理系院卒のネットワークなブログ

意外なところに「つながり」ってありますよね

社会人生活のために勉強ではなくスナック通いをしておけばよかった

 入社1年目の五月、配属が決まってしばらくが経ちました。いきなりですがみなさん、土日は何をして過ごしていますか?

ご趣味は?

 先日、偉い人との飲み会でその話題になり、「一人暮らしを始めたばかりなので家事に追われています・・・。」と答えたら、「趣味とかないの?」と聞かれました。学生時代はずっとバスケをやっていましたが、社会人になってからはできる環境が見つからず、趣味とは言えない状態になっています。「ゲームしたり、本を読んだりします」と答えたところ、「つまらない人生だねえ」と一言。ちなみにその人は学生のころから風俗遊びが大好きだそうです。

 自分で言うのもアレなのですが、中学校の頃からずっと勉強を頑張っていました。おかげでそこそこの高校・大学に入れましたし、大学院試験免除、大学院学費免除、奨学金返済義務免除など、様々なご褒美をもらいました。勉強はいずれ役に立つものだと思い込んで真面目に取り組み、そこそこの対価を頂いてきました。勉強をしておけば間違いないと思っていた節があります。

 しかし社会人になって、ちょっとだけその価値観が揺らいでいます。脇目も振らず勉強してきた結果、自分はつまらない人間になってしまっているのではないかと。勉強とそれ以外の趣味を両立しなければならなかったのではないかと。

スナックに通う若者

 最近知り合った20代のデキる人が、「学生のころからスナック通いが趣味なんです」と言っていました。周りにいたおじさんはみんな食いつきましたし、僕ですら、すごく興味を覚えました。「なんでスナックなの?」と。いろいろ理由を話してもらったのですが、「お客さんが思わず唸るような、みんなのツボに入る曲をカラオケで歌って喝采を浴びるのが楽しい」と言っていたのが印象的でした。スナックってそういう楽しみ方ができるんだなあと感心してしまいました。

 僕も学生のころからスナックに通っていれば、と素直に思ってしまいます。勉強に当てていた時間を少し削って趣味に打ち込んでいたら、もっと面白い人間になれたでしょうか。少しぐらい成績が下がったところで死ぬわけではありませんでした。だったら、何か興味のあることに時間とお金をつぎ込んでみてもよかったのではと、後悔が頭をよぎります。

 そういえば、言い訳するわけではないのですが、お金の問題もあると思います。入社2、3年目のころにキャバクラにはまり、キャッシュカードの借金が100万円以上になったとかいう武勇伝を話してくれた上司がいますが、今のご時世そんな若者がいるでしょうか。安泰な大企業に入り、将来のために貯蓄に励む。これが僕の周りではスタンダードな価値観です。時代が変わったのだと、環境のせいにしたくなります。

 文句を言っても始まりません。まだまだ社会人生活は始まったばかり。今から面白い趣味を作ることも可能です。手始めに、スナックでも行ってみようかしら・・・。

 

 

 とはいったものの僕はやっぱりゲームと読書が好きですね。この2つを否定する気はまったくありません。 

 

 

 

Hanako FOR MEN vol.16 スナックおいでよ。

Hanako FOR MEN vol.16 スナックおいでよ。

 

 

 

 

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Niantic社長がニコニコ超会議を絶賛していた話

 ニコニコ超会議2016に行ってきました。印象的なコンテンツが幾つかありましたが、Niantic社長のジョン・ハンケさんとシーマンを開発した斎藤由多加さんの対談が非常に面白かったです。

ポジティブなエネルギー

 NianticはGoogle mapを作ったチームがスピンアウトしてできた会社です。位置情報ゲームIngressを開発・運営しています。現実とデジタルの世界の狭間に立つゲームという娯楽がこれからどうなっていくのか、特に最近成長が目まぐるしいVR(仮想現実)およびAR(拡張現実)との関わりはどうなるのかというテーマが話し合われていました。

 ハンケさんがニコニコ超会議を非常に高く評価していたことが、僕の中で強く印象に残っています。普段ネットで繋がっている人たちをこうやって集めたら、ものすごく大きくてポジティブなエネルギーが生まれている。本当にすごいことだと言っていました。ドワンゴ会長の川上さんもその場にいたので、「アメリカでも超会議をやってくれ」なんていう冗談なんだか本気なんだか分からないような発言までしていました。

 いくらVRが現実に近い体験を提供できたとしても、当然実際に人が集まることによるエネルギーは生み出せません。どちらが優れているのかという話ではなくて、ネットの時代だからこそ人がリアルに集まるイベントも必要だよなあと考えながら聞いていました。

