれほど重要な場面ではありませんでした。どこが一番の盛り上がりポイントなのかが掴みにくい作品でした。

 いろいろ理由はあると思いますが、本国の興行成績が振るわない理由の1つに、そもそも映画として分かりやすく面白いものになっているかどうかという観点があるのかなと思いました。1本の映画としては、僕はちょっとイマイチだったかなと。

スターウォーズシリーズの一作品として

 この作品で描かれているのは、ハン・ソロがいかにしてハン・ソロになったのか、というところであって、本筋に直接的に影響を与えるものではありませんでした。一方ローグワンでは、デススターの設計図を入手するという非常に重要な作戦が描かれていたため、失敗してはならないという緊張感をびしびし感じました。ハン・ソロはそういう緊張感に欠けた物語だったなと思います。彼のキャラクターに合っているとは言えるのですが。

 ただ、キーラとダースモールの関係をなぜ最後にあえてほのめかしたのか、というところは今後に期待したいところです。意味のないシーンにわざわざ時間をつかうなんてことはしないはず。どこかでこの伏線が回収されることを祈ります。

 ネットで見つけた仮説ですが、キーラはフォースの素質をダースモールに見いだされ、最終的にエピソード7,8,9のレイの母親になるという説は面白いなと思いました。ソロと離れ離れになっていた3年間、フォースの暗黒面の修行を受けていたから真実を告げられなかった、と。

 スピンアウトが本筋に関係してくるとは思えないので、ファンの妄想に過ぎないとは思いますが、頭の片隅においておこうかなと思います。

 

 

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再三語りましたがローグワンの感想はこちらです。 

 

 ついでにエピソード7と8も。

 

 

 

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー オリジナル・サウンドトラック

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー オリジナル・サウンドトラック

 

 

27歳。第一次結婚ラッシュがきた

今年で27歳になります。6月は結婚式に呼ばれることが多かったです。毎週のようにスーツを持って地元に帰りました。結婚ラッシュが僕の周辺にやって来たようです。

 大学卒の人で社会人5年目。大学院卒で社会人3年目。生活の基盤が固まってきて、結婚に踏み切る人が多いのでしょう。特に、学生時代から付き合っていたカップルがめでたくゴールインというケースが目立ちます。(正確に言うと高卒で就職した人たちの結婚ブームがあったのですが、残念ながらコミュニティが違ってそれを肌で感じることはありませんでした。)

 学生時代の1つのコミュニティの中で出会った男女が付き合って、結婚まで至る。なんと幸せなことなのでしょうか。一片の曇りもない幸せで満ち溢れた結婚式は、とてもとてもまばゆいものでした。同じコミュニティに属していた自分は、新郎新婦両方と知り合いで、両方の物語を知っている分、彼らが結婚という1つの節目を迎えたことを本当に心から嬉しく思いました。

 

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 さて、目の前でゴールインをしているあのカップルがお付き合いを始めたとき、同じコミュニティにいた自分も、構成員のひとりと付き合っていました。たしかに、そのはずです。妄想ではありません。彼らがこうやって節目までたどり着いているのに対して、自分は何をしているのでしょうか。

 彼らが成し遂げたことを、自分はできなかった。何故だろうという問いかけが、心の片隅に巣食っているのをのぞき込みます。自分に何か欠陥があるのではないかと、不安に苛まれる瞬間、ふと立ちすくんでしまいます。

 

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 この不安を解消するためには、将来をお互いに約束できる相手を見つけさえすればよいはずです。しかし、仕事が僕の目の前に、大きな壁となって立ちふさがります。ソイツを言い訳に、僕は出会いを探す努力を怠っています。このままじゃいけないと思うものの、仕事で疲れ切った自分に、一歩踏み出すためのきっかけを探すエネルギーはありません。

 地方から東京に出てきたものだから、交友関係の地盤も貧弱。かといって社内はリスキー。言い訳をならべて、勝手に八方ふさがりの気分に浸ってしまっています。

 

 さてさて僕の将来はどうなるのでしょう。結婚式ラッシュの中でふと考えてしまいました。この文章が、僕の黒歴史になる日が来ることを祈っています。

 

 

そういえば、大企業の内々定を蹴り飛ばしてベンチャーっぽい会社に就職することを研究室の教授に告げたら、「そんな会社じゃ結婚できないよ」と言われたことを思い出しまして。あの人を見返せない。

 

 

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 あと、結婚式のシーンから始まる物語も思い出しました。大好きな作品です。

