はじめに
自分の母親が、いわゆる「毒親」の要素を持った人だったかもしれないと最近考え始めました。きっかけは下で引用したブログを読ませて頂いたことです。だけど、ただこれらを読んだだけでこの考えに至ったということはたぶんなくて、「就職活動」もひとつの要因だったという気がするのです。その話をしたいと思います。
職場で叱られて泣いてしまっていた自分と自尊心のこと。 - スズコ、考える。
毒親育ち妻と普通の家庭で育った旦那との間に起こったこと - パンケーキ日和
「甘えるな」という言葉が開く、あなたの中の依存心の扉 - いんとろばーとの頭の中
とある企業の助けを借りて自己分析をした経験が、母=毒親?という疑念を呼び起こしました。すごく特殊な自己分析をしたわけではなく「生まれてから現在までの自分史を書く」ということをしました。そして、書き上げた自分史を見せながら企業の方と面談をしました。
この面談と、上に挙げた毒親についてのブログ。両方が合わさって、僕の中で大きな変化が起きました。
突然の告白
「僕は昔からコンプレックスにまみれた人間です」。ここでこうやって突然カミングアウトしたとしても、ここまでの内容を読んでくださっているみなさんは、僕が何の話がしたいか分かるはずですし、原因が思い当たるはずです。当然、母の話です。
しかし、僕が自分史を書くにあたって、「母が僕の人生に与えた影響」はそれほど大きいものだとは捉えていませんでした。なので自分史に「母」という単語はほとんど書いていません。
では、いったい何が「毒親」とリンクしたのか。それは、僕の自分史を見てくれた企業の方から発せられた言葉です。
まず、自分史の「大学生だったころ」の欄に、僕はこういう記述をしました。
「当時付き合っていた彼女が、僕のがんばりをすべて認めて、力強く肯定してくれる人だった(同じ学園祭の実行委員だったのです)。コンプレックスだらけだった自分が、はじめて自分のことを好きになれた。」
これを見た企業の方が一言が、それです。引き金です。
「なんで突然、コンプレックスがここで出てくるの?」
「、、、え?」
僕は言葉に詰まってしまいました。「いや、だって、コンプレックスだらけだったんだもん」。言葉には出せませんでしたが、心の中はそんな感じでした。この自分史は、後で人に見せるということで十分に気を付けて書いたつもりです。しかし、僕にとってコンプレックスはあまりにも当たり前にそこに存在しており、その配慮の外に漏れてしまったようでした。
後から見返してみると、指摘された通り「コンプレックス」という言葉はそこで初登場しています。トラウマになるような出来事を挙げているわけでもなく、自分で言うのもなんですが、かなり唐突な印象です。その場は適当に濁して退散しましたが、いったいなぜ、コンプレックスという言葉が僕の中から湧き出てきたのか。それを考え始めました。
劣等感の認識
コンプレックスというのはちょっと取っつきにくい言葉です。言い換えます。劣等感。そうです。劣等感が確かにありました。それは、気づいたら僕の心に巣食っていて、ずっと消えませんでした。
そして、どこからこの劣等感が来たのかがよく分からなかったのです。自分はネガティブで、ダメなやつ。理由もなくそう思い込んでいたのだと思います。これが母のせいだなんて、つゆにも思いませんでした。
結局、大学院生になって自分史を書いた段階でも、この劣等感の由来は不明でした。だから面談した企業の方も、疑問に思うこととなったわけです。自分ですら原因がわかっていなかったのですから。
でも、とりあえず、自分史を書くことを通じて劣等感という感情が言語化されました。さらに、企業の方が突っ込んでくれたおかげで、この劣等感が何に由来しているのか、自分でも分かっていないということを認識できました。この「認識する」ということが大きな第一歩でした。
毒親とは
そして最近、毒親についてのブログに行き着き、一気に脳みそに電流が走りました。自分が中学校に入るぐらいまでの日々を唐突に思い出しました。
幼かったころ、僕は家にいるときは常に母の機嫌をうかがっていました。母は些細なことで僕を激しく叱りつける人でした。毎日毎日。強烈に記憶に残っています。「人格が否定されている」としか当時の僕は受け取っていなかったのかもしれません。(この辺は、上で引用したブログにも書いてある通りです。とても共感しました。)
ブログを読んだおかげで、あれが劣等感を生むもとになったのかもしれないと考えるようになりました。断定はしていません。毒親という考え方があると知ったこと。それが二歩目です。
今でも、あの経験が僕の劣等感のすべての根源であるとは思いません。ましてや、劣等感が消え去ったわけでもないのです。ただ、原因がまったく分からなかったころに比べて、劣等感が恐ろしいものではなくなった気がします。
「劣等感と向かい合ってみようかな」。最近、そう思い始めました。今までは逃げてばかりでした。自分は劣等感まみれのネガティブ人間だなんて口に出したことは一度もありませんでした。
もし母の厳しいしつけが、ひとつの原因だったとしたら。僕はこの劣等感とどのように付き合っていけばいいのか。それを今後は考えていこうかなと思っています。何かまとまったら、またブログに書きます。
終わりに
これが最近僕の身に起きたことの一部始終です。こんだけ?と思われるかもしれませんが、これだけです。劣等感の原因かもしれない要素と出会い、向かい合うきっかけを得ました。「毒親についてのブログ」と「就活の自己分析」。どちらが欠けてたとしても、この出来事は起こらなかった気がします。
僕にとっての2つのファクターの両方を、この文章に内包させたいと思って書きました。難しいです。上手く書けたという自信はまったくありません。でも、たった一人でもいいので、誰かが劣等感と向き合うきっかけになってくれたらと願っています。
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