 また、ハンケさんはSONYPlayStation VRで遊んだと言っていました。体験してみた感想は、「あれは良すぎる(too good)」だったそうです。素晴らしい没入感を味わえた一方で、これで現実世界が豊かになるんだっけ、という疑問も口にしていました。確かに、VRのクオリティが高くなればなるほど、現実の世界に戻ってこれなくなってしまうなあと思いながら聞いていました。

ただ集まればいいのではなく

 ハンケさんも斎藤さんニコニコ超会議に来るのは今回が初めてだったそうです。そして実は僕も初めてでした。僕はニコニコ動画にどっぷり浸かっている人でもないので、かなり新鮮な体験でした。オタッキーな空間なんだろうなと思っていたのですが、それは偏見だったなと思い直しました。子供連れがけっこう目についたのも驚きでした。

 その一方で情熱を持ってイベントに参加したり、コスプレをしている人もたくさんいました。所狭しと詰め込まれたコンテンツはどれもぶっ飛んでいました。あんなものをごちゃごちゃと集めて、よくひとつのイベントとして機能しているなと感心してしまうほどでした。ハンケさんの言うポジティブなエネルギーは、僕もビシビシと体感していました。

 しかし、ただ人を集めればいいのかというと、そうではないと思います。会場の写真を撮影して「オタクたちが盛り上がっています」なんていう報道の仕方をしても全然だめでしょう。

 あのイベントがあれだけ盛り上がっているのは、ネットを母体にしているからなのではないかと思います。普段ネット上でコツコツ積み上げられてきた爆薬のようなものが、この2日間のために幕張に集められ、どかーんと爆発している感じでした。ハンケさんがどこまで理解しているかはわかりませんでしたが、ニコニコ動画あってのニコニコ超会議です。ネット上の文化を知らないと真に楽しむことはできません。

 ただ単に、ネットから飛び出したリアルイベントという切り取り方は短絡的だなと思うのです。普段ネットで共有しているコンテンツをひとつの空間で共有した時、どんなものが面白いのか。普段は画面越しにコミュニケーションしている相手が目の前にいるとき、人はどんな気持ちになるのか。そんなところまで深く考えられている気がしました。

また来年

 VRについてちょっと否定的な記述が多くなってしまいましたが、VRが嫌いなわけではありません。使い方によってはものすごく楽しくて有用な技術になるでしょう。体験はしていないですが、超会議でもVRを使った様々なブースが出ていました。

 一方で、あの暑苦しくて騒がしい幕張メッセで繰り広げられる興味深い対談を、僕は場を構成するひとつの要素になって聞いていました。ときどき後ろのブースの歓声が邪魔になったりしたのですが、それもまたあの空間だからこその体験なんだよなあと思いました。画面を走るコメントを見て、この対談を見ている人が他にもたくさんいることを感じながら、僕はあの空間を楽しんでいました。

 ニコニコ超会議が作っているネットとリアルの不思議な関係性を僕はまだまだ全然理解していないでしょう。それでも、すごく楽しかったし、また来年も参加したいなと思わされるイベントでした。何らかの形で関わったみなさん、お疲れ様でした。

 

 

 

 

 そのほか、ゲームについて考えたこと。

 

 

ニコニコ哲学-川上量生の胸のうち

ニコニコ哲学-川上量生の胸のうち

 

 

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社会人1週目に感じた立場の変化について

 僕が社会人になって最初の一週間が終わりました。たくさんの新しい物事に触れて様々なことを考えた一週間でした。今僕が強く感じていることは、「ついにこちら側に来てしまったな」ということです。

 僕の会社はコンシューマ向けのビジネスも展開しています。学生のころから触れてきたものもあります。端的に言うと「受け取る側」から「届ける側」へと立場が変化しただけのことなのですが、その違いはあまりに大きく、早く意識を切り替えなきゃ不味いのは分かっているのに、しばらくは馴染めないだろうなと弱気になってしまいます。

 入社するまではずっと「受け取る側」でした。もちろん常に受け取っているわけではなくて、受け取らずに無視して暮らしていることの方が多かったです。数あるものの中の1つとして僕は自社が生み出すものと付き合ってきました。

 入社式以降、僕は社内で研修を受けています。それぞれの部署がどんな仕事をしているのか、さらに、それを通して会社全体を俯瞰する訓練を受けています。まだ1週目なのですが、もう僕は「届ける側」の人間になってしまったんだなとつくづく思います。