肩ごしの恋人 (集英社文庫)

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人類の健康を巡ってスマートウォッチの戦いが起きると思った話

 今年のGoogleIOで発表されたプロダクトやビジョンの中で、気になっているテーマの1つが「健康」です。Googleはこの分野に積極的に進出してくるのではないかと思います。健康への人々の関心の高まりは、いずれお金儲けの源泉になるはずです。

Googleが次に狙う情報は

 Googleはもともと、世界中に散らばっている情報を整理することで人類にメリットをもたらすことを目指して作られた会社です。有名なGoogle社の使命。

Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです。

 人類をいまよりも健康にするという究極の目標を達成するために、なるべくたくさんの人の生体情報を集めようとするはず。ここでいう生体情報とは、僕たちの体に関するあらゆる情報ということにしておきます。いろいろな定義があると思いますので。

 単純な例ですが、Googleが世界中の人の生体情報を集めることで、病気になる可能性が高い人と低い人を正確に分類できるようになってくると思います。その情報を保険会社は欲しがるでしょう。病気になる可能性の高低に応じて保険料を設定することができるようになるからです。病院と連携し、日々観測している生体情報をGoogleがチェックしていて、異常を検知すると病院にかかることを勧めるシステムだって作れそうです。

生体情報の種類

 生体情報には様々な種類があります。

 体重は体重計に乗るだけで計測することができます。そこに身長を組み合わせてBMIを算出すれば、肥満なのか痩せているのか判断する指標にすることができます。お腹まわりを加えればメタボかどうかもわかります。

 血圧や脈拍、呼吸の状態などは毎秒変化していきます。機械を使用することで簡単に計測することができ、体の状態の判断に役立てることができます。

 血液や尿を検査することでわかることも多いです。採取して検査するという2ステップが必要で、検査結果が出るまでに時間がかかることもありますが、まだ簡単に扱える部類かなと思います。

 MRI診断などは専用の機械が必要で、簡単に計測できる情報ではありません。しかし体を輪切りにすることで得られる情報量は莫大です。

スマートウォッチが一歩抜きでているのでは

 どういう方法で、どの生体情報を集めると人類の役に立つことができるでしょうか。2つの評価軸があると思います。1つは健康への影響度。人間の健康の状態をよく表す情報ほど重要度が高く、集める価値があります。もう1つは、どれだけ簡単に測定できるか。たくさんの人からたくさんの情報を集めないと価値ある分析ができません。

 タイトルにある通りなのですが、僕はいま一番価値の高い生体情報を集めることができる機械として、手首につける腕時計型のウェアラブルバイス(スマートウォッチ)が他をリードしているのではないかと考えています。近い将来、どの会社のデバイスが人々の手首に収まるのかに注目が集まる日がくるのではないかと予想しています。

 理由の1つ目は集めることができる情報が多い点。僕がいま使っているfitbitは、歩数、消費カロリー、階段の昇降数、脈拍、睡眠時間を計ることができます。手首は血管が皮膚の表面に浮き出ているため脈拍などを検出しやすく、手の動きから歩数など体全体を使った動きもある程度調査できているようです。

 もう1つの理由は多くの人が購入し、計測に参加してくれる可能性がある点です。もともと腕に時計をつけるという文化が根付いているため、腕に時間を知るための機械をつけることに抵抗がある人は少ないです。つけているだけで勝手に情報を吸い上げてくれるため、検査機関に行く必要もないし、時間をとられることもありません。

手首を巡る戦い

 しかし実際問題、スマートウォッチは流行っていません。最初のデバイスが世に登場してからもう10年近く経ちます。スマートフォンのように誰もが1台身に着ける未来がくるのかは誰にもわかりません。

 いまはスマートウォッチを腕につけるメリットがあまりありません。Apple Watchも試していた時期がありましたが、スマホの通知を確認できるのがちょっと便利というぐらいの感想しかありませんでした。

 生体情報を取ることに特化しているFitbitにしても、蓄積した情報を閲覧するのは楽しいのですが、そこからの発展がいまはありません。次はどのような一手をうつつもりなのでしょうか。

 しかし、今まで書いてきたように、腕時計型のウェアラブルバイスはいま最も価値ある生体情報をとれる機械です。画期的なアプリケーションが生まれた瞬間、各社が人の手首をめぐって激しい戦いを繰り広げることになると僕は予想しています。

 

 

 

 