 各部署がどのような苦労をして、消費者にものを届けているかを勉強しています。知られざる苦労というやつはやっぱり存在していて、それを知ってしまうと昔の「受け取る側」だった僕にはもう戻れません。「届ける側」の人間として必要な意識はまだ僕の中にカンペキには取り込めていませんが、少なくとも「受け取る側」には戻れないことは確かです。

 昔は会社が届けてくれるものを無邪気に愛し、同時に、無邪気に批判していました。「届ける側」にも苦労があることは考えてみればすぐわかったはずなのに、想像をしたこともありませんでした。「受け取る側」としてそれを考える必要はなかったからです。子供だったから仕方がないということではきっとなくて、何歳になったとしても「受け取る側」の人間は「届ける側」の苦労を完全に知ることはできないと思っています。真の意味で「届ける側」の苦労を理解するためには、どうしてもそちら側に行く必要があると思います。考えているだけでは掴めないものです。

 文字に起こすとものすごく当たり前のことを述べているにすぎないと感じますが、これは僕にとっては大きな変化であり、ことの重大さを噛み締めなければならないと思っています。嬉しさ半分寂しさ半分のこのポジションチェンジに、早く適応しなければいけません。

 一番僕が早く知りたいと思っているのは、「届ける側」の喜びです。「受け取る側」にもそれなりの喜びがありましたが、その喜びを感じることはもうできません。「届ける側」として感じられる幸せってどんなものなのでしょうか。早く知りたいです。そのためにも、研修をがんばります。

 

 最近、「東京島」という本を読みました。無人島に流れ着いた集団が、外へ出ようともがくお話です。島にいる自分たちと、大陸にいたころの自分。境遇の違いに絶望する様子が描かれていて、興味深かったです。

東京島 (新潮文庫)

東京島 (新潮文庫)

 

 

 

 

このブログの方針はこんな感じです。

 

 

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ブログ名と今後の運営方針について

 いままで「大学院生のネットワークなブログ」という名前でブログを書いていましたが、2016年4月から社会人になります。「大学院生」ではなくなるので、ブログ名を変えることにしました。そのお知らせと、今後の方針について書きます。

 就活を経て、一般的な理系の大学院生とは少し違った進路を歩むことになりました。ゲーム関連の、ベンチャーのようなベンチャーでないような、小さいような大きいような会社で働くことになりました。もちろん、日本全国でお前しか進まないような進路なのかと問われれば全然そんなことはないのですが、周りでこういう選択をした人は少なく、人生の大きな転機となったのではないかと思っています。決断を下したときの心境などはこちらに書き残してあります。

 専門を捨てることにはなったのですが、研究を通じて大学院で学んだことはきっと役に立つはずだと考えています。ですので、理系大学院卒であることを誇りにして社会人生活を送ってきたいと考えています。

 卒業したらブログ名はどうしようかとずっと考えていたのですが、「理系院卒のネットワークなブログ」が一番変化が少なくて、なおかつ「理系院卒であることを誇りにしていきたい」という僕の想いを端的に表しているかなと思うので採用します。結局は「大学院生の」が「理系院卒の」に変わっただけです。

 もとからついていた「ネットワーク」というのは、単純に僕の専攻が通信ネットワークだったということなのですが、いろいろつながっていったらいいなあという意味も込めています。そこは変えずにやっていこうと思います。

 もともと、旅行したときの写真を残しておきたいな、という気持ちで書き始めたブログですが、自分の考えたことをまとまった量の文章にするのが楽しくなったので、いろいろなことを書くようになりました。その方針は今後も変わりません。ただ、旅行する時間は大幅に削られるので、旅行記は減ると思います。一方で、おそらく開発系の仕事をやるので技術に関する文章が増えるのかなと予想しています。

 なにより、理系院卒としての自分、理系院卒のスキル、理系院卒のキャリアなんかについて書いていけたらいいなと考えています。それが最もブログ名を表している内容ですからね。今後も考え続けていけたらいいなと思っていますので、よろしくお願いします。

 

 

 明日は入社式です。働くのはすごく楽しみです。「いつだって僕らは」みたいなキラキラした希望にあふれています。この気持ちがいつまで続くのかはわかりませんが…。

いつだって僕らは

いつだって僕らは

 

 

 

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群馬の珍宝館で最凶の下ネタばあちゃんに会ってきた

 卒業旅行で北関東に行ってきました。道中に訪れた群馬の珍宝館で度肝を抜かれました。僕は声を大にして言いたい。時間が有り余っている男子大学生はとりあえずここに行って来い、と。

珍宝館の基本データ

 群馬県伊香保と呼ばれる観光地の近く、ラブホテルが林立する山道の一角に珍宝館はあります。広い駐車場があるのでマイカーでのアクセスが楽でしょう。関越自動車道の駒寄スマートICから5kmのところにあるそうです。

 いかがわしい名前からなんとなく想像がつくかと思いますが、「性」に関するミュージアムです。有名ドコロで言うと熱海の秘宝館というのもありますが、あんな感じの施設です。

 概観は正直言って地味なんです。ただの小屋みたいな感じ(下写真)。でも建物はこれだけではなくて全部で3棟あり、新館も建設中だそうです(2016年3月現在)。総展示物は2000点以上。充実のラインナップを堪能できます。

 2016年2月放送の「月曜から夜ふかし」で取り上げられるなど、テレビでも時々ピックアップされる群馬一番の珍名所です。

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珍宝館-伊香保・水沢通りオフィシャルサイトより

 

 展示物ももちろんすごいのですが、僕がここで強調したいのは館長がすごいってことです。珍宝館に行くならきちんと館長を堪能してきてください。入場料は1000円なのですが、僕の中で900円ぐらいは館長の見物料でした。

館長が一番すごい

 館長の名前がまずすごい。清水ちん子さん。名前がすでに下ネタです。館内の展示物を解説してくれるのですが、その解説はほぼ当然全て下ネタ。もはや歩く下ネタです。喋り出したら下の話題が止まりません。

 最初は恐怖さえ感じたんですよ。写真の建物に入って開口一番下ネタをぶっこまれるわけですからね。なんだこのおばあさん。やばいところに来てしまったと僕らは冷や汗をかくわけですよ。正直ビビっていたわけですよ。しかしですね、そんな心配している暇がないぐらい面白い解説を聞けて、トータルとしては笑いまくっていました。

 入場料を払って見学が始まります。そこで次に驚くのが、館長にスイッチが入るんです。ガイドモードに切り替わるわけです。オンとオフが切り替わり、声の張り方が変わるんです。ああ、ただ下ネタばっかり言う人ではなくて、プロなんだなと肌で感じました。

 とにかく説明がすごいんです。内容はド下手ネタですし、ネタバレになってしまうので控えておきます。マシンガンのように止まらない連射される下ネタ、下ネタ、下ネタ。圧倒されます。こんなに次から次へと重ねられるものなのかと。発せられた下ネタは前後で有機的に繋がり、お笑い芸人の良質なネタと比べても遜色ありません。それらは決して下品で低俗なものではなく、時事ネタが織り交ぜられ、驚きとユーモアを含んでいます。

 館長は日本の先行きを案じていました。最近の若者の元気がない。がんばれよ、おまえら。だから、館長が繰り出す下ネタには愛と激励が感じられるのです。古くから伝わる性に関する展示物を解説してくれるのですが、それらは昔から日本人ががんばってきた証拠です。エロに対する飽くなき執念が現代にまで伝わっています。それに比べておまえらはどうなんだと。乾ききってはいないかと。

 中学生や高校生のころから、下ネタの話題は男子がいつでも盛り上がれる鉄板だったでしょう。オレたち、いつも下ネタばっかりだよなって自信ありげに語っているそこの男子。そしておっさんも。はっきり言って、甘い。館長を見よ。下ネタを語ってメシを食ってる館長の本気に触れてこい。僕はそう言いたいのです。これが本当の下ネタなのだと。

 決まりきった台本を読んでいるわけではありません。客層や反応を見ながらアドリブでしゃべっていたと思います。僕らは若い男だけで訪れたのですが、女子のみだったり、おじさんだったりしたらきっとまた違ったトーンの違ったトークを聞けることでしょう。

 車を使わなければ移動が難しいので、中高生にはおすすめできませんし、そもそも館長の刺激も強すぎるかもしれません。だから時間を持て余した大学生に是非おすすめしたいです。君たちの見ている世界はまだまだ狭い。井の中の蛙です。珍宝館の館長に股間をもまれて、広い世界を体感してこいと僕は伝えたい。今度の休日、いくところがないならレンタカーを借りて珍宝館へgoです。

 さらに館長について知りたくなったらyoutubeで調べてみてください。いろいろ動画が上がっています。


珍宝館の名物館長

 