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最近忙しいので健康が気になり出したんですよね。。。 

社内で一番忙しい部署に異動して1か月

 僕の会社は異動が多く、2,3年に一度部署が変わります。この春で入社3年目になったので初めての部署異動があり、社内で一番忙しい部署に配属されました。

仕事が忙しい部署

 今度の所属部署は、外から見ているとなぜあんなに忙しそうにしているのか理解しにくい部署でした。自分が帰社するときにいつも人がたくさん残っている部署。働き方の効率が悪いのではと僕も思っていました。

 その考えは甘かったです。帰るのが遅いのは、仕事がたくさんあるから。この部署はひとりあたりが抱える仕事の量が桁違いに多い部署でした。当然のことでした。

 仕事の進め方の特性上、昼は社外の人と商談続きになります。それでいて、自分が社内でこなさなければならない作業の量も多いため、夜に残って作業をするしかない。商談で疲れているので、どうしても作業のスピードが落ちてしまう。だけど、やらないと仕事が前に進まないため帰れない。

 同時にいろんな案件を処理していくため、抜け漏れも出やすく、そのリカバリーにさらに時間を奪われてしまうことも多々あります。また、二人一組で仕事を進めていくため、片方の予定に引っ張られることもしばしば。

 忙しい部署には忙しいなりの理由がありました。こういう風に進めるしかない仕事だし、付き合うことになる他社もそういう業界なので合わせるしかない。

 なんだか言い訳がましくなってきたのでこの辺で。少しでもいいから変革に貢献したいと思います。

生活面

 異動してから勤務時間が長くなりました。お昼に打ち合わせが入ることも多く、昼食を抜くことが増えました。睡眠時間だけは死守していますが、そのために夕食を諦める日が増えました。

 もともと食べることに執着心がありません。自分の中で大切ではないものの時間がまずは削られていくのだなと思いました。ですが食べることは健康に生活していくうえでの土台。ぐらついてしまうとすべてが崩壊してしまうので、できるだけ意識をして栄養を摂取しなければと思っています。

 平日に趣味に回す時間がほとんどなくなりました。食べられないことよりもこちらの方が自分的には悲しいです。

 自分はゲームが好きでゲーム会社に勤めています。ゲームをプレイするのは趣味であると同時に仕事のアイディアを得る時間でもあります。他社のタイトルから刺激をもらったり、自社のタイトルから仕事のタネを見つけたり。そういう時間が減るのは二重の意味で苦しいなと思います。

 ソシャゲもコンシューマーゲームも両方やるのですが、特にソシャゲに関してはランキングに入る気力がなくなってしまいました。

 日本でこれだけソシャゲが流行っていることに対して、「日本人は忙しいから隙間時間でプレイできるソシャゲが流行った」という説を良く耳にしますが、この説に対して少し懐疑的になりました。時間をリソースにして戦うソシャゲが、忙しい日本人に流行るのかなと。時間のある人に負けて悔しい想いをするぐらいなら、ネットワークに繋がらないゲームの方が純粋に楽しめるのでは。

 最近はなんとか暇を見つけては、Switchのカービィに癒されています。ゲームボーイアドバンスぶりにカービィをプレイしたのですが、3Dのカービィはめちゃめちゃ可愛い。

星のカービィ スターアライズ - Switch

星のカービィ スターアライズ - Switch

 

 

モチベーション・精神面

 忙しいという話をすると字面は暗くなってくるのですが、仕事自体は楽しくこなしています。まだ3年目なのですが、今の部署は自分の裁量が大きく、自分であれこれ決められるのがとても楽しいです。

 自分で決めることが多いからこそ、仕事の量が多い。たぶんここは表裏一体。責任もあるのですが、チャレンジした結果失敗したことは評価してもらえる環境です。

 こういうモチベーションに繋がる部分の待遇が悪かったら、精神的にきつかっただろうなと容易に想像がつきます。ノルマを厳しく求められたり、失敗したら他の人の前で叱られたりする職場ではすぐに心が折れていただろうなと。

 良い人が多い部署です。忙しい中でも楽しみながら仕事ができます。何年もこの部署で戦い続けている人がいて、そういう人たちはこの環境に慣れてしまっている部分もあるのですが、なんとかこの状況を変えようと努力しているのも伝わってきます。外から入ってきた人間として、環境を少しでも変えたいと思います。がんばります。

 

 

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 自分が社外の人との打ち合わせで疲れてしまうのは、自分が内向型人間だということもあるんですよね。そういう話を以前書きました。