ニューヨークのmuseum of sexとの比較

 だいぶ前のことですが、実はニューヨークにある性のミュージアムにも行ったことがあります。施設名はそのまま「museum of sex」。そのときの同伴者の一部は今回の珍宝館も一緒に訪れています。馬鹿な場所ばっかり訪ねてるんだなと呆れないでください。というか、呆れてもいいです。時間と好奇心だけは人一倍持ちあわせていますから。

 

 museum of sexと珍宝館は恐ろしいぐらい綺麗に対比することができます。単なる施設の指向性の違いにしかすぎないのですが、あえて真逆のポジションをとりにいったかのような対比に、僕は驚きを隠せません。

 museum of sexの外観はこんな感じです。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Museum_of_Sexより

 

 museum of sexは都会のビル群のど真ん中にあります。一方で珍宝館の周りは山ばかり。museum of sexはとにかくおしゃれでモダンな雰囲気です。若いカップルがいっぱいいました。展示物も現代的でデジタルでテクノロジーを駆使しているものがたくさんありました。一方、珍宝館の展示物は春画を始めとした伝統的な芸術品です。目を引くのは石や木など自然物にエロスを見出したもの。アナログで精神的でスピリチュアル。珍宝館は館長がすごいという話を上で書きましたが、museum of sexには説明してくれるガイドさんはいませんでした。

 欧米人だって自然物や伝統的な芸術品に価値を感じるはずです。だからこの対比に国民性や人類学を当てはめるのは間違っていると思います。ただ、僕の中ではこの2つがあまりにも綺麗に対比できてびっくりしたので、本題から逸れましたが書いてみました。貴重なニューヨーク滞在の機会を費やすのはもったいないと感じるかもしれませんが、museum of sexも男子大学生にはおすすめですよ。ワールドワイドな男になれます。

 

 

ニューヨーク観光の模様はこちら。一番の目的はNBA観戦でした。

 

その他、旅行記。

 

 

 

ポケモン世代は決断の怖さに怯まない

 シェイクスピアは言いました。『Life is a series of choices.』人生は選択の連続です。昨年は就職活動という人生の岐路に立たされ、この言葉の重みを痛感しました。

 就職活動をはじめとして、その後の人生を大きく左右するであろう選択を前にすると、僕は尻込みをしてしまうタイプの人間です。この決断が今後何十年と響くのは紛れも無い事実ですから、その重みに耐えかねるのです。

最初の相棒

 でも、思い出して欲しいことがあります。僕らの世代は、今後の人生を左右する決断をいとも簡単に下していたことがあります。そう、です。ポケモンですね。

 20年という長い歴史の中で、ポケモンのゲームはたくさんのシリーズが発売されてきました。様々な進化を遂げてきたこのタイトルですが、物語のはじめに草・炎・水タイプのポケモンの中から1匹を選んで連れて行くということは常に変わりません。

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 ポケモンの世界を訪れて1時間も経たないうちに、僕らはいつも最大の決断を迫られます。この旅で最後まで連れ添うであろう相棒を、右も左も分からないうちに決めなければなりません。ゼニガメを選んだ場合とヒトカゲを選んだ場合で序盤の難易度は大きく変わります。そんな重大な決断を最初の最初に下さなければなりません。

 理不尽だったと思いませんか。この先にどんな試練が待っているのかも知らぬまま選べと言われ、一度選んだら後戻りはできませんでした。人生です。ポケモンはまさに人生だったわけです。

信じて戦い抜け

 でも、もうひとつ思い出してください。僕らは最初の1匹を決めるに当たってそこまで苦しんだでしょうか。「なんとなくカッコいいから」「いつも水タイプだから」「あの情報誌が勧めていたから」そんな程度の理由で僕らは相棒を決めていたのではなかったですか。事前にゲームの最後の最後まで調べて、最適解を計算していましたか。そんなことはしてなかったですよね。

 そして最後に思い出して欲しいことは「後悔をしましたか」ということです。苦労することがあったとしても、選んだ相棒にはどんどん愛着が湧いていって、殿堂入りするころにはすっかりお気に入りのポケモンになっていたのではないでしょうか。

 ヒトカゲを選んでタケシと向かい合っている時、どう思いましたか。「ひっかく」と「ひのこ」がまるで通用しない相手を前に、何を考えましたか。勝ちたいと思ったはずですよね。立ち向かうしかないんですよ、僕らは。自分で決めたじゃないですか。ヒトカゲと一緒に行くと。

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 トキワの森で修行して、キズぐすりを何個も使って、最後のイワークが倒れたとき、どうでしたか。覚えていますか。拳を突き上げ、叫びませんでしたか。よくやったヒトカゲと、思わず語りかけたくなりましたよね。

 あのころの冒険を思い出してください。四天王との激戦を勝ち抜き、ライバルを倒して殿堂入りを果たしたとき、例えようもない感動を味わったはずです。たったLv.14のイワークが強敵だったころから、見違えるほど強くなった自分がそこにいたはずです。ヒトカゲは立派なリザードンになって活躍していたでしょう。

 選択することは怖くありません。どんな苦境に立たされたとしても、僕らは諦めずに戦ってきたではないですか。リセットできない人生、負けられない戦いから「にげる」という選択肢だけはありません。相手が強ければコツコツレベルを上げて立ち向かったでしょう。自分の選択を後悔する暇などなかったはずです。

 自分の決断を信じて生きればいいのです。最初に選んだポケモンを信じて闘いぬきましょう。あのころのように。

現実の恐怖、想像上の恐怖

 とまあ、ここまでキレイ事を書いてきたわけですが、実際こんな簡単に済む話なら警察はいらないですよね…。

 自分の下した決断が、ヒトカゲも真っ青のハズレクジである場合は多分にあるわけで、後にも先にも進めない袋小路に追い詰められ、転落真っ逆さまになることだってきっとありうるわけですよ。この人生というゲームは。

 どんな手段を使ってでも生き延びなければならないと思います。最初に選んだポケモンがどうしてもお荷物になってしまったら、切り捨ててでも自分は生き残らなければなりません。背に腹は代えられません。渡る世間は鬼ばかりです。

 ヒトカゲでどうしても勝てないとき、バタフリーを使うという手段が用意されていました。ピカチュウ版にもタケシキラーのマンキーがいました。ですが、バタフリーマンキーも見当たらない状況に追い込まれることもきっとあるに違いありません。

 本当に怖いですね。自分の選択は正しかったのでしょうか。ですが、シェイクスピアはこういう名言も残したそうですよ。『Present fears. Are less than horrible imaginings.』眼前の恐怖は、想像力が生み出す恐怖に比べれば大したことないとのことです。つまりあれこれ想像でものを語るのが一番怖いわけです。目の前のことに集中してがんばります。

 それでは、ポケモン20周年おめでとうございます。

 

 

※ドット絵はひこちゃんず!さんから頂きました。毎度毎度ありがとうございます。

 

 

 そのほかゲームについて考えたこと。

 モンスターボールの商売方法を考察してみました。

 2chはよかったなあという懐古厨。

 

 ゲーマーの話。 

 

 

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スターウォーズは誰かと話したくなる映画/エピソード7感想

 スターウォーズ/フォースの覚醒を見てきました。色々書きたいことがあるのですが、まずはネタバレなしでちょっと書いて、そのあとでネタバレ込みで感想を書こうと思います。

誰かに話したくなる映画(ここはネタバレなしです)

 こうやってスターウォーズについてリアルタイムに書けること自体を幸せに感じます。シリーズ最初の作品であるエピソード4が公開されてから10年以上経った後に僕は生まれましたが、スターウォーズ好きの両親に教育され、ひとりのファンとしてこの時代に立ち会うことができました。

 スターウォーズは見終わったあとに誰かと話したくなる映画なのです。こんなに語りたくなる映画は他にありません。見ている途中はあの世界に完璧に没入できるのですが、エンドロールが流れて現実が戻ってくると、色々なことが頭に渦巻いてきて、それを早く誰かにぶちまけたくなるのです。

 僕が考える、この理由は2つ。

 1つめは、スターウォーズが膨大な設定資料を元に作られているということです。ちょっとしか出てこない脇役に対しても物語がきちんと作られており、その中には幾つものドラマがあります。数えきれないドラマの中から選りすぐりの場面を切り取って、2時間の映画が作られている。そんなイメージを僕は持っています。

 スクリーンの端々からは、舞台の設定が漏れ出ているのです。それらはいくらでも考察の余地を産み、ファンの心をかきたてます。特に今作は時間軸の切り取り方が絶妙で、前後関係をあれこれと想像できる、否が応でも想像させられる作品になっていました。

 2つめは、切り取った2時間の中にも大小様々な謎を仕込んでいるところでしょう。これはスターウォーズ特有のものだとは言いがたいですが、今では一般的になった「シリーズ」という体系を初めて導入したのがスターウォーズだったので、ある種の哲学と呼べる代物になっているのだと思います。今作の謎はきっと次回作で解決してくれると、僕らは期待をこめて語り合うことができるのです。

 というわけで、スターウォーズを見てきたばかりの僕としてはいろんなことをべらべらと語りたいのです。両親と話すのもエキサイティングではありますが、せっかくブログがあるのでここにも書きます。ただ純粋にスターウォーズについて自分の思っていることを話したいという欲求を満たすためだけに書くので、よろしくお願い致します。

 

 

 

 

これ以降ネタバレしますよ。

 

 

 

物語の時間軸(ここからネタバレですよ)

 まずは物語の大枠から書きます。今回、エピソード6のラストから数十年ほど経ったとある時期がエピソード7として切り取られています。

 「a long time ago in a galaxy far far away」で始まる背景の説明で、早速驚きがあります。ルーク・スカイウォーカーがいなくなった?え?エピソード6はすべてがハッピーエンドだったのに。一体何が不満でルークは雲隠れしてしまったんだ。もう最初っから引き込んでくるわけですよ。

 一体どれほどの時間が経っているのか、最初はよくわかりません。悪の軍団がかなり立派に再建しているところをみると、そこそこの時間が流れたのだと予測されますが、それも根拠の弱い予測です。

 時間を完全に把握するのが(僕は)ハン・ソロが登場したシーンでした。ああ。ソロだ。チューイはほとんど変わっていませんが、ソロは明らかに白髪が増えて年を重ねていた様子でした。つまりソロの寿命が尽きるほどの時間は経っていないけど、白髪が増えるぐらいには時間が流れたのだと僕は把握したわけです。

 もちろん現実にハリソン・フォードが年をとったのだからそうなるのですが、その現実との重ね方が絶妙でした。最も大事な「時間を確認させる」という作業を、エピソード6からの続投であるソロに任せた。この采配がニクイですよね。

 エピソード6から7の間の期間は当然省略されているわけですが、全く平穏な日々が続いていたのではないことが徐々にわかってきます。こういう場合は回想シーンを入れて丁寧に説明したくなるのが語り手の性なのではないのかなと思うのですが、回想シーンはほとんどありません。というか、厳密にはないと言ってもいいのかな。あくまでも僕らが劇場で体験するのは濃密な現在だけです。

 唯一レイがライトセーバーに触れた瞬間に過去がフラッシュバックするのですが、あれも数秒でした。しかしそのシーンは唯一過去と繋がる瞬間だけあって、非常に印象的に作られていました。エピソード7,8,9の主人公にしてジェダイ候補筆頭であるレイがジェダイの象徴たるライトセーバーを初めて触る歴史的瞬間ですからね。その特別な瞬間にだけ、回想が許される。そういうところも考え尽くされてますよね。

レイ&フィン vs カイロ・レン

 さて、レイの話がちょっと出たので新キャラの話をします。

 まずはレイ。名前がまずレイだけ。シンプル。貧乏なので身なりもシンプル。彼女の溢れ出る美しさはそのシンプルさによって引き立てられているのかなと感じました。

 強いですよね。なんでもできる。ひとりでできる。そのくせ、戻らないと分かっている家族を延々と待ち続け、ソロの誘いも断って星に帰ろうとする。そのアンバランスさがまた危うい魅力を放って、もう彼女から目が離せませんでした。とにかく美しい。俳優さんを見つけてくるというところから、スターウォーズはすごいんですよね。

 お決まりの展開として、正義の味方はときに悪への誘惑に揺れます。彼女はどうでしょうか。自分にフォースがあると気づいてから数時間と経たないうちに、敵兵をマインドコントロールしてしまうなんて、もしかしたらシリーズ最強のジェダイになれる素質もあるのでは。家族の支えさえあれば弱点はなさそうですが、エピソード8,9ではどうなっていくでしょうか。

 たぶん、鍵を握るのがフィンの活躍なのでしょうね。シリーズ初、ヘルメットを脱いだストームトルーパー。彼のキャラは本当に見事に表現されています。臆病だけど強がり。嘘つきだけど誠実。レイを守りたいのに逆に守られてしまう。おっちょこちょいだけど憎めなくて、アツい一面も持っている。

 ある意味すごく普通の男子で、現実の僕らにすごく近い感性を持っているのだと思います。他のキャラに思いを巡らしてみますと、ソロはフォースを使えませんが、無鉄砲で怖いもの知らず。数々の修羅場をくぐり抜けてきたギャングなので、ちょっと彼に自分を重ねるのは難しいです。ルークや青年アナキンは人並みのことで悩みますが、結局はフォースを持っているのでヒーロー的な側面を持ちます。その点、フィンはすごく普通の男の子。何もかも普通です。そこがすごく良かったです。

 滅茶苦茶強くてなんでも器用にこなすレイと、取り立てて武器はないけど人情味のあるフィン。いいコンビだと思います。どんなふうにも展開を膨らますことができるでしょう。

 そして最後にカイロ・レン。レイアとソロの息子。最初にマスクを外したときはすごく違和感を感じたのですが、あの違和感こそが彼の存在の象徴なのかもしれません。彼はこのままではきっと真の悪にはなれないでしょう。明らかに器が足りていないと感じます。ベイダー卿のような悪のアイコンになれるでしょうか。たぶんなれません。その悪役として物足りないという雰囲気を絶妙に表現している気がします。

 そこそこフォースは使えるようですが、フォースを自覚したばかりのレイに勝てないとは情けないと思いませんか。こんな悪役ありですか、という感じです。すごく弱そう。そして戦ってみると実際に弱い。

 きっと狙ってこういう人物像を作っていると予想します。お決まりの展開としてはなんらかの地獄を見たカイロ・レンがエピソード8で凶悪化し、エピソード9で倒されて終了なのですが、果たしてそうなるかどうかも怪しいと思います。

 背負っているものが重いのが今までの悪役と違うところかなと思います。母はレジスタンスの将軍にしてフォース使い、父は英雄。何があったかはわかりませんがファーストオーダーという巨大組織を束ねることになり、最強の戦士ダースベイダーと比較されてしまう。本当に悪役ながらかわいそうな男です。彼に悪のカリスマを求めるのは土台無理で、彼には彼なりの悪役像が用意されているに違いありません。

 悪が弱いと盛り上がりません。今のままでは悪役が圧倒的にタレント不足です。ソロの生死は不明ですが、正義側にはルークとレイアが健在で最強の新人レイもいます。一方の悪役側には、カイロ・レンの後ろ盾として実体があるのかどうかもわからないスノークという謎の人物がいるだけです。そいつはフォースが使えるかも定かではありません。とにかく悪が不利なんですよね、どう考えても。もしかしたらレイがダークサイドに落ちて、逆にカイロ・レンが正義に目覚めるなんて展開もあるのかも。ベイダー卿のときとは一味違った展開を期待します。

王道のアクション映画としてのエピソード7

 エピソード7全体の感想ですが、スターウォーズらしい謎を散りばめつつも、王道のアクション映画として見事にまとめ上げていますよね。エピソード4,5,6のクラシック3部作に近い雰囲気を感じます。特に全体の流れはエピソード4と全く同じで、それはもう確信犯なんですよね、きっと。オマージュってまさにこういうことですよね。

 印象的なのはソロが刺されるシーン。ファンにはたぶんわかるんですよ。ああ。やられるって。だってあの下が見えない一本橋の上の対決なんて、刺されて落ちるパターンしかないじゃないですか。でも子どもたちは驚いてくれるでしょう。映画のお約束といっても過言ではない展開でした。

 銃撃戦もあるしライトセーバーの斬り合いもあり、戦闘機同士の空中戦もあれば、モンスターがパニック映画的に襲ってくるシーンもある。アクション映画としてやるべきことを全部やりつつ、最後は正義が勝つ。まさに王道。

 しかしファンにサービスすることも忘れていません。敵の基地に突入したときに敵の司令官を人質にとり、ソロが言います。「ガベージシュートに落とそう」。ニヤッとしますよね。

 そして、きちんとエピソード8に続くような謎を用意して、幕を引く。今作で謎が明らかになるところなんてほとんどなくて、たぶんエピソード9まで明かされない謎もたくさんあるんでしょう。謎の塩梅も絶妙で、モヤモヤが滅茶苦茶残るわけではないけど、考えてみると気になる。そんなポイントがいくつか用意されています。

 こういう超有名どころの映画には、駄作だという批判がつきものなのだと思います。でも、アクション映画としての形をきっちり整え、スターウォーズファンの期待にばっちり沿った形で作り上げつつ、サプライズと旧作へのリスペクトも絶妙に配合している。すごいバランス感覚だなあと関心しっぱなしでした。

 でも、やっぱりこうやって理論をごちゃごちゃ考えるのもいいですが、直感的にしびれますよね。わくわくします。この世界に再び戻ってこれて、本当に幸せだなと感じます。

 

 

 BB-8はどんな風に制御しているのか気になって仕方がない存在でした。キャラクターとしてはR2-D2の方が好きです。

スター・ウォーズ BB-8 & R2-D2 1/12スケール プラモデル

スター・ウォーズ BB-8 & R2-D2 1/12スケール プラモデル

 

 

 